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石河光當

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石河光當
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年
死没 安永2年7月23日1774年8月29日
改名 千次郎(幼名)→元珍(初名)→光當
別名 雅楽(通称)、正茂
官位 従五位下、伊賀
主君 徳川宗春宗勝宗睦
尾張藩家老
氏族 石河氏
父母 父:石河正章、養父:石河興利
兄弟 忠喜光當
光籌
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石河 光當(いしこ みつなお)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石河家第6代当主。

生涯

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享保6年(1721年)分家・石河興利の家督を相続。享保18年(1733年)実兄・忠喜の死去により、実家に帰ってその遺跡を相続し美濃駒塚領主となる。

元文元年(1736年) 、桜町天皇即位の際に、幕府への祝儀の使者として江戸城本丸に使いする。元文4年(1739年)家老となる。元文5年(1740年)従五位下伊賀守に叙任。

安永2年(1774年)7月23日死去。家督は嫡男・光籌が相続した。

参考文献

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  • 『名古屋市史』