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若椿利信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若椿 利信(わかつばき としのぶ、1928年3月23日 - )は、二所ノ関部屋芝田山部屋、花籠部屋に所属した元力士。本名は大町 利信大阪府堺市出身。168cm、118kg。最高位は西十両2枚目。 得意技は左四つ、寄り。

経歴

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1944年1月場所に初土俵。1952年9月場所に十両昇進。新十両の場所は10勝5敗と二桁勝利を挙げると、そこから4場所連続で勝ち越し、1953年9月場所には自己最高位となる西十両2枚目まで番付を上げた。しかし、その場所は5勝10敗と負け越し、入幕はならなかった。それ以降は成績は下降の一途を辿り、1954年9月場所は初日から6連敗と不振に陥り、急性盲腸炎により途中休場して負け越し、9場所務めた十両の座を明け渡してしまった。幕下陥落後も調子は戻らず、1955年5月場所に27歳で廃業した。勝ち味の速さを活かした左四つからの攻めが持ち味であった[1]

主な成績

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  • 通算成績:183勝180敗11休 勝率.504
  • 十両成績:64勝68敗3休 勝率.485
  • 現役在位:33場所
  • 十両在位:9場所

場所別成績

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若椿 利信
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1944年
(昭和19年)
新序
2–1 
x 東序ノ口筆頭
1–4 
西序ノ口4枚目
4–1 
1945年
(昭和20年)
x x 西序二段4枚目
2–3 
東序二段筆頭
3–2 
1946年
(昭和21年)
x x 国技館修理
のため中止
東三段目12枚目
2–5 
1947年
(昭和22年)
x x 西三段目27枚目
1–4 
西序二段12枚目
3–3 
1948年
(昭和23年)
x x 西序二段5枚目
4–2 
東三段目18枚目
4–2 
1949年
(昭和24年)
東三段目5枚目
5–7 
x 西三段目7枚目
8–7 
東三段目筆頭
7–8 
1950年
(昭和25年)
西三段目2枚目
5–10 
x 東三段目8枚目
9–6 
東三段目筆頭
8–7 
1951年
(昭和26年)
東幕下26枚目
8–7 
x 東幕下21枚目
11–4 
西幕下6枚目
7–8 
1952年
(昭和27年)
西幕下9枚目
9–6 
x 西幕下4枚目
10–5 
西十両17枚目
10–5 
1953年
(昭和28年)
西十両11枚目
9–6 
東十両8枚目
10–5 
東十両4枚目
8–7 
西十両2枚目
5–10 
1954年
(昭和29年)
東十両9枚目
4–11 
東十両15枚目
7–8 
西十両16枚目
9–6 
東十両12枚目
2–10–3[2] 
1955年
(昭和30年)
西幕下筆頭
3–5 
西幕下3枚目
3–5 
西幕下6枚目
引退
0–0–8
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 豊風 利信(とよかぜ としのぶ)1944年1月場所 - 1946年11月場所
  • 若椿 利信(わかつばき としのぶ)1947年6月場所 - 1955年5月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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  1. ^ 相撲人名鑑(若椿 利信)
  2. ^ 急性盲腸炎により7日目から途中休場、11日目から再出場

関連項目

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外部リンク

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