若椿利信
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若椿 利信(わかつばき としのぶ、1928年3月23日 - )は、二所ノ関部屋、芝田山部屋、花籠部屋に所属した元力士。本名は大町 利信。大阪府堺市出身。168cm、118kg。最高位は西十両2枚目。 得意技は左四つ、寄り。
経歴
[編集]1944年1月場所に初土俵。1952年9月場所に十両昇進。新十両の場所は10勝5敗と二桁勝利を挙げると、そこから4場所連続で勝ち越し、1953年9月場所には自己最高位となる西十両2枚目まで番付を上げた。しかし、その場所は5勝10敗と負け越し、入幕はならなかった。それ以降は成績は下降の一途を辿り、1954年9月場所は初日から6連敗と不振に陥り、急性盲腸炎により途中休場して負け越し、9場所務めた十両の座を明け渡してしまった。幕下陥落後も調子は戻らず、1955年5月場所に27歳で廃業した。勝ち味の速さを活かした左四つからの攻めが持ち味であった[1]。
主な成績
[編集]- 通算成績:183勝180敗11休 勝率.504
- 十両成績:64勝68敗3休 勝率.485
- 現役在位:33場所
- 十両在位:9場所
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1944年 (昭和19年) |
新序 2–1 |
x | 東序ノ口筆頭 1–4 |
西序ノ口4枚目 4–1 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | 西序二段4枚目 2–3 |
東序二段筆頭 3–2 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 国技館修理 のため中止 |
東三段目12枚目 2–5 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 西三段目27枚目 1–4 |
西序二段12枚目 3–3 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 西序二段5枚目 4–2 |
東三段目18枚目 4–2 |
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1949年 (昭和24年) |
東三段目5枚目 5–7 |
x | 西三段目7枚目 8–7 |
東三段目筆頭 7–8 |
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1950年 (昭和25年) |
西三段目2枚目 5–10 |
x | 東三段目8枚目 9–6 |
東三段目筆頭 8–7 |
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1951年 (昭和26年) |
東幕下26枚目 8–7 |
x | 東幕下21枚目 11–4 |
西幕下6枚目 7–8 |
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1952年 (昭和27年) |
西幕下9枚目 9–6 |
x | 西幕下4枚目 10–5 |
西十両17枚目 10–5 |
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1953年 (昭和28年) |
西十両11枚目 9–6 |
東十両8枚目 10–5 |
東十両4枚目 8–7 |
西十両2枚目 5–10 |
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1954年 (昭和29年) |
東十両9枚目 4–11 |
東十両15枚目 7–8 |
西十両16枚目 9–6 |
東十両12枚目 2–10–3[2] |
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1955年 (昭和30年) |
西幕下筆頭 3–5 |
西幕下3枚目 3–5 |
西幕下6枚目 引退 0–0–8 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 豊風 利信(とよかぜ としのぶ)1944年1月場所 - 1946年11月場所
- 若椿 利信(わかつばき としのぶ)1947年6月場所 - 1955年5月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]- ^ 相撲人名鑑(若椿 利信)
- ^ 急性盲腸炎により7日目から途中休場、11日目から再出場
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 若椿 利信 - 相撲レファレンス