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神崎大橋 (利根川)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神崎大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 茨城県稲敷市橋向 - 千葉県香取郡神崎町神崎本宿
交差物件 利根川
用途 道路橋
路線名 茨城県道・千葉県道107号江戸崎神崎線
管理者 千葉県香取土木事務所
施工者 櫻田機械工業熊谷組
開通 1967年(昭和42年)5月12日
座標 北緯35度54分33.7秒 東経140度23分49.2秒 / 北緯35.909361度 東経140.397000度 / 35.909361; 140.397000 (神崎大橋)座標: 北緯35度54分33.7秒 東経140度23分49.2秒 / 北緯35.909361度 東経140.397000度 / 35.909361; 140.397000 (神崎大橋)
構造諸元
形式 下路ランガー橋・鈑桁橋
材料
全長 535.200 m
7.600 m
最大支間長 79.200 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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茨城県道107号標識
千葉県道107号標識

神崎大橋(こうざきおおはし)は、茨城県道・千葉県道107号江戸崎神崎線利根川に架かるである。

概要

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茨城県稲敷市橋向と千葉県香取郡神崎町神崎本宿とを結ぶ。全長535.2 m、有効幅員7.0 m。取り付け道路は両県が受け持ち、協議により神崎大橋の管理者は千葉県として、管理費は千葉・茨城両県で折半としている[1]。。

神崎町は利根川舟運の宿場町として発展したが、道路交通に発達に伴い舟運が衰退し道路交通では下流の水郷大橋を利用せざるを得ず不便をこうむっていた。これを受けて1959年(昭和34年)3月に有料橋として神崎船橋が架橋されたものの出水期の7月から10月は撤去されるため永久橋の建設が望まれており、神崎大橋が1964年(昭和39年)10月から1967年(昭和42年)3月の工期で建設され、1967年(昭和42年)5月12日に供用開始した[2][3]

神崎大橋では車両総重量14 tの規制を実施している[4]

  • 形式 - 3径間連続鈑桁橋+鋼単純下路ランガー橋3連+鋼3径間連続鈑桁橋
  • 橋格 - 2等橋 (TL-14)
  • 橋長 - 535.200 m
    • 支間割 - (48.800 m + 49.200 m + 48.800 m) + 3×79.200 m + (48.800 m + 49.200 m + 48.800 m)
  • 幅員
    • 総幅員 - 7.700 m
    • 有効幅員 - 7.000 m
  • 総鋼重 - 909.378 t
  • 床版 - 鉄筋コンクリート
  • 基礎 - ケーソン、ウェル、鋼管杭
  • 施工 - 櫻田機械工業[注釈 1](上部工)、熊谷組(下部工・床版工)
  • 架設工法 - ケーブルエレクション工法、トラッククレーンベント工法

[5][2]

隣の橋

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(上流) - 常総大橋 - 新利根川橋(圏央道) - 神崎大橋 - 水郷大橋 - 利根川橋梁鹿島線) - (下流)

脚注

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注釈

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  1. ^ 後のサクラダ

出典

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  1. ^ 神崎橋の維持管理協定(昭和42年5月12日 茨城県告示第592号) (PDF)」『茨城県報』号外、茨城県、1–2頁、1967年5月12日。 
  2. ^ a b 「開通した神崎大橋」『土木技術』第22巻第7号、土木技術社、1984年4月、22–24, 61、ISSN 0285-5046 
  3. ^ 道路の区域変更・道路の供用開始(昭和42年5月12日 茨城県告示第593・594号) (PDF)」『茨城県報』号外、茨城県、2–3頁、1967年5月12日。 
  4. ^ 神崎大橋の車両重量制限(14トン規制)”. 神崎町 (2012年5月10日). 2024年4月5日閲覧。
  5. ^ 鐵骨橋梁年鑑 昭和43年版” (PDF). 鉄骨橋梁協会・日本橋梁建設協会. pp. 172, 173. 2024年4月5日閲覧。

外部リンク

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