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山口清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口清
やまぐち きよし
生年月日 1932年12月24日
出生地 日本の旗 日本 群馬県多野郡美九里村
(現群馬県藤岡市)
没年月日 (2015-02-05) 2015年2月5日(82歳没)
出身校 群馬県立藤岡高等学校卒業
(現群馬県立藤岡中央高等学校)
前職 農業
所属政党 (自由民主党→)
(無所属)
自由民主党
称号 従五位
旭日小綬章
藍綬褒章

群馬県の旗 第75代 群馬県議会議長
在任期間 2001年5月29日 - 2002年5月31日

群馬県の旗 群馬県議会議員
選挙区 藤岡市選挙区
当選回数 5回
在任期間 1979年 - 1994年4月17日
1999年 - 2003年

当選回数 2回
在任期間 1967年 - 1975年
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山口 清(やまぐち きよし、1932年12月24日 - 2015年2月5日)は日本の政治家藤岡市議(2期)、群馬県議(5期)、第75代群馬県議会議長を歴任した。

経歴

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1932年12月24日、群馬県多野郡美九里村(現藤岡市)に生まれる[1]1951年群馬県立藤岡高等学校(現群馬県立藤岡中央高等学校)卒業[1][2]1967年、藤岡市議会議員選挙に立候補して初当選を果たし、2期務めた[1][2]。市議会では、総務常任委員長、経済副委員長、藤岡市立図書館運営協議会長、多野藤岡広域市町村圏振興整備組合議会副議長、藤岡新町吉井鬼石環境衛生事務組合監査委員を歴任した[1]1979年4月8日、群馬県議会議員選挙に藤岡市選挙区から立候補して、初当選を果たし4期務める[1]

1994年藤岡市長選挙

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1994年2月14日、藤岡市長選挙への立候補を正式に表明した[3]。同年4月17日、立候補に伴い県議を自動失職した[4][注釈 1]。同年4月25日塚本昭次に破れて落選した[5][6]

※当日有権者数:46,212人 最終投票率:82.12%(前回比:+0.12pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
塚本昭次57無所属19,108票50.9%新生党日本新党群馬県連推薦
日本社会党藤岡支部・公明党藤岡支部支持
山口清61無所属18,455票49.1%-

1999年4月11日、群馬県議会議員選挙で5選を果たして返り咲いた[7]2001年5月29日から2002年5月31日まで第75代群馬県議会議長を務めた。2003年4月13日、6選を目指して県議選に立候補したが、次点で落選した[8]。2015年2月5日、死去した[2]

人物

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  • 趣味は読書、将棋麻雀、狩猟[1]。また、日本将棋連盟藤岡多野支部長、藤岡猟友会会長、群馬県猟友会理事、同会長の役職も歴任した[1]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 前日の記事の段階で肩書きが「県議」となっているため

出典

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  1. ^ a b c d e f g 群馬県議会事務局 編『群馬県議会史』 別巻 [1] (群馬県議会議員名鑑 現代編 第1次改訂版)、群馬県議会、1993年、246頁。 
  2. ^ a b c d e 日外アソシエーツ「WhoPlus」
  3. ^ “山口県議が出馬表明 塚本氏と一騎打ちか 藤岡市長選 /群馬”. 朝日新聞 (前橋): p. 0. (1994年2月15日) 
  4. ^ “藤岡市長選あす告示 新顔2氏「骨肉の争い」か /群馬”. 朝日新聞 (前橋): p. 0. (1994年4月16日) 
  5. ^ “藤岡市長に塚本昭次氏 山口清氏破り初当選 /群馬”. 朝日新聞 (前橋): p. 0. (1994年4月25日) 
  6. ^ “[選挙]藤岡市長に塚本昭次氏が初当選 衆院と統一地方選に影響? /群馬”. 毎日新聞 (前橋). (1994年4月25日) 
  7. ^ 群馬県議会議員選挙 - 藤岡市選挙区候補者一覧 - 1999年04月11日投票 | 群馬県”. 選挙ドットコム. 2021年7月22日閲覧。
  8. ^ 群馬県議会議員選挙 - 藤岡市選挙区候補者一覧 - 2003年04月13日投票 | 群馬県”. 選挙ドットコム. 2021年7月22日閲覧。
  9. ^ “叙位叙勲=群馬”. 読売新聞 (東京): p. 30. (2015年3月7日)