田中真二
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名前 | ||||||
愛称 | パオ | |||||
カタカナ | タナカ シンジ | |||||
ラテン文字 | TANAKA Shinji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1960年9月25日(64歳) | |||||
出身地 | 埼玉県与野市(現さいたま市) | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1976-1978 | 浦和南高校 | |||||
1979-1982 | 中央大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1992 | 日産自動車 | 141 | (0) | |||
1992-1993 | 浦和レッズ | 22 | (0) | |||
1994-1995 | 京都パープルサンガ | 6 | (0) | |||
通算 | 169 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1979 | 日本U-20 | 3 | (0) | |||
1980-1985[1] | 日本 | 17 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1999-2006 | 徳島ヴォルティス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
田中 真二(たなか しんじ、1960年9月25日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代には左右のサイドバック、センターバック、守備的MFをこなす、守備のユーティリティープレイヤーとして活躍した。
来歴
[編集]1976年に浦和市立南高等学校(現さいたま市立浦和南高等学校)に進学。同級生の水沼貴史と共に1年次からレギュラーとなり、同年の全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献、2年次にはベスト4に進出した。3年次には水沼と共に日本ユース代表に選出。1979年に中央大学へ進学すると同年夏に日本で開催されたFIFAワールドユース選手権に出場した。大学2年次の1980年には全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献した。
1983年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車(現横浜F・マリノス)に入部。日産黄金時代の主力の一人として活躍した。また、日本代表にも大学時代から選出され、1980年のワールドカップ・スペイン大会予選、1984年のロサンゼルスオリンピック予選、1985年のワールドカップ・メキシコ大会予選に出場するなど国際Aマッチ通算17試合に出場した[1]。
Jリーグ発足直後の1992年、浦和レッドダイヤモンズに移籍。3バックを採用するチームの守備の要として活躍した。1994年には京都パープルサンガでプレーしたがこの年限りで現役引退した。
引退後は福島FC、大塚製薬(現 徳島ヴォルティス)のコーチを務め、1999年から当時日本フットボールリーグ(JFL)の大塚製薬の監督に就任、2003年、2004年とJFLで2年連続優勝し、J2昇格を果たした。2006年9月28日、徳島の成績不振を理由に辞任した。
2007年1月15日、関西サッカーリーグ1部のバンディオンセ神戸(現 Cento Cuore HARIMA)の監督に就任。JFL昇格を目指し関西リーグを2年連続で制し、全国地域リーグ決勝大会に挑んだが2007年は決勝ラウンド4位、2008年は1次ラウンド敗退に終わりJFL昇格を逃した。2008年12月24日、クラブが全所属選手のプロ契約を打ち切り、アマチュアチームに転換することを発表[2] したことに伴い監督を退任した。
2009年からは、サッカー解説者を務めている。
エピソード
[編集]- 愛称のパオとは、藤子不二雄の漫画『ジャングル黒べえ』に登場する象のパオパオが由来である[3]。
- 浦和時代の応援歌の元ネタはフランス民謡の「クラリネットをこわしちゃった」。当時のサポーターや選手からは「パオ」と呼ばれていた。
- 徳島ヴォルティスの選手や社員・サポートスタッフには「パオさん」と呼ばれていた(ちなみにサインも"PAO")。
所属クラブ
[編集]- 1976年 - 1978年 浦和南高校
- 1979年 - 1982年 中央大学
- 1983年 - 1992年 日産自動車
- 1992年 - 1993年 浦和レッドダイヤモンズ
- 1994年 - 1995年 京都パープルサンガ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1983 | 日産 | 24 | JSL1部 | 18 | 0 | ||||||
1984 | 15 | 0 | |||||||||
1985 | 3 | 22 | 0 | ||||||||
1986-87 | 19 | 0 | |||||||||
1987-88 | 22 | 0 | |||||||||
1988-89 | 22 | 0 | |||||||||
1989-90 | 22 | 0 | 4 | 0 | |||||||
1990-91 | 0 | 0 | 4 | 0 | |||||||
1991-92 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1992 | 浦和 | - | J | - | 9 | 0 | 4 | 0 | 13 | 0 | |
1993 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 | |||
1994 | 京都 | 5 | 旧JFL | 6 | 0 | - | 3 | 0 | 9 | 0 | |
1995 | 6 | 0 | 0 | - | |||||||
通算 | 日本 | J | 22 | 0 | 9 | 0 | 4 | 0 | 35 | 0 | |
日本 | JSL1部 | 141 | 0 | ||||||||
日本 | 旧JFL | 6 | 0 | - | |||||||
総通算 | 169 | 0 |
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- ワールドユース日本大会
- モスクワオリンピック予選
- ワールドカップスペイン大会予選
- ロサンゼルスオリンピック予選
- ワールドカップメキシコ大会予選
