綾波 (初代神風型駆逐艦)
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(第九号掃海艇 (初代)から転送)
艦歴 | |
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発注: | 1906年度 |
起工: | 1908年5月15日 |
進水: | 1909年3月20日 |
就役: | 1909年6月26日 |
除籍: | 1930年6月1日雑役船編入 |
その後: | 1933年4月19日廃船 |
性能諸元 | |
排水量: | 常備:381t 満載:450t |
全長: | 69.2m |
全幅: | 6.6m |
吃水: | 1.8m |
機関: | レシプロエンジン2基2軸、6,000馬力 |
最大速: | 29.0ノット |
兵員: | 70名 |
兵装: | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
綾波(あやなみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。神風型駆逐艦(初代)の32番(最終)艦である。艦名は重なりあって寄せる波から由来する。
「綾波」の名を受け継いだ日本の艦艇としては吹雪型駆逐艦「綾波」、あやなみ型護衛艦「DD-103 あやなみ」がある。
艦歴
[編集]舞鶴海軍工廠で1908年(明治41年)5月15日に起工され、翌年6月26日竣工した。1924年(大正13年)に掃海艇(第9号掃海艇)に変更され、1930年(昭和5年)には雑役船(交通船兼曳船・公称第757号)となっている。1933年(昭和8年)4月19日に廃船。
艦長等
[編集]※『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 駆逐艦長
- 松下惣吉 大尉:1909年6月1日 - 10月11日 *兼舞鶴海軍工廠艤装員(-1909年7月9日)
- 大谷喜雄 大尉:1909年10月11日 - 1911年5月23日
- 藤田三他人 大尉:1911年5月23日 - 1912年12月1日
- 柴田七郎 大尉:1912年12月1日 - 1913年5月24日
- 横尾敬義 大尉:1913年5月24日 - 1913年12月1日
- 吉田良鋭 少佐:1913年12月1日 - 不詳
- 白戸光久 少佐:不詳 - 1916年9月12日
- 吉田健介 大尉:1916年9月12日 - 1917年12月1日[1]
- 彭城昌国 大尉:1917年12月1日[1] - 1919年12月24日[2]
- 山本弥七 大尉:1919年12月24日[2] - 1921年1月10日[3]
- 堀江吉正 大尉:1921年1月10日[3] - 11月20日[4]
- 池田七郎 大尉:1921年11月20日[4] - 1923年2月15日[5]
- 中原達平 大尉:1923年2月15日[5] - 1923年10月20日[6]
- 掃海艇長
- 門前鼎 大尉:1924年12月1日 - 1926年12月1日
- 有田貢 大尉:1926年12月1日[7] - 1928年11月1日[8]
- 岡崎文勳 大尉:1928年11月1日[8] - 1929年11月30日[9]
- (兼)萱場松次郎 少佐:1929年11月30日[9] - 1930年1月20日[10]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『官報』