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黄文本実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黄文 本実 (きぶみ の ほんじつ、生没年不詳)は、飛鳥時代貴族。氏は黄書とも記される。のち官位従五位下鋳銭司

経歴

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天智天皇8年(669年)の第七次遣唐使で渡唐したとみられ、王玄策が中天竺で転写した仏足石図の普光寺で再転写し日本に請来した伝承があるほか[1]、天智天皇10年(671年)天皇に献上した土木・建築に用いる水臬(みずばかり=水準器)についても[2]、同じく唐より持ち帰った物か[3]

天武天皇12年(684年八色の姓の制定により一族とともに、姓から姓に改姓した[4]

持統天皇8年(694年大宅麻呂台八嶋とともに鋳銭司に任ぜられている。この時の冠位は勤大弐。

大宝元年(701年大宝令位階制の制定に伴って従五位下となり、大宝2年(702年)持統上皇の崩御に際して、穂積親王犬上王路大人佐伯百足とともに作殯宮司を務める。慶雲4年(707年)6月の文武天皇の崩御に際しては、志貴皇子・犬上王・小野毛野・佐伯百足とともに殯宮の行事を勤め、同年10月の大葬に際しても御装司を務めた。

また、高松塚古墳壁画を描いた人物とする説もある[5]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『仏足石記』薬師寺所蔵
  2. ^ 『日本書紀』天智天皇10年3月3日条
  3. ^ 坂本,平野[1990: 245]
  4. ^ 『日本書紀』天武天皇12年9月23日条
  5. ^ 井上薫「白鳳・奈良朝の黄文画師」(奈良県教育委員会他編『壁画古墳高松塚』所収)より

参考文献

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