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 17試合 0得点(1980-1985)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1980 | 4 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
1981 | 8 | 0 | 9 | 1 | 17 | 1 |
1982 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1983 | 0 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 |
1984 | 2 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 |
1985 | 3 | 0 | 7 | 0 | 10 | 0 |
通算 | 17 | 0 | 24 | 1 | 41 | 1 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1980年03月30日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | 下村幸男 | オリンピック予選 | |
2. | 1980年04月02日 | クアラルンプール | ブルネイ | ○2-1 | オリンピック予選 | ||
3. | 1980年12月28日 | 香港 | マカオ | ○3-0 | 川淵三郎 | ワールドカップ予選 | |
4. | 1980年12月30日 | 香港 | 北朝鮮 | ●0-1(延長) | ワールドカップ予選 | ||
5. | 1981年02月08日 | クアンタン | マレーシア | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
6. | 1981年02月10日 | クアラルンプール | マレーシア | △1-1 | 国際親善試合 | ||
7. | 1981年02月17日 | シンガポール | シンガポール | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
8. | 1981年02月24日 | インドネシア | インドネシア | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
9. | 1981年03月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | |
10. | 1981年06月02日 | 埼玉県 | さいたま市大宮公園サッカー場 | 中華人民共和国 | △0-0 | 森孝慈 | ジャパンカップ |
11. | 1981年06月19日 | 大邱 | マレーシア | ○2-0 | 韓国大統領杯 | ||
12. | 1981年06月21日 | 釜山 | 韓国 | ●0-2 | 韓国大統領杯 | ||
13. | 1984年04月21日 | シンガポール | イラク | ●1-2 | オリンピック予選 | ||
14. | 1984年04月26日 | シンガポール | カタール | ●1-2 | オリンピック予選 | ||
15. | 1985年05月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | シンガポール | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
16. | 1985年05月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウルグアイ | ●1-4 | キリンカップ | |
17. | 1985年06月04日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | マレーシア | ○3-0 | キリンカップ |
指導歴
[編集]- 福島FC:コーチ
- 大塚製薬:コーチ
- 1999年-2006年9月 大塚製薬/徳島ヴォルティス:監督
- 2007年-2008年 バンディオンセ神戸/バンディオンセ加古川:監督
- 2014年 アヴェントゥーラ川口:監督
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | リーグ杯 | 天皇杯 | |||
1999 | JFL | 大塚 | 6位 | 25 | 16 | 8 | 2 | 14 | - | 2回戦 |
2000 | 4位 | 40 | 22 | 14 | 0 | 8 | - | 3回戦 | ||
2001 | 2位 | 68 | 30 | 21 | 5 | 4 | - | 3回戦 | ||
2002 | 3位 | 37 | 17 | 10 | 7 | 0 | - | 3回戦 | ||
2003 | 優勝 | 72 | 30 | 23 | 3 | 4 | - | 3回戦 | ||
2004 | 優勝 | 78 | 30 | 25 | 3 | 2 | - | 2回戦 | ||
2005 | J2 | 徳島 | 9位 | 52 | 44 | 12 | 16 | 16 | - | 4回戦 |
2006 | - | 26 | 39 | 6 | 8 | 25 | - | - | ||
2007 | 関西 | B神戸 | 優勝 | 39 | 14 | 13 | 0 | 1 | - | 3回戦 |
2008 | B加古川 | 優勝 | 40 | 14 | 13 | 1 | 0 | - | 1回戦 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「連載 新赤き血のイレブン」『イレブン』1979年6月号
- 『Jリーグ熱狂読本!』PHP研究所、1993年
- 『浦和レッズ10年史』ベースボール・マガジン社、2002年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 田中真二 - National-Football-Teams.com
- 田中真二 - WorldFootball.net
- 田中真二 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 田中真二 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 田中真二 - FIFA主催大会成績
- 田中真二 - J.League Data Siteによる選手データ
- 田中真二 - J.League Data Siteによる監督データ
- パスインターナショナル - PASSキャスティングメンバー
- 日本サッカー名蹴会|小山に訪れたS級ライセンス