葉栗村
表示
はぐりむら 葉栗村 | |
---|---|
廃止日 | 1940年(昭和15年)8月1日 |
廃止理由 |
編入 |
現在の自治体 | 一宮市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 葉栗郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,095人 (国勢調査、1935年10月1日) |
隣接自治体 |
愛知県一宮市、葉栗郡木曽川町、浅井町、北方村、中島郡今伊勢村、丹羽郡西成村 岐阜県羽島郡川島村 |
葉栗村役場 | |
所在地 | 愛知県葉栗郡葉栗村大字大毛字南出13番地 |
座標 | 北緯35度20分28秒 東経136度48分30秒 / 北緯35.3411度 東経136.8082度座標: 北緯35度20分28秒 東経136度48分30秒 / 北緯35.3411度 東経136.8082度 |
ウィキプロジェクト |
葉栗村(はぐりむら)は、愛知県葉栗郡にかつてあった村である。
現在の一宮市葉栗連区を村域とした。
地理
[編集]葉梨郡の中部に位置する[1]。
東は葉栗郡浅井町に、南西は丹羽郡西成村に、南は一宮市に、南西は中島郡今伊勢村、西は葉栗郡木曽川町および北方村に、北は木曽川を介して岐阜県羽島郡に接する[1]。
歴史
[編集]江戸時代末期、村域にあった各村は尾張藩領であった[2]。光明寺村と佐千原村の各一部は慶応4年(1868年)に立藩した今尾藩の領地となっている[3]。
郡制の下で設けられた葉栗郡役所は大字島村に設けられていた[4]。
行政区画の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴う合併により光明寺村、大田島村、佐千原村が成立[5]。各村は以下の大字を設置。
- 光明寺村:光明寺、更屋敷、笹野、田所
- 大田島村:島村、大毛、高田、杉山
- 佐千原村:佐千原、富塚
- 1906年(明治39年)5月10日 - 大田島村、光明寺村、佐千原村が合併し、葉栗村が成立[6]。
- 1940年(昭和15年)8月1日 - 一宮市に編入され廃止[7]。
行政
[編集]村役場
[編集]1906年(明治39年)5月の合併当初は大字大毛字南出13番地に村役場を置いた[6]。
村役場は一宮市への編入後、一宮市役所葉栗出張所として使用された[8]。
教育
[編集]- 葉栗尋常高等小学校(現:一宮市立葉栗小学校)
- 葉栗尋常小学校北仮教場(後の一宮市立葉栗小学校北分校、1976年廃校。現在の一宮市立葉栗北小学校の前身。)
- 葉栗尋常小学校南仮教場(1943年廃校)
神社・仏閣
[編集]名所
[編集]伝統芸能
[編集]- 島文楽
脚注
[編集]- ^ a b 葉栗村志編纂委員 1917, p. 12.
- ^ 愛知縣 1914, pp. 13, 16.
- ^ 愛知県史編さん委員会 2019, pp. 633–635.
- ^ 愛知縣 1914, p. 42.
- ^ 葉栗村志編纂委員 1917, pp. 2–3.
- ^ a b 「町村廃置」『官報』第6852号、印刷局、162–163頁、1906年5月5日。NDLJP:2950193/14。
- ^ 「村廢止市區域變更」『官報』第4065号、內閣印刷局、875頁、1940年7月25日。NDLJP:2960563/14。
- ^ 宮田和明 1977, p. 689.
参考文献
[編集]- 葉栗村志編纂委員 編『葉栗村志稿』1917年8月5日。全国書誌番号:43013836。
- 「第二編 行政」『愛知縣史』 上卷、愛知縣、1914年。NDLJP:1899248/127。
- 愛知県史編さん委員会 編『愛知県史』 通史編5《近世2》、愛知県、2019年3月29日。全国書誌番号:23215120。
- 宮田和明 著「第一四章 市制施行後の一宮」、塩澤君夫 編『新編 一宮市史 本文編』 下巻《近代編》、1977年9月1日、669–724頁。全国書誌番号:77007035。