花野巧
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同志社大学硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県 |
生年月日 | 1953年9月21日(71歳) |
身長 体重 |
174 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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花野 巧(はなの たくみ、1953年9月21日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手。
来歴・人物
[編集]海南高校では尾崎健夫、大石友好のバッテリーを擁し、1971年春季四国大会県予選で優勝するが、県代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れ四国大会には進めなかった。同年夏も県予選準々決勝で池田高に敗れ、甲子園には出場できなかった。
同志社大学商学部に入学。同期のエース田尾安志を擁し、関西六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1973年の全日本大学野球選手権大会は準決勝に進むが、中大の田村政雄に完封負けを喫する。同年の明治神宮野球大会は決勝で駒大に敗れ準優勝。1974年の明治神宮野球大会もベスト4に喰い込む。強打の三塁手として活躍し、1975年の春・秋季リーグで連続して首位打者を獲得した[1]。また1975年のアジア野球選手権大会の日本代表にも選ばれた。
大学卒業後は社会人野球の日本生命に入社。1985年の都市対抗野球では三塁手として活躍。決勝で東芝に逆転勝ちし優勝を飾る[2]。同大会では17打数9安打、6打点という成績を残し打撃賞を獲得、また10年連続出場選手として表彰されている。同年の社会人ベストナインにも選出された[2]。
2010年から2014年まで杉浦正則の後を継いで日本生命の監督を務め、2014年の社会人野球選手権ではチームをベスト4に導いた。その後、富山県高岡市の伏木海陸運送のヘッドコーチを経て[3]、2020年12月から母校の同志社大学の監督を務める[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 同志社大学体育会硬式野球部 花野巧 氏の監督就任について 2020年12月17日閲覧
- ^ a b 「日本社会人野球協会会報1985」日本社会人野球協会 1986年
- ^ 伏木海陸、全国大会Vへ新体制 初ヘッドコーチに花野氏 /富山 毎日新聞 2020年12月17日閲覧