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若吉葉重幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若吉葉 重幸
基礎情報
四股名 千葉の山 重幸 → 若吉葉 重幸 → 千葉の山 重幸 → 若吉葉 重幸 → 千葉の山 重幸
本名 千葉 重幸
生年月日 1945年10月26日
没年月日 (2017-02-23) 2017年2月23日(71歳没)
出身 北海道夕張市
身長 177cm
体重 88kg
BMI 28.09
所属部屋 宮城野部屋
得意技 左四つ、出し投げ、掬い投げ、足癖
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭6枚目
生涯戦歴 263勝260敗34休 (51場所)
幕内戦歴 22勝32敗6休 (4場所)
優勝 幕下優勝2回
データ
初土俵 1962年1月場所
入幕 1967年7月場所
引退 1970年7月場所
備考
2019年7月22日現在

若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 - 2017年2月23日)は、北海道夕張市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は千葉 重幸(ちば しげゆき)。最高位は西前頭6枚目(1967年11月場所)。現役時代の体格は177cm、88kg。得意手は左四つ、出し投げ、掬い投げ、足癖。

来歴・人物

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実家は豆腐屋で、11人兄弟姉妹の末っ子として誕生。父親は重幸が1歳の誕生日を迎える前に急逝し、母親とも、14歳の時に死に別れている。

兄や姉達は夕張炭鉱で働いていたが、中学生の頃力士になりたいと志望し、親代わりの長兄の強い反対を押し切って1960年に上京。同郷の元横綱吉葉山が率いる宮城野部屋へ入門した。新弟子検査は5回受けたが体重不足のため4回続けて不合格となり、5回目にして漸く受かった。

1962年1月場所にて、16歳で初土俵。なお、同期の初土俵組には、後の小結大潮らがいる。翌3月場所、「千葉の山(ちばのやま)」の名で序ノ口に付いた。

体格には恵まれていなかったが順調に出世し、1965年1月場所では幕下で7勝0敗と好成績を残して、幕下優勝を果たした。そしてこれを手土産に翌場所、新十両に昇進。また、十両昇進を機に四股名を師匠の現役名に因んだ「若吉葉(わかよしば)」に改めた。

その後、1967年7月場所で新入幕。同年11月場所では最高位となる西前頭6枚目に昇進したが、幕内では体が小さいため、自分のしぶとい相撲は通用しなかった。

1968年3月場所では十両へ陥落し、以後、幕内への復帰は叶わなかった。左肩や右足首の怪我により、最後は三段目8枚目まで番付を下げて1970年7月場所後、24歳で引退。なお引退時の四股名は、序ノ口当時と同じ「千葉の山」である。

引退後は日本相撲協会に残らず直ちに帰郷し、札幌市東区にて食堂「若吉葉」を経営した(2001年まで営業)。

2017年2月23日午後1時55分、神経性分泌癌のため札幌市内の病院で死去。71歳没[1]

主な戦績

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  • 通算成績:263勝260敗34休 勝率.503
  • 幕内成績:22勝32敗6休 勝率.407
  • 現役在位:51場所
  • 幕内在位:4場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:2回(1965年1月場所、1969年5月場所)

場所別成績

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若吉葉 重幸
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1962年
(昭和37年)
(前相撲) 西序ノ口9枚目
5–2 
東序二段61枚目
5–2 
東序二段8枚目
4–3 
西三段目84枚目
4–3 
西三段目67枚目
4–3 
1963年
(昭和38年)
西三段目57枚目
5–2 
西三段目16枚目
5–2 
東幕下83枚目
4–3 
東幕下73枚目
3–4 
西幕下81枚目
3–4 
東幕下88枚目
7–0 
1964年
(昭和39年)
東幕下11枚目
3–4 
東幕下13枚目
3–4 
東幕下16枚目
3–4 
西幕下19枚目
5–2 
西幕下12枚目
4–3 
西幕下8枚目
3–4 
1965年
(昭和40年)
西幕下11枚目
優勝
7–0
西十両17枚目
9–6 
西十両11枚目
7–8 
東十両14枚目
8–7 
東十両13枚目
8–7 
東十両9枚目
6–9 
1966年
(昭和41年)
西十両12枚目
8–7 
東十両8枚目
7–8 
東十両9枚目
9–6 
西十両4枚目
1–5–9 
西十両18枚目
8–7 
東十両13枚目
8–7 
1967年
(昭和42年)
東十両9枚目
9–6 
西十両6枚目
10–5 
西十両4枚目
10–5 
西前頭9枚目
7–8 
東前頭11枚目
8–7 
西前頭6枚目
5–10 
1968年
(昭和43年)
西前頭11枚目
2–7–6[2] 
東十両5枚目
7–8 
東十両6枚目
6–9 
東十両10枚目
8–7 
西十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
3–12 
1969年
(昭和44年)
東十両13枚目
3–12 
東幕下8枚目
3–4 
東幕下11枚目
優勝
7–0
東十両11枚目
0–3–12 
西幕下10枚目
3–4 
東幕下14枚目
2–5 
1970年
(昭和45年)
西幕下25枚目
2–5 
東幕下36枚目
2–5 
西幕下52枚目
2–5 
西三段目8枚目
引退
0–0–7
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 0 2 海乃山 1 1 開隆山 0 2 高鉄山 1 0
大雄 2 1 鶴ヶ嶺 1 0 天水山 1 1 時葉山 1 1
戸田 2 1 栃東 1 1 豊國 1 1 花光 2 1
富士錦 0 2 藤ノ川 1 2 二子岳 1 1 前の山 0 2
禊鳳 3 1 義ノ花 0 1 若秩父 0 1 若天龍 0 1
若浪 0 3(1) 若ノ國 0 2 若二瀬 1 1 若見山 2 2
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。

改名歴

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  • 千葉の山 重幸(ちばのやま しげゆき、1962年3月場所-1965年1月場所、1969年3月場所-1969年5月場所、1969年9月場所-1970年7月場所)※幕下以下での四股名。
  • 若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1965年3月場所-1969年1月場所、1969年7月場所)※十両、および幕内在位時の四股名。

脚注

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  1. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年7月号(名古屋場所展望号) 127頁
  2. ^ 左肩関節脱臼により5日目から途中休場、12日目から再出場

関連項目

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参考文献

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