石母田達
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石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 2022年2月12日)は、日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。日本共産党名誉幹部会顧問[1]。
石巻市長を務めた石母田正輔の五男[2]。兄は国民的歴史学運動で知られる歴史学者の石母田正。
来歴
[編集]宮城県石巻市出身[3]。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒業[3]後、池貝鉄工所に就職[4]。第二次世界大戦中は相模補給廠(相模原市淵野辺)に属し、陸軍の技術将校として誘導爆弾や特攻兵器製作に携わる[5]。自らも特攻乗員となり出撃の日を待ちながら終戦を迎えた[4]。
復員後は池貝鉄工所に戻り、旋盤技師を務める傍ら日本共産党へ入党。兄の正に諭され同所の労働組合長に立候補し、1票差で対立候補を躱し組合長に当選する[4]。その後、日本共産党神奈川県常任委員、同党横浜市委員会委員長[3]を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧神奈川1区から出馬し初当選を果たす。トップ当選であった[6]。当選1回。
晩年は神奈川県厚木市の高齢者施設にて生活し、2022年2月12日午後8時に老衰のため97歳で死去[7]。
政歴
[編集]- 第30回衆議院議員総選挙 神奈川1区 落選
- 第31回衆議院議員総選挙 神奈川1区 落選[8]
- 第32回衆議院議員総選挙 神奈川1区 落選
- 第33回衆議院議員総選挙 神奈川1区 当選
- 第34回衆議院議員総選挙 神奈川4区 落選
- 第35回衆議院議員総選挙 神奈川4区 落選
- 第36回衆議院議員総選挙 神奈川4区 落選
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ 名誉役員と顧問を承認 あらたに31氏 日本共産党第21回大会
- ^ 『人事興信録 10版(昭和9年10月発行) 上卷』人事興信所、1934年、イ205頁。NDLJP:1078620/278。
- ^ a b c 1972年12月11日付 朝日新聞「当選した491人」
- ^ a b c 補給廠で迎えた終戦町田平和委員会ウェブサイトより
- ^ 吉田健二「食糧メーデーと天皇プラカード事件(2) : 松島松太郎氏に聞く」『大原社会問題研究所雑誌』第535号、法政大学大原社会問題研究所、2003年、55-71頁、NDLJP:9971765。
- ^ 『昭和47年12月10日執行衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査の記録』神奈川県選挙管理委員会、1973年、5頁。全国書誌番号:72010308。
- ^ “石母田達氏死去(元共産党衆院議員)”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年2月21日) 2022年2月21日閲覧。
- ^ 『第31回衆議院議員総選挙一覧』衆議院事務局、1967年9月30日、163頁。NDLJP:1351320/89。