脇坂安興
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保2年5月11日(1717年6月19日) |
死没 | 延享4年8月10日(1747年9月14日) |
改名 | 豊之助(幼名)、安興 |
墓所 |
京都府京都市右京区花園の妙心寺隣花院 東京都中野区上高田の青原寺 |
官位 | 従五位下中務少輔、淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 播磨龍野藩主 |
氏族 | 脇坂氏 |
父母 | 父:脇坂安清、母:慈性院 |
兄弟 | 安貞、清次郎、安興、甘露寺規長継室、内藤政里正室、女子 |
妻 |
正室:津軽信興の娘 側室:本間氏、小堀氏 |
子 | 宝勝院、安弘、安実、竹腰勝起正室、片桐貞芳正室、斉藤三益継室 |
脇坂 安興(わきさか やすおき)は、江戸時代中期の大名。播磨国龍野藩の第4代藩主。龍野藩脇坂家6代。官位は従五位下中務少輔、淡路守。
略歴
[編集]享保2年(1717年)5月11日、第3代藩主・脇坂安清の3男[1]として誕生。
兄・安貞が早世したために世子となり、享保7年(1722年)の父の死去により跡を継いだ。享保16年(1731年)12月に叙任される。元文5年(1740年)には龍野の史書である『龍野志』が編纂された。
延享4年(1747年)8月10日に死去し、跡を長男・安弘が継いだ。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 異説として次男。