稲葉幾通
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稲葉幾通像(臼杵市・月桂寺所蔵) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文化12年3月29日(1815年5月8日) |
死没 | 天保14年12月17日(1844年2月5日) |
改名 | 邦次郎、辰次郎、幾通 |
戒名 | 本誠院殿一寛宗仁大居士 |
墓所 | 大分県臼杵市の月桂寺 |
官位 | 従五位下備中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 豊後臼杵藩主 |
氏族 | 稲葉氏 |
父母 | 稲葉雍通、稲葉尊通 |
兄弟 | 尊通、幾通、通臧、通孚、松平康爵正室、松平輝茂正室 |
妻 | 奥平昌高娘 |
子 | 観通 |
経歴
[編集]文政4年(1821年)、兄で先代藩主の尊通の死去により、父によって(死後であるが)尊通との養子縁組が行なわれ、新たな藩主として擁立された。擁立時、7歳という若年だったため、藩政は隠居した父によって全て成されていた。
天保7年(1836年)、中津藩、奥平昌高の六女と結婚したが嗣子はなく、側室の間に設けた一男一女も夭折した。このような状態で体調が悪化。万が一の際でも藩の存続を図るため、天保13年(1843年)、幕府に対し甥の冨太郎と仮養子縁組を届け出ている[1]。体調はその後も回復しないまま、兄同様父に先立って天保14年(1843年)12月17日に29歳で死去。跡を仮養子の手続きを行なっていた冨太郎が観通として継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- サク姫 ー 奥平昌高の娘
養子
出典
[編集]- ^ 江後迪子 (1999年). 隠居大名の江戸暮らし. 吉川弘文館. p. 75ページ. ISBN 4-642-05474-X