相嶋 (印西市)
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相嶋 | |
---|---|
北緯35度50分39.2秒 東経140度8分33.9秒 / 北緯35.844222度 東経140.142750度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
標高 | 6 m |
人口 | |
• 合計 | 29人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1321[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
相嶋(あいじま)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1321[2]。
地理
[編集]北は我孫子市布佐、東は茨城県利根町布川、南は浅間前、西発作に隣接している。
小字
[編集]- 六軒堤根南(ろっけんつつみねみなみ)
- 六軒堤根北(ろっけんつつみねきた)
歴史
[編集]江戸時代は相島新田であり、下総国相馬郡のうち。江戸前期から手賀沼開墾により成立した新田村。
寛文年間(1661年~1673年)に開発され、1682年(天和2年)から手賀沼新田請方の反高場となり、年貢を上納。1725年(享保10年)までは布佐村下あるいは布佐村分と称した所のうちと思われ、幕府領。1730年(享保15年)筧播磨守により手賀沼古新田のうち相島新田として検地され村高21石余、さらに1766年(明和3年)・1794年(寛政6年)にも検地が行われ、村高27石余となり、以後村高は『天保郷帳』『旧高旧領取調帳』ともに27石余で、『元禄郷帳』には見えない。1866年(慶応2年)の割付によると、田2町8反余。小物成には、鳥猟運上が永1貫880文、沼役永333文。鳥猟の布瀬村を親浜とする浜組へは1836年(天保7年)から参加。検地帳での屋敷数は、享保年間(1716年~1736年)に1、明和年間(1764年~1772年)に2[4]。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1878年(明治11年) - 南相馬郡に編入。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し印旛郡大杜村と南相馬郡布佐町が発足。
- 1913年(大正2年)3月1日 - 大杜村が町制施行・改称して大森町となる。大森町大字相嶋となる。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 木下町・大森町・船穂村と永治村の一部が合併し印西町が発足。印西町相嶋となる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西町が市制施行して印西市となる。印西市相嶋となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
相嶋 | 19世帯 | 29人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立大森小学校 | 印西市立印西中学校 |
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 51頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1449頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。
関連項目
[編集]我孫子市布佐 | ||||
発作 | 茨城県利根町布川 | |||
相嶋 | ||||
浅間前 |