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草深 (印西市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 千葉県 > 印西市 > 草深 (印西市)
草深
千葉県立印旛明誠高等学校
千葉県立印旛明誠高等学校
草深の位置(千葉県内)
草深
草深
草深の位置
北緯35度47分41.2秒 東経140度9分3.7秒 / 北緯35.794778度 東経140.151028度 / 35.794778; 140.151028
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 印西市
地区 船穂地区
標高
31 m
人口
2017年(平成29年)10月31日現在)[1]
 • 合計 3,383人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-1337[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 習志野
※座標・標高は仲ノ側集会所付近

草深(そうふけ)は、千葉県印西市大字郵便番号270-1337[2]

地理

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北は別所牧の台、北東は牧の原西の原、東は東の原、南東は造谷岩戸、南は吉田松崎台結縁寺、南西は高花原山、西は泉野、北西は鹿黒南大森に隣接している。

飛び地があり、滝野牧の原竜腹寺東の原松崎台吉田松崎鹿黒南に隣接している。

歴史

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江戸時代惣深新田であり、下総国印旛郡のうち。印西領・印西筋に属す。もと小金牧のうち印西牧の一部、草深野(惣深野)。

「草深志」によれば、草深野の新田開発として1636年(寛永13年)小金領千足村・新左衛門の出願、許可、失敗がある。のち、1670年(寛文10年)鰭ケ崎村元名主・清重郎ほか6名が出願、許可となり江戸町人も請負人に加わったが資金操りの方は順調ではなかった。草深野の一部が近隣村のもと入会野であったため開発反対もあったが周辺16か村に開発地の一部を分与することで解決された。

寛文(1661年~1673年)・延宝(1673年~1681年)期に徐々に新田開発が進み、1676年(延宝4年)の検地により成立。はじめ幕府領、1839年(天保10年)から浜松藩領、1846年(弘化3年)幕府領となるが、のち再び浜松藩領。村高は「元禄郷帳」2,769石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに2,774石余。1676年(延宝4年)の反別下田40町4反余・下畑489町7反余、屋敷5町3反余、家数120・人数558。割渡され持添新田などとして開発された分は、結縁寺・船尾・松崎・吉田・岩戸・造谷・角田・荒野・竜腹寺・滝・小林・宗甫新田・別所・大森・鹿黒・泉新田の16か村に見える。1774年(安永2年)の家数78・人数378(印旛郡誌)。

1873年(明治6年)千葉県に所属。1889年(明治22年)飛地字関ノ台が宗像村、飛地字池ノ台が本郷村の各一部となり、本村は船穂村の大字となる[4]

年表

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世帯数と人口

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2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
草深 1,182世帯 3,383人

施設

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  • 千葉県立印旛明誠高等学校
  • 原山保育園
  • 仲ノ側集会所
  • 原青年館
  • 柏木台青年館
  • 七軒屋集会所
  • 妙光院
  • 回復院
  • 大師堂
  • 丸山観音堂
  • 慈光山専徳寺僧伽堂
  • 稲荷神社
  • 三宝大荒神社
  • 神明神社
  • すなくぼ第2公園

交通

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路線バス

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道路

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脚注

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  1. ^ a b 印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 498頁
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 771頁
  6. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 837頁
  7. ^ ちばレインボーバス 船尾車庫エリア路線図、2014-03-30閲覧。
  8. ^ ちばレインボーバス 神崎線 路線別時刻表、2014-03-30閲覧。