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板倉勝武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
板倉勝武
板倉勝武
時代 江戸時代中期
生誕 享保20年12月20日1736年2月1日
死没 明和6年5月27日1769年6月30日
戒名 大光院殿普照源海大居士
墓所 西尾市長圓寺
官位 従五位下美濃守
幕府 江戸幕府 奏者番
主君 徳川家重家治
備中松山藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝澄、根津氏
兄弟 勝武戸田光邦勝従勝行勝政
勝峯伊奈忠尊勝房前田利尚正室、
堀直泰正室、巨勢利喬正室、
菅沼定前正室、本多忠盈正室ら
脇坂安興娘宝勝院、市場氏
板倉勝志継室、貞操院、勝従
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板倉 勝武(いたくら かつたけ)は、江戸時代中期の大名備中国松山藩2代藩主。官位従五位下美濃守。板倉家宗家8代。

略歴

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享保20年(1735年)12月20日、初代藩主・板倉勝澄の長男として誕生。

板倉勝武の墓(西尾市長圓寺)

宝暦元年(1751年)9月23日、父の隠居により家督を継ぐ。明和元年(1764年)に奏者番となったが、明和5年(1768年)に病を理由に辞任し、翌年5月27日、父が死去して僅か24日後に後を追うように死去した。享年35。跡を弟の勝従が継いだ。法号は大光院殿普照源海大居士。

系譜

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