米多北助
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米多 北助 (めた の ほぞ、生没年不詳)は、飛鳥時代の豪族。姓は君。位階は従五位下。
出自
[編集]米多氏(米多君)は米多国造家の氏で、応神天皇の後裔とする皇別氏族[1]。米多国とは肥前国三根郡米多郷(現在の佐賀県三養基郡上峰町大字前牟田の米多一帯)の地を指し[2]、その国造家は応神天皇の曾孫・都紀女加を国造に定めたことに始まるという[3]。
経歴
[編集]文武朝の大宝4年(704年)従五位下に叙爵する。この時に同じく従五位下に昇った官人に、穂積山守・巨勢久須比・大神狛麻呂・佐伯乗麻呂・采女枚夫・太安万侶・阿倍首名・田口益人・笠麻呂・石上豊庭・大伴道足・漆部道麻呂・多治比三宅麻呂・台八嶋がいる。
慶雲4年(707年)文武天皇の葬儀にあたって、犬上王・采女枚夫・多治比三宅麻呂・黄文本実とともに、御装司を務めた。
官歴
[編集]『続日本紀』による。