重陽
重陽節 | |
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香港の墓参り | |
正式名称 | 重陽節 (重阳节)[1] |
別名 |
重陽 Jungyangjeol (중양절) [2][3] 菊の節句 ベトナム語: Tết Trùng Cửu [4] |
挙行者 | 漢民族、日本、韓国、ベトナム[2] |
日付 | 太陰暦において9月9日 |
節句 |
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重陽 | |||||||||||||||||||||||
繁体字 | 重陽節 | ||||||||||||||||||||||
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簡体字 | 重阳节 | ||||||||||||||||||||||
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重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、旧暦の9月9日のこと。中国、香港、マカオ、台湾、ベトナムにおいて伝統的な祝日であり、後漢(西暦25年)以前の文献で確認されている[2]。日本では旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句(きくのせっく)とも呼ばれる。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。
中国では祖先の墓を訪れて敬意を払う日である。香港とマカオでは、一族全員が先祖代々の墓を訪れ、墓を綺麗にして捧げものをする。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた[注釈 1][要出典]。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない[5][6]。
中国の重陽
[編集]中国では、『芸文類聚』に魏の文帝が鍾繇へ菊花を贈った記事が見える[注釈 2]。 上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミ)[注釈 3]ではなく呉茱萸(ゴシュユ)の実を入れた袋を肘に下げたり[注釈 4]、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見ること(登高[注釈 5])が行われた[19][20][21]。
中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代である。劉歆による『西京雑記』に、高祖の愛妾であった戚夫人が殺害された後、宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭(ウィキデータ)が、9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったと人に話したことにより、民間でも祝われるようになったとある。
唐代の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは李白の『九月十日即事』からもうかがい知ることができる。
瞿祐(ウィキデータ)(ク ユウ 1341年-1427年)は明代の人で、撰者となった『居家必備』掲載の「四時宜忌」に菊酒が描かれた[22]。
2012年6月26日、十一回全国人民代表大会常委会第二十七次回ではじめて中華人民共和国老年人権益保障法の修訂草案が審議された[23]。その結果、2013年7月1日施行の同法第9条で重陽(旧暦9月9日)を「高齢者の日」(中国語: 老年节)と定めた[24]。
日本における重陽
[編集]平安時代から菊花酒(菊の酒)を飲む風習があり[25]、菅原道真の著書『菅家後集』[26]に見られる。江戸時代に広まっていくが[27]、松尾芭蕉の二句が知られる(17世紀)。
享保から宝暦の和歌をおさめた俳諧集に、春に飾った雛人形をもう一度、この日に飾る「秋の雛」という風習が映しとられた(18世紀初頭から半ば[28])。
参考文献
[編集]本文の出典。主な執筆者、編者の50音順。
- 阿部 兼也「新歳時記 秋の巻--重陽登高」『季刊中国 : 研究誌』第54巻、「季刊中国」刊行委員会、1998年9月、24-27頁、CRID 1522543655084255232、ISSN 0915-5341。
- 石井 貴子、宮澤 節子「本学学生の行事食・儀礼食に関する調査」『日本調理科学会大会研究発表要旨集』第23号、日本調理科学会、、2011年、122頁、CRID 1390282680669723904、doi:10.11402/ajscs.23.0.122.0。。
- 報告者の調査によると、重陽の節句に菊酒を飲んだ経験者は1名のみ(名古屋文理短期大学)。
- 石橋, 四郎 編『和漢酒文献類聚』第一書房、1976年、225-227頁。酉文社1936年(昭和11年)刊の複製。全国書誌番号:77018446、doi:10.11501/12155814。国立国会図書館内限定、遠隔複写可。
- 加藤 和子、千田 真規子「本学学生の家庭における世代間にみた行事食の現状について」『日本調理科学会大会研究発表要旨集』第22号、日本調理科学会、2010年、146頁、CRID 1390001205691156736、doi:10.11402/ajscs.22.0.146.0。。
- 重陽の節句に菊酒やご飯を食した経験のある人は、学生も親世代も1%程度(東京家政大学家政学部)。
- 許, 曼麗「重陽の詩歌 : 詩語、歌語と行事をめぐって」『慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション』第35巻、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、2005年、1-28 (176-149)、CRID 1050282812370609920、ISSN 0911-7229。
