萩浦橋
萩浦橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 富山県富山市草島 - 千原崎 |
交差物件 | 神通川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 国道415号 |
管理者 | 富山県富山土木センター |
開通 | 1996年(平成8年)4月12日[1] |
座標 | 北緯36度44分45秒 東経137度13分6秒 / 北緯36.74583度 東経137.21833度 |
構造諸元 | |
形式 | 鈑桁橋[2] |
材料 | 鋼 |
全長 | 524.0 m[2] |
幅 | 20 m(上流側・下流側合計)[3] |
関連項目 | |
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萩浦橋(はぎうらはし、はぎうらばし)は、富山県富山市の神通川河口付近に掛かる国道415号・主要地方道富山魚津線・都市計画道路草島東線の道路橋梁。橋のデザインは北前船をテーマとしている[3]。
概要
[編集]- 左岸:富山県富山市草島[4]
- 右岸:富山県富山市千原崎[4]
- 道路の路線名:国道415号・主要地方道富山魚津線・都市計画道路草島東線
- 橋長:524 m(上流側)、523 m(下流側)[3]
- 幅員:20 m(上流側・下流側合計)[3]
歴史
[編集]かつて神通川河口付近には、千原崎の渡し、草嶋の渡しとして定期船1、2艘が両岸を繋いでいた[4]。
1897年(明治30年)7月には、前述の定期船に代わり婦負郡草島村 - 上新川郡大広田村間に橋長220間、幅員2間の木桁橋(当時は私設)が架橋された[5]。その後神通川河口・東岩瀬港(現・富山港)の修築に伴い、同橋を廃止して500 m上流に仮橋を設けた。1936年(昭和11年)に木桁土橋を新設し[4]、1958年(昭和33年)8月1日には長さ523.8 m、幅5.5 mの鉄筋コンクリートの橋となった[6](同年8月5日に渡橋式を挙行。総工費は1億2,644万円[7])。1971年(昭和46年)4月27日には、下流側に歩道橋(延長523 m、幅1.5 m)が設置されている[8]。
1986年(昭和61年)11月17日夕方、橋の中央付近橋脚上で橋けたの継ぎ目が約7cm沈み段差が出来ているのを建設省(現・国土交通省)水質自動監視所の修理をしていた作業員が発見(下流側1車線の幅に約7cmの段差が出来ていた)。このため同日夕方から大型車の通行を全面禁止し、中央部約30m区間を上流側車線片側交互通行とした[9]。交通規制はは12月21日正午に解除された[10]。
現在の橋は1985年(昭和60年)9月27日に『萩浦橋新設促進期成同盟会』が設立されたのを受けて[11]、1989年(平成元年)に事業を開始し、1996年(平成8年)4月12日に架け替えられたものである[1]。当初は上流側を利用した暫定2車線であったが、2006年(平成18年)11月17日に4車線化され、現在に至る[3]。
脚注
[編集]- ^ a b 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)442頁。
- ^ a b 『富山の橋 THE BRIDGES OF TOYAMA』22、23P、(富山県土木部道路課)2012年(平成24年)発行
- ^ a b c d e 一般国道415号 都市計画道路 草島東線 萩浦橋(平成18年11月、富山県)
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)676ページ
- ^ 『富山縣紀夢』(1909年9月26日、富山県発行)238頁。
- ^ f16 富山県(中日本建設コンサルタント、2024年2月17日閲覧)
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)755頁。
- ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)267ページ。
- ^ 『北日本新聞』1986年11月19日付朝刊13面『橋脚にひび入り段差 富山萩浦橋 大型車の通行禁止』より。
- ^ 『北日本新聞』1986年12月19日付朝刊18面『21日に通行止め解除 富山萩浦橋 引き続き橋脚頭部を補強』より。
- ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)433ページ。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『富山の橋 THE BRIDGES OF TOYAMA』(富山県土木部道路課)2012年(平成24年)発行