秋月種羽
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄6年(1693年)[1] |
死没 | 宝永6年5月3日(1709年6月10日) |
改名 | 十三郎、種羽 |
別名 | 伊織(通称) |
戒名 | 宗證 |
墓所 | 下谷広徳寺の梅雲院 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家宣 |
氏族 | 秋月氏 |
父母 | 秋月種封、織田長頼娘 |
兄弟 |
民部、種羽、牧野忠列、種輔、 松浦棟養女、真田信清室、松浦信秀、 中村道重 |
子 | 種輔 |
秋月 種羽(あきづき たねのぶ)は、江戸時代中期の旗本寄合席。高鍋藩主秋月家分家の木脇(現在の国富町)領主秋月家2代当主。諱は種羽。通称は伊織。石高は日向国諸県郡、宮崎郡内3,000石。
生涯
[編集]兄の民部が早世したために父の嗣子となり、宝永4年(1707年)に徳川綱吉へ初御目見を済ませる。宝永6年1月10日(1709年2月8日)に父が死去したのを受けて同年3月12日(1709年4月22日)に父の家督を相続する。ところが、それから間もなく死去する。享年17。法名は宗證。墓所は代々の葬地である下谷広徳寺の梅雲院。
これを受けて、秋月家に残っていた弟の種輔が家督を継ぐ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 第18』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬)
- 寛政重修諸家譜 巻第千百八十八