百済村
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くだらそん 百済村 | |
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廃止日 | 1955年4月15日 |
廃止理由 |
新設合併 馬見町、百済村、瀬南村 → 広陵町 |
現在の自治体 | 広陵町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 奈良県 |
郡 | 北葛城郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,333人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 奈良県:大和高田市、北葛城郡瀬南村、磯城郡平野村、高市郡真菅村 |
百済村役場 | |
所在地 | 奈良県北葛城郡百済村大字百済 |
座標 | 北緯34度32分18秒 東経135度45分52秒 / 北緯34.53828度 東経135.76442度座標: 北緯34度32分18秒 東経135度45分52秒 / 北緯34.53828度 東経135.76442度 |
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百済村(くだらそん)[1] は奈良県北西部、北葛城郡に属していた村。現在の広陵町東部にあたる。
地理
[編集]北上する葛城川と曽我川にほぼ挟まれ、集落を除くと水田地帯が広がる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、広瀬郡百済村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡を北葛城郡に変更。
- 1955年(昭和30年)4月15日 - 馬見町、瀬南村と合併して広陵町が発足。同日百済村廃止。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、百済村の篤農家は「平井喜一郎、玉木岩蔵、廣南清蔵、松井鹿蔵」などがいた[2]。
地域
[編集]医療
[編集]『大日本医師名簿』によれば、百済村の医師は「竹村武治、竹村宗治、竹村貞齊」などがいた[3]。
社寺
[編集]交通
[編集]町内に鉄道路線も国道も主要地方道も通っていなかった。
脚注
[編集]- ^ 昭和25年国勢調査 市区郡町村別人口の表記「Kudara-son」による( 昭和25年国勢調査 > 人口総数 - 政府統計の総合窓口 e-Stat)
- ^ 『大日本篤農家名鑑』210頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月16日閲覧。
- ^ 『大日本医師名簿』307 - 308頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 奈良県北葛城郡百済村 (29B0110017) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