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稲葉幾通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲葉幾通
稲葉幾通像(臼杵市・月桂寺所蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化12年3月29日1815年5月8日
死没 天保14年12月17日1844年2月5日
改名 邦次郎、辰次郎、幾通
戒名 本誠院殿一寛宗仁大居士
墓所 大分県臼杵市の月桂寺
官位 従五位下備中守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
豊後臼杵藩
氏族 稲葉氏
父母 稲葉雍通稲葉尊通
兄弟 尊通幾通通臧通孚松平康爵正室、松平輝茂正室
奥平昌高
観通
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稲葉 幾通(いなば ちかみち)は、豊後国臼杵藩13代藩主。

経歴

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文政4年(1821年)、兄で先代藩主の尊通の死去により、父によって(死後であるが)尊通との養子縁組が行なわれ、新たな藩主として擁立された。擁立時、7歳という若年だったため、藩政は隠居した父によって全て成されていた。

天保7年(1836年)、中津藩、奥平昌高の六女と結婚したが嗣子はなく、側室の間に設けた一男一女も夭折した。このような状態で体調が悪化。万が一の際でも藩の存続を図るため、天保13年(1843年)、幕府に対し甥の冨太郎と仮養子縁組を届け出ている[1]。体調はその後も回復しないまま、兄同様父に先立って天保14年(1843年)12月17日に29歳で死去。跡を仮養子の手続きを行なっていた冨太郎が観通として継いだ。

系譜

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父母

正室

養子

出典

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  1. ^ 江後迪子 (1999年). 隠居大名の江戸暮らし. 吉川弘文館. p. 75ページ. ISBN 4-642-05474-X