脇坂安弘
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文3年1月21日(1738年3月11日) |
死没 | 宝暦7年7月17日(1757年8月31日) |
別名 | 主殿(通称) |
戒名 | 定恵院殿 |
墓所 |
京都府京都市右京区花園の妙心寺隣花院 東京都中野区上高田の青原寺 |
官位 | 従五位下中務少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重 |
藩 | 播磨龍野藩主 |
氏族 | 脇坂氏 |
父母 | 脇坂安興、津軽信興娘 |
兄弟 |
宝勝院、安弘、安実、竹腰勝起正室、 片桐貞芳正室、斉藤三益継室 |
妻 | 松平忠名娘 |
子 | 安実 |
脇坂 安弘(わきさか やすひろ)は、江戸時代中期の大名。播磨国龍野藩5代藩主。龍野藩脇坂家7代。官位は従五位下中務少輔。
略歴
[編集]元文3年(1738年)1月21日、4代藩主・脇坂安興の長男として誕生。延享4年(1747年)に父が死去したため、家督を継いだ。12月に従五位下・中務少輔に叙位・任官する。
宝暦7年(1757年)7月17日に江戸で死去した。享年20。跡を異母弟で養子・安実が継いだ。