吉田 (印西市)
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吉田 | |
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北緯35度45分53.8秒 東経140度9分18.1秒 / 北緯35.764944度 東経140.155028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
標高 | 25 m |
人口 | |
• 合計 | 404人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1617[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は吉田地区構造改善センター付近 |
吉田(よしだ)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1617[2]。
地理
[編集]北は草深、東は岩戸、南東は岩戸干拓、南は吉田干拓、南西は八千代市保品、西は松崎、北西は松崎台に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は吉田村であり、下総国印旛郡のうち。「寛文印知集」では寛文4年佐倉藩領分の村と見え、「各村級分」では幕府・旗本川口氏の相給、「旧高旧領」では幕府・佐倉藩の相給。村高は「元禄郷帳」418石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに487石余。なお、幕府領分97石余は延享4年に割り渡された惣深新田分である。水戸街道我孫子宿の助郷村。天保11年頃の反別田31町余・畑16町余・新田畑7町余、ほかに惣深新田分19町余。元治元年頃の年貢は本村分米151石余・永8貫余・鐚123文、惣深新田分米2斗余・永1貫余。文化10年農間渡世人取調書によれば、家数76・人数457、うち居酒屋2・飴菓子屋2・豆腐屋1・髪結1(高石家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は宗像神社・浅間神社、寺院は曹洞宗慈眼寺、真言宗万福寺(印旛郡誌)。明治22年宗像村の大字となる[4]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 宗像村大字吉田になる。
- 1955年(昭和30年)3月10日 - 印旛村吉田となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市吉田となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
吉田 | 167世帯 | 404人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立いには野小学校 | 印西市立印旛中学校 |
施設
[編集]- 吉田地区構造改善センター
- 泉カントリークラブ
- 慈眼寺
- 萬福寺
- 宗像神社
- 浅間神社
- 吉田グラウンド
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 891頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2020年4月1日). 2020年4月14日閲覧。
関連項目
[編集]松崎台 | 草深 | |||
松崎 | 岩戸 | |||
吉田 | ||||
八千代市保品 | 吉田干拓 | 岩戸干拓 |