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萩原弥惣治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

萩原 弥惣治(はぎわら やそうじ、1933年昭和8年)9月22日[1] - 2021年令和3年)4月5日)は、日本の政治家。従四位前橋市長(2期)、群馬県議会議員(5期)、第68代群馬県議会議長、前橋市議会議員(3期)などを務めた。

経歴

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群馬県勢多郡城南村(現在の前橋市)出身。群馬県立勢多農林高等学校卒業。

1969年前橋市議会議員に初当選し3期10年務める。

1979年群馬県議会議員に初当選し5期17年務める。1995年5月16日から同年12月14日まで、第68代群馬県議会議長を務めた[2]

1996年の前橋市長選挙に立候補し初当選。2000年、前橋市長選挙で小野寺慶吾を破り2度目の当選。2004年、3期目を目指し、自民党公明党社民党民主党の推薦を受けて市長選に立候補したが、元群馬県議会議長の高木政夫に敗れた。前橋市長選挙に於ける現職市長の落選は、これが市政初の出来事であった。落選後、政界から引退した。

2009年春の叙勲で旭日中綬章受章。

2021年3月11日に大腿骨骨折を負い、前橋市内の病院に入院。その後肺炎が判明したため、同市内の別の病院に転院し加療を続けていたが、同年4月5日、肺炎のため死去[3]。87歳没。死没日をもって従四位に叙される[4]

人物

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  • 市長として、8番街地区の市街地再開発事業撤退、市東部地区の農業振興などの事業を成し遂げた。
  • 県議会議員時代は政策同志会(福田系)に所属。前橋市長就任後は、中曽根系の支援を受けていた小寺弘之に対し、対決姿勢を鮮明に打ち出していた。しかし、2004年の前橋市長選において、県政塾(中曽根系)に属していた高木政夫に敗れてしまった。
  • 2002年に、自伝を刊行して市内の有権者に無料配布したところ、しんぶん赤旗に告発された。
  • 社団法人全国保健センター連合会会長、前橋工業団地造成組合管理者、前橋広域市町村合併協議会会長、国土審議会首都圏整備特別委員会委員、前橋広域市町村圏振興整備組合理事長などの要職を歴任した。
  • 柔道家としても知られる。

主な著作

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  • 「生涯青春・本音で語れば」(あさを社)自伝

脚注

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出典

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、91頁。
  2. ^ 歴代正副議長一覧 - 群馬県議会”. www.pref.gunma.jp. 群馬県. 2024年3月7日閲覧。
  3. ^ 前橋元市長の萩原氏が死去、87歳群馬 - 産経ニュース 2021年4月5日
  4. ^ 『官報』第491号10頁 令和3年5月14日号

関連項目

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公職
先代
藤嶋清多
前橋市旗群馬県前橋市長
1996年 - 2004年
次代
高木政夫
議会
先代
橋爪和夫
群馬県の旗 群馬県議会議長
第68代:1995年
次代
角田登