石河光籌
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享3年(1746年) |
死没 | 文化6年4月20日(1809年6月2日) |
改名 | 一学(幼名)→章當(初名)→光籌 |
別名 | 太郎八(通称) |
官位 | 従五位下、伊賀守 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 石河氏 |
父母 | 父:石河光當 |
兄弟 | 光賢、光籌 |
子 | 光豊 |
石河 光籌(いしこ みつかず)は、尾張藩家老、美濃駒塚領主、石河家第7代当主。
生涯
[編集]延享3年(1746年)、尾張藩家老石河光當の四男として生まれる。安永2年(1773年)、父の死去により家督相続し、美濃駒塚領主となる。安永3年(1774年)、従五位伊賀守に叙任。同年尾張藩家老となる。
文化6年(1809年)4月20日死去。享年64。婿養子に迎えた光豊が早世したため、家督は嫡孫の光茂が相続した。
参考文献
[編集]- 『羽島市史』