穂積遺跡
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所在地 | 日本 大阪府豊中市服部西町 |
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種類 | 遺跡(埋蔵文化財包蔵地) |
歴史 | |
時代 | 縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代、中世、近世等 |
追加情報 | |
発掘期間 | 1992年-1994年 |
穂積遺跡(ほづみいせき[1])は、大阪府豊中市の阪急宝塚線服部天神駅とその西側約2キロメートル四方に広がる縄文時代から弥生時代・古墳時代・平安時代・中世・近世にかけての複合遺跡である[2]。史跡指定はされていないが、出土遺物の一部が豊中市指定有形文化財に指定されている[3]。
歴史
[編集]縄文時代
[編集]第14次・15次調査では、地表下約3メートルのところで、約4500年から6000年前の海成層を検出し、干潟に生息していた40種以上の貝が群生した状態で検出されている。また、その海成層からは網のおもりに使った土器片錘(縄文土器片)が見つかっている[4]。
弥生時代
[編集]穂積遺跡第18次発掘調査(1996年)では、弥生時代末期の竪穴建物わきの溝から連結鏃(やじり)が見つかっている。5連完成1セット、4連一部破損品2セットの計3セット。鋳型に銅を流し込んで、切り離して整形する前、研磨にいたるまでの半完成品。大きさは1個あたり全長30mm 前後の小型品[5]。
中世
[編集]平安時代後期より集落が形成されはじめ、鎌倉時代から室町時代に最盛期をむかえる。1次、4次、5次調査により、掘立柱建物、井戸、池状遺構、溝状遺構、土杭、小銭。また、溝状遺構は用水路の用途だけでは無く、環壕の役割を持っていた可能性もある[6]。
近世
[編集]中世から建設が開始された穂積村囲堤は昭和時代まで利用されていた。
文化財
[編集]- 穂積遺跡出土井戸(鎌倉時代):個数1、豊中市指定有形文化財、指定番号31、美術工芸品・考古、指定年月日:1987年9月1日[7]
- 穂積遺跡出土銅鏃未成品(弥生終末期):個数3、豊中市指定有形文化財、指定番号54、美術工芸品・考古、指定年月日:2000年4月1日[3]
脚注
[編集]- ^ “穂積遺跡第14次・15次発掘調査報告”. sitereports.nabunken.go.jp. 2018年11月5日閲覧。
- ^ 朝日新聞 1993年2月25日 朝刊 P1 縄文の古代貝ザクザク 豊中・穂積遺跡で出土【大阪】
- ^ a b 豊中市教育委員会社会教育課. “豊中市指定文化財等一覧表”. 豊中市. 2023年7月9日閲覧。
- ^ 「豊中市文化財調査報告 第46集 穂積遺跡第14・15次発掘調査報告 豊中市南部における縄文海進期の基礎的研究」
- ^ 豊中市教育委員会, 豊中市埋蔵文化財年報(1996,97年度版), Vol.6, March,1999, pp46-47.
- ^ 豊中市 新修 豊中市史 第四巻 考古 P.497
- ^ 豊中市教育委員会社会教育課. “市指定文化財 井戸”. 豊中市. 2023年7月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 『豊中市文化財調査報告 第46集 穂積遺跡第14・15次発掘調査報告-豊中市南部における縄文海進期の基礎的研究』 1999 豊中市教育委員会(PDFは、表紙、刊行にあたって、例言、目次のみ)
- 「縄文の海を掘る-穂積遺跡第14次調査の成果」1993『文化財ニュース豊中』No.19, p.1-8
- 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』2008 豊中市教育委員会
外部リンク
[編集]画像外部リンク | |
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大阪府地図情報提供システム(埋蔵文化財) |