芳村伊十郎 (7代目)
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しちだいめ よしむら いじゅうろう 七代目 芳村 伊十郎 | |
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本名 |
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生年月日 | (1901-08-23) 1901年8月23日 |
没年月日 | (1973-09-20) 1973年9月20日(72歳没) |
出生地 | 東京府東京市浅草区 |
死没地 | 東京都 |
国籍 | |
職業 | 江戸長唄唄方 |
活動期間 | 1919年–1967年 |
活動内容 | 江戸長唄唄方 |
著名な家族 |
養父 八代目芳村伊四郎 長男 十代目芳村伊四郎 弟 土屋啓之助 |
主な作品 | |
『二人椀久』、 『勧進帳』、 『鏡獅子』、 『楠公』、 『新曲浦島』、 『時雨西行』、 『多摩川』、 『四季の山姥』、 『賤機帯』、 『梅の榮』、 『吉原雀』、 『京鹿子道成寺』、 『綱館』、 『橋弁慶』、 『島の千歳』、 ほか | |
受賞 | |
1957年 芸術院賞 | |
備考 | |
1956年 人間国宝 | |
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七代目 芳村 伊十郎(しちだいめ よしむら いじゅうろう、1901年(明治34年)8月23日 - 1973年(昭和48年)9月20日)は江戸長唄の唄方。本名は太田 重次郎(おおた しげじろう)。東京市浅草区生まれ[1]。
経歴
[編集]- 1919年(大正8年) 八代目芳村伊四郎に入門、養子となる。
- 1921年(大正10年) 芳村辰三郎を名乗る。
- 1933年(昭和8年) 芳村金五郎を名乗る。
- 1938年(昭和13年) 九代目芳村伊四郎を襲名。
- 1950年(昭和25年) 七代目芳村伊十郎を襲名。
- 1956年(昭和31年) 長唄協会理事長、同会長。
- 1967年(昭和42年) 京都南座顔見世出演中に脳梗塞で倒れる。
- 1973年(昭和48年)9月20日 死去、満72歳。墓所は多磨霊園。
受賞等
[編集]人物
[編集]映画監督の土屋啓之助は実弟[2]。芸よく、顔良く、女性によくモテた。三味線方の杵屋勝東治(俳優の若山富三郎と勝新太郎兄弟の父親)、囃子方の初代藤舎呂船とともに花柳界では三羽烏として有名だった。
CD
[編集]アルバム
[編集]- 『七世芳村伊十郎長唄大全集』 1997年、日本コロムビア(1964年にレコード発売されたものをCD化)
出典
[編集]- ^ 芳村伊十郎(7代目) コトバンク
- ^ 『マグマ大使パーフェクトブック』(白夜書房)
外部リンク
[編集]日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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