石橋達朗
人物情報 | |
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生誕 |
1949年7月28日(75歳)[1] 日本・長崎県平戸市[2] |
学問 | |
研究分野 | 眼科学(網膜、硝子体、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性)[3][4] |
研究機関 | 九州大学[4] |
学位 | 医学博士[3] |
学会 |
日本眼科学会[5] 日本糖尿病眼学会[5] 日本網膜硝子体学会[5] 日本眼循環学会[5] American Society of Cataract and Refractive Surgery[5] The Association for Research in Vision and Ophthalmology[5] 日本学術会議連携会員[5] |
主な受賞歴 |
日本眼科学会賞(2011年)[6] Distinguished Service Award(2017年)[6] |
石橋 達朗(いしばし たつろう、1949年〈昭和24年〉7月28日[1] - )は、日本の医学者。専門は眼科学(網膜、硝子体・糖尿病網膜症・加齢黄斑変性)[3][4]。九州大学大学院医学研究院眼科学分野教授・九州大学病院長・九州大学理事・同副学長などを経て[7]、第24代九州大学総長[8]。
来歴
[編集]長崎県平戸市出身[2]。父は眼科の開業医で、石橋は父の地域医療ひと筋の背中を見て医師を志した[9]。
小学校6年生の時に福岡へ出て、福岡市立百道中学校に進学[9]。卒業後、福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学医学部へ進学[9]。学生時代は様々な球技に興じ、大学時代は卓球部のキャプテンを務めた[9]。また、麻雀にも勤しみ、学生時代は毎週のように仲間と集まって打ち、医局旅行では朝の4時、5時まで打っていたため、名所を観に行く際にはバスで寝ていたこともあったと言う[9]。
1975年(昭和50年)3月、九州大学医学部を卒業し、九州大学医学部眼科学教室へ入局[7]。眼科へ進んだ理由は教授から「君は、眼科へ来るんだろう」と脅されたためだと言う[9]。1977年(昭和52年)4月、 九州大学大学院医学研究科(病理学教室)へ入学。その4年後の1981年(昭和56年)に卒業し、九州大学医学部眼科助手に着任[7]。
1984年(昭和59年)1月、南カリフォルニア大学ドヘニー眼研究所へ留学[7]。帰国後、1986年(昭和61年)2月に九州大学医学部眼科講師に着任[7]。
その後、九州大学医学部眼科助教授、同大学院医学研究院眼科学分野教授、同副学長、九州大学病院長、九州大学理事、同先端医療オープンイノベーションセンター長を歴任[1][7]。眼内血管新生性疾患の病態解明やその治療法の確立の研究で2011年(平成23年)に日本眼科学会賞を[6]、2017年(平成29年)にDistinguished Service Awardを受賞した[6]他、医学研究院眼科学分野教授として、大学発のベンチャー企業「アキュメンバイオファーマ株式会社」の設立に携わり[6]、黄斑などの手術に用いる染色剤の改善に取り組んだ[10]。この他、日本眼科学会常務理事、同理事長、日本学術会議連携会員、日本眼病理研究会会長、日本網膜硝子体学会理事長、同監事、福岡県病院協会会長、日本近視学会顧問などを歴任した[11]。
2020年(令和2年)10月1日、九州大学総長に就任[1]。就任後、大学発ベンチャーの設立に意欲を示し[6]、2017年度から導入された、研究成果を基に起業を志す教職員に対して200万円を上限に支援する事業化検証プログラム「九大ギャップファンド」[12][13]の修了者に対し、500万円を上限に支援する新たな事業化検証プログラム「九大ステップファンド」[13]を創設するなど研究成果の社会実装に向けた支援に努めた[6]。また、産学連携の推進も提唱しており、就任以来、教育研究の推進に係る企画・戦略の総括、総合調整など、学内に関することを担う「プロボスト」を設置し、自身は学外における渉外に注力した結果、半年間で約10企業と組織対応型連携を締結した[6]。
職歴
[編集]- 1975年(昭和50年)6月 - 九州大学医学部附属病院医員(研修医)[11]
- 1976年(昭和51年)11月 - 九州厚生年金病院医員(研修医)[11]
- 1981年(昭和56年)
- 1984年(昭和59年)1月 - 南カルフォルニア大学研究員[11]
- 1986年(昭和61年)2月 - 九州大学医学部眼科講師[7]
- 1995年(平成7年)4月 - 九州大学医学部眼科助教授[7]
