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第五号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 大正12年度計画[1]
起工 1928年3月25日[1]
進水 1928年10月30日[1]
竣工 1929年2月25日[1]
その後 1944年11月4日雷撃により沈没[1]
除籍 1945年3月10日[1]
性能諸元
排水量 基準:620トン
公試:717トン
全長 77.00m
全幅 8.25m
吃水 2.25m
機関 ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2]
3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、4,000馬力
速力 21.0ノット[3]
航続距離 14ノットで2,000海里
燃料 石炭:150トン
乗員 91名
兵装 45口径三年式12cm砲 2門
40口径三年式8cm高角砲 単装1門
九一式爆雷投射機2基
爆雷投下台
爆雷18個
掃海具、または機雷50個

第五号掃海艇(だいごごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第五号型掃海艇の1番艦。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では第一号型に含まれる[4]

艦歴

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1928年昭和3年)3月25日、三井物産造船部玉工場で起工[1]。同年10月30日進水1929年(昭和4年)2月25日に竣工。第五号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。

1937年昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]太平洋戦争では、南方侵攻作戦、船団護衛に従事[1]1944年(昭和19年)11月4日、マラッカ海峡でイギリス潜水艦「テラピン英語版」の雷撃を受け沈没[1]1945年(昭和20年)3月10日に除籍。

歴代艇長

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※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 有田貢 大尉:1928年11月1日[5] -
艇長
  • 有田貢 大尉:1929年2月25日[6] - 1929年11月1日[7]
  • 北村昌幸 大尉:1929年11月1日 - 1931年10月12日
  • 西川一男 大尉:1931年10月12日[8] - 1932年12月1日[9]
  • 磯久研磨 大尉:1932年12月1日 - 1933年5月20日
  • 今里義光 大尉:1933年5月20日[10] - 1933年11月1日[11]
  • 白浜政七 大尉:1933年11月1日 - 1934年11月1日
  • 阿部徳馬 大尉:1934年11月1日[12] - 1935年11月15日[13]
  • 広瀬弘 少佐:1935年11月15日[13] - 1936年12月1日[14]
  • 岡戸靖彦 少佐:1936年12月1日[14] - 1938年2月26日[15]
  • 梶原正見 少佐:1938年2月26日[15] - 1938年7月11日
  • (兼)富田捨造 少佐:1938年7月11日 - 1938年7月28日
  • (兼)岡戸靖彦 少佐:1938年7月28日[16] - 1938年8月10日[17]
  • 氏家忠三 大尉:1938年8月10日[17] - 1938年11月5日[18]
  • 樋口信夫 少佐:1938年11月5日[18] -
  • 加茂喜代之 少佐:不詳 - 1940年1月25日[19]
  • 柴山一雄 少佐:1940年1月25日[19] - 1940年10月15日[20]
  • 森新一 大尉:1940年10月15日[21] - 1941年9月10日[22]
  • 小梨三郎 予備大尉:1941年9月10日[22] -

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  2. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
  3. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると20.0ノット。
  4. ^ 大正15年11月29日付 海軍内令 第238号。
  5. ^ 『官報』第558号、昭和3年11月2日。
  6. ^ 『官報』第647号、昭和4年2月27日。
  7. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  8. ^ 『官報』第1439号、昭和6年10月14日。
  9. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  10. ^ 『官報』第1914号、昭和8年5月22日。
  11. ^ 『官報』第2053号、昭和8年11月2日。
  12. ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  13. ^ a b 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  14. ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  15. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第142号 昭和13年2月28日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 
  16. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第217号 昭和13年7月28日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  17. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第223号 昭和13年8月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  18. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第257号 昭和13年11月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500 
  19. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第433号 昭和15年1月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
  20. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  21. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100 
  22. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第708号 昭和16年9月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 

参考文献

[編集]
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。