石河光茂
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 寛政4年(1792年) |
死没 | 慶応2年9月16日(1866年10月24日) |
改名 | 光茂→光美 |
別名 | 太八郎(通称) |
官位 | 従五位下、伊賀守、出羽守、隠岐守 |
主君 | 徳川斉朝→斉温→斉荘→慶恕 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 石河氏 |
父母 | 父:石河光豊、母:石河光籌の娘 |
子 | 光晃、正基 |
石河 光茂(いしこ みつしげ)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石河家第9代当主。
生涯
[編集]文化6年(1809年)、祖父光籌の死去により家督を相続。文化9年(1812年)家老となる。文化12年(1815年)病により家老を辞職。天保14年(1843年)再び家老となる。弘化3年(1846年)。従五位下伊賀守に叙任。嘉永元年(1848年)、出羽守に遷任。嘉永6年(1853年)、病により隠居して家督を光晃に譲る。安政5年(1858年)、将軍家茂の諱の字を避け、諱を「光美」と改名。慶応2年(1866年)、隠岐守に選任。
慶応2年(1867年)9月16日死去。享年76。七男正基は、分家當博の家督を相続し、御側御用人、城代を務めた。正基の三男が日本画家の石河有隣(正徳)。
参考文献
[編集]- 『名古屋市史』
- 『羽山市史』