- 中村裕一『中国古代の年中行事』 3冊(秋)、汲古書院、東京、2010年、682-754頁。
- 西脇 隆夫「重陽節の「登高」について」『比較民俗学会報』第35巻第4号、比較民俗学会、2015年7月、1-9頁、CRID 1523388080504856704、ISSN 1343-5965。掲載誌別題『Journal of comparative folklore』。
関連資料
[編集]発行年順。
- 陶野文明「北京歳時記 重陽の季節、菊酒を酌み 詩人たちを想う」『Decide = 決断』第21巻第6号、サバイバル出版、2003年10月、p.58-62。OCLC 1101649573、ISSN 0911-291X。掲載誌副題『business world & Chinese survey : magazine for decisionmakers』
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 花びらやそれに付着した花粉に含まれるビタミンCやビタミンEの効果が有ると考えられる
- ^ 「歳往月来、忽復九月九日。九為陽数而日月並応。俗嘉其名、以為宜於長久、故以享宴高会。……思食秋菊之落英、輔体延年。莫斯之貴。謹奉一束、以助彭祖之術」[7]
- ^ グミについて「二五 重陽の酒」[8]あるいは「二九 茱萸(しゅゆ)」[9]で触れる。また契丹(遼国)の重陽の記述[10]にも「3 茱萸(しゅゆ)酒で辟悪す」[11]、塩酒のほかに「茱萸酒を飲む」[12]と記録した。
- ^ 「2 茱萸嚢(しゅゆじょう)」については「二三 重陽の節物」に詳しく[13]、装身具として「1 菊花の簪(かんざし)」「3 茱萸の簪」もあがっている。
- ^ 登高を九日の行事とした節[14]には『続斉諧記』に記録されたことや、唐代[15]から登高を詠んだ詩人として張諤(ちょうがく)、王維、崔国輔、杜甫、白楽天[16]の名を連ね、禁令が出たと示し[17]、契丹でも重陽に登高をしたとある[18]。
出典
[編集]- ^ Zhao, Rongguang (2015). A History of Food Culture in China. SCPG Publishing Corporation. pp. 14. ISBN 978-1938368165
- ^ a b c Roy, Christian (2004). Traditional Festivals: A Multicultural Encyclopedia. pp. 116. ISBN 978-1576070895
- ^ National Folk Museum of Korea (2015). Encyclopedia of Korean Seasonal Customs: Encyclopedia of Korean Folklore and Traditional Culture. Gil-Job-Ie Media. pp. 232
- ^ “Tết Trùng Cửu - Sự thật và Ý nghĩa của nó” (ベトナム語) (2021年1月). 2021年10月14日閲覧。
- ^ 加藤、千田ほか 2010, p. 146
- ^ 石井、宮澤 2011, p. 122
- ^ 『芸文類聚』巻四
- ^ 中村 2010, pp. 720-, 「7 茱萸(しゅゆ)酒の初見」「8 茱萸酒」「9 茱萸を酒に浮かべる所以」「10 白楽天の茱萸酒」「11 契丹(遼国)の茱萸酒」
- ^ 中村 2010, pp. 740-, 「1 茱萸」「2 呉茱萸」「3 食茱萸」「4 山茱萸」
- ^ 中村 2010, pp. 754, 「三二 九日、契丹(遼国)の重陽」
- ^ 中村 2010, p. 755
- ^ 中村 2010, p. 756
- ^ 中村 2010, pp. 713-, 「二三 重陽の節物」
- ^ 中村 2010, pp. 699-, 「一九 九日の登高」
- ^ 中村 2010, pp. 699–703
- ^ 中村 2010, pp. 703–707
- ^ 中村 2010, p. 708
- ^ 中村 2010, pp. 754, 「2 登高・宴会」
- ^ 阿部 1998, pp. 24–27
- ^ 許 2005, pp. 1-28 (176-149)
- ^ 西脇 2015, pp. 1–9
- ^ 石橋 1976, pp. 236, 「四時宜忌」『居家必備』
- ^ “立法聚焦:老年人权益保障法修订草案六大看点” (中国語). 中央政府门户网站. 2012年11月10日閲覧。
- ^ “「高齢者権益保障法」が7月に施行―「喜憂半々」の受け止め、期待と不安と”. 労働政策研究・研修機構 (2013年7月). 2016年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月17日閲覧。
- ^ 石橋 1976, pp. 226, 『延喜式、中宮式』
- ^ 石橋 1976, pp. 236, 『菅家後集、羣書類從』
- ^ 石橋 1976, pp. 225–227、doi:10.11501/12155814。国立国会図書館内限定、遠隔複写可。
- ^ 雲英 末雄『享保宝暦俳諧集』 41巻、早稲田大学出版部〈早稲田大学蔵資料影印叢書 国書篇〉、1995年。 NCID BN13120306。ISBN 4657959034
- ^ JALの「SKYWARD+ (スカイワードプラス)」ウェブサイト、縦のスクロールバーを約30-37%ほど移動して見る; 重陽の節句にまつわる日本の行事; 秋の収穫を祝う九州地方の「くんち」; 「長崎くんち」, 「唐津くんち」, 「博多おくんち」を「日本三大くんち」と呼び…
- JALの「SKYWARD+ (スカイワードプラス)」ウェブサイト、縦のスクロールバーを約30-37%ほど移動して見る; 重陽の節句にまつわる日本の行事; 秋の収穫を祝う九州地方の「くんち」; 「長崎くんち」, 「唐津くんち」, 「博多おくんち」を「日本三大くんち」と呼び… at the Wayback Machine (archived 2020-09-20)