- 1999年(平成11年)4月 - 九州大学大学院医学研究科助教授[11]
- 2001年(平成13年)9月 - 九州大学大学院医学研究院眼科学分野教授[7]
- 2003年(平成15年)4月 - 九州大学病院手術部長(兼任)[11]
- 2005年(平成17年)5月 - 九州大学病院長補佐(兼任)[11]
- 2006年(平成18年)5月 - 九州大学副病院長(兼任)[11]
- 2007年(平成19年)4月 - 九州大学病院集中治療部長(兼任)[11]
- 2013年(平成25年)4月 - 九州大学副学長(兼任)[7]
- 2014年(平成26年)4月 - 九州大学病院長(兼任)[7]
- 2015年(平成27年)3月31日 - 九州大学大学院医学研究院眼科学分野教授を退任[7]
- 2018年(平成30年)4月 - 九州大学理事兼副学長[7]
- 2020年(令和2年)
団体・学会活動歴
[編集]- 1995年(平成7年)
- 1998年(平成10年) - Japan Macula Club 世話人[11]
- 1999年(平成11年) - 日本眼科学会評議員[11]
- 2001年(平成13年) - 日本眼科学会理事[11]
- 2003年(平成15年) - 日本眼科学会常務理事[11]
- 2004年(平成16年) - 日本眼循環学会理事[11]
- 2005年(平成17年) - 日本学術会議連携会員[11]
- 2007年(平成19年) - 日本眼病理研究会会長[11]
- 2009年(平成21年) - 日本網膜硝子体学会理事長[11]
- 2011年(平成23年) - 日本眼科学会理事長[11]
- 2014年(平成26年) - 福岡県病院協会会長[11]
- 2015年(平成27年) - 日本眼科学会常務理事[11]
- 2016年(平成28年) - 日本近視学会顧問[11]
- 2017年(平成29年)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “次期総長に石橋達朗副学長 九州大学”. ふくおか経済Web (地域情報センター). (2020年11月9日) 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b “九大次期学長に石橋氏”. 西日本新聞me (西日本新聞社). (2020年7月17日) 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b c “石橋 達朗(いしばし たつろう)”. 九州大学研究者情報. 九州大学. 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b c “石橋 達朗”. KAKEN. 国立情報学研究所. 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g “石橋 達朗”. researchmap. 科学技術振興機構. 2022年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “脱炭素、医療・健康、環境・食料を軸に総合知で社会変革を牽引する大学に”. 先端教育オンライン. 先端教育機構 (2021年11月). 2022年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “総長略歴”. 九州大学. 2022年3月6日閲覧。
- ^ “歴代総長”. 九州大学. 2022年3月6日閲覧。に就任
- ^ a b c d e f 「「私の休日」九州大学病院 石橋 達朗院長」『Off Time』第64巻、ドリームシェア、2015年4月。
- ^ “新しい眼科手術補助剤/九州大とベンチャー企業が開発”. 日刊!目のニュース (リファイド). (2010年10月2日) 2022年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z “履歴書” (PDF). 九州大学. 2022年3月14日閲覧。
- ^ “九大、九大ギャップファンドから九大発ベンチャー第1号が誕生”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2018年4月2日) 2022年3月13日閲覧。
- ^ a b “大学発ベンチャー事業シーズ育成支援プログラム(九大ギャップファンド、九大ステップファンド)”. 九州大学 学術研究・産学官連携本部. 2022年3月13日閲覧。
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