石河光當
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳4年(1714年) |
死没 | 安永2年7月23日(1774年8月29日) |
改名 | 千次郎(幼名)→元珍(初名)→光當 |
別名 | 雅楽(通称)、正茂 |
官位 | 従五位下、伊賀守 |
主君 | 徳川宗春→宗勝→宗睦 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 石河氏 |
父母 | 父:石河正章、養父:石河興利 |
兄弟 | 忠喜、光當 |
子 | 光籌 |
石河 光當(いしこ みつなお)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石河家第6代当主。
生涯
[編集]享保6年(1721年)分家・石河興利の家督を相続。享保18年(1733年)実兄・忠喜の死去により、実家に帰ってその遺跡を相続し美濃駒塚領主となる。
元文元年(1736年) 、桜町天皇即位の際に、幕府への祝儀の使者として江戸城本丸に使いする。元文4年(1739年)家老となる。元文5年(1740年)従五位下伊賀守に叙任。
安永2年(1774年)7月23日死去。家督は嫡男・光籌が相続した。
参考文献
[編集]- 『名古屋市史』