コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

神峡橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神峡橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 富山県富山市
交差物件 神通川
用途 道路橋
竣工 1969年10月
座標 北緯36度28分21.2秒 東経137度14分27.3秒 / 北緯36.472556度 東経137.240917度 / 36.472556; 137.240917
構造諸元
形式 鋼上路ランガー桁、合成鈑桁、鈑桁橋
全長 145 m
4.5 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

神峡橋(じんきょうばし)は、富山県富山市神通川に架かる橋である。

橋データ

[編集]
  • 左岸 - 富山県富山市猪谷
  • 右岸 - 富山県富山市舟渡
  • 橋の構造 -鋼上路ランガー桁橋(I=1x97.2)、合成鈑桁橋(I=1x29.7)、 鈑桁橋(I=14)[1]
  • 橋長 - 145 m[2]
  • 幅員 - 4.5 m[2]
  • 設計荷主 - 14t[3]
  • 総工費 - 7,500万円(うち3分の2は国庫補助)[4]
  • 施工業者 - 前田建設工業(基礎工事)、川田工業(橋梁工事)[4]

歴史

[編集]

1949年に現橋の約300m下流に最初の吊り橋が架橋される[4][2]。猪谷中学校設置に伴い同年9月10日頃に架橋が完了し[5]9月18日に細入村(当時)の橋梁委員会の下検査を終えたばかりで、同年9月26日に富山県の竣工検査を迎えることになっていたが、地元門はすでに利用を開始していた[6]。しかし、完成間もない同年9月22日に落橋した、同時間帯に渡橋していた八尾区域小学校長会主催の社会科研究会参加の教職員34人の内死者29人、重軽傷者4人を出す被害を出した[7][8]。この事故については、工事業者3人が起訴され、うち1人が禁固1年執行猶予3年の刑を受けた[8]

落橋後は神岡軌道の鉄橋の通行を余儀無くされていたが、1950年9月16日に再架橋のための地鎮祭を行い、位置と長さ、幅員は旧橋と同規模ながら強度においては旧橋に大きく勝る様設計され、細入村、下タ村両村の1951年までの2ヶ年にまたがる事業として国、県の補助を受けて完成。1951年4月1日に『神峡橋』と命名され渡り初めが挙行された。これにより。安心して渡橋出来るようになった[9]

現在の橋は1966年度に市町村道国庫補助道路事業として着工し、同年9月30日の土質調査のためのボーリング工事が村尾建設により着手[10]1969年10月4日に完成したものである[4]

脚注

[編集]
  1. ^ FR16:川を渡る橋・富山県(2023年10月28日閲覧)
  2. ^ a b c 『大沢野町史』(2005年2月28日、大沢野町発行)713頁。
  3. ^ 『細入村史 通史編(上巻)』(1987年3月1日、細入村発行)697頁
  4. ^ a b c d 『大沢野町誌 現代編(昭和三十年 - 昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町発行)318頁。
  5. ^ 『細入村史 通史編(上巻)』(1987年3月1日、細入村発行)615頁
  6. ^ 『細入村史 通史編(上巻)』(1987年3月1日、細入村発行)615 - 616頁
  7. ^ 『目で見る 滑川・新川・婦負の100年』(1993年9月25日、郷土出版社発行)162頁。
  8. ^ a b 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)48頁。
  9. ^ 『細入村史 通史編(上巻)』(1987年3月1日、細入村発行)620 - 621頁
  10. ^ 『大沢野町誌 現代編(昭和三十年 - 昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町発行)391 - 392頁。

関連項目

[編集]