福西基
ふくにし もとい 福西 基 | |
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下妻小友幼稚園園長時代の福西 | |
生誕 |
福西 基 1910年3月25日 日本・茨城県結城郡宗道村(現在の下妻市宗道) |
死没 |
2020年8月22日(110歳没) 日本・茨城県下妻市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 茨城県師範学校 |
職業 | 教員 |
著名な実績 |
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受賞 | 勲五等双光旭日章 |
福西 基(ふくにし もとい、1910年〈明治43年〉3月25日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の教育者、スーパーセンテナリアン。茨城県下妻市に在住していた長寿の男性。日本国内最高齢男性であった白井庄次郎が2020年8月11日に死去して以来、11日間日本国内最高齢男性となっていた。
来歴
[編集]1910年3月25日、茨城県結城郡宗道村(現在の下妻市宗道)で生まれる。
旧制中学校時代にアメリカ人宣教師・ビンフォルド夫妻と出会い、1927年に下妻基督友会員(キリスト教のフレンド派)となる。
茨城県立下妻中学校を経て茨城県師範学校卒業後[1]、真壁郡村田尋常高等小学校に赴任。その後、下妻市立豊加美小学校長、総上中学校長、上妻小学校長、騰波ノ江中学校長、岡田小学校長、飯沼小学校長を歴任。小中学校の教員として39年間働き[2]、退職後は妻が務めていた[3]下妻市の下妻小友幼稚園の園長を引き継ぎ、105歳まで務めた[4]。
1988年、勲五等双光旭日章を受章。日本の勲章受章者としては最も長生きしたとされる。
2020年3月、茨城県内最高齢の男性となっていたが[5][注 1]、食欲がなくなり2020年7月下旬に入院していた[6]。同年8月11日に白井庄次郎の死去にともない[7][8]、日本国内最高齢男性となった。
甘い食べ物が好きで、5月ごろまでは好物のまんじゅうを笑顔でほおばっていた[2]。
2020年8月22日、下妻市内の病院で老衰のため死去した。110歳150日没[4]。日本国内最高齢男性であった期間は11日間だった[注 2]。叙正六位[9]。
厚生労働省の発表によると、福西の死去にともない、奈良県奈良市在住の上田幹蔵が日本国内最高齢男性となった[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “広報しもつま 2009年3月号”. 下妻市. p. 1. 2014年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
- ^ a b 日本放送協会. “国内最高齢110歳の男性が死去 茨城”. NHKニュース. 2020年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “国内最高齢 110歳男性死去|NHK 茨城県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2020年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月27日閲覧。
- ^ a b 「国内男性最高齢110歳、福西基さん死去 下妻、105歳まで幼稚園長」『茨城新聞』茨城新聞社、2020年8月26日。オリジナルの2021年1月28日時点におけるアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
- ^ “男性最高齢110歳で死去 県内 /茨城”. 毎日新聞. 2020年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
- ^ “男性の国内最高齢者110歳 22日に死去”. テレ朝news. (2020年8月26日). オリジナルの2020年8月26日時点におけるアーカイブ。 2020年9月20日閲覧。
- ^ “男性の国内最高齢者死去 110歳、愛知の巴さん”. 日本経済新聞 電子版. 2020年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月17日閲覧。
- ^ a b “国内男性最高齢、110歳で死去 茨城”. 時事ドットコム (時事通信社). (2020年8月26日). オリジナルの2020年8月28日時点におけるアーカイブ。 2020年8月26日閲覧。
- ^ 『官報』第341号、令和2年9月29日
関連項目
[編集]- 石崎伝蔵 - 茨城県在住で男性長寿日本一になった人物で、福西同様に元校長だった。
記録 | ||
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先代 白井庄次郎 |
存命男性のうち日本最高齢 2020年8月11日 - 8月22日 |
次代 上田幹藏 |