生野駅 (北海道)
生野駅 | |
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駅全景(2009年6月) | |
いくの Ikuno | |
◄A51 安国 (3.9 km) (5.0 km) 生田原 A53► | |
所在地 | 北海道紋別郡遠軽町生田原豊原 |
駅番号 | ○A52 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■石北本線 |
キロ程 | 132.7 km(新旭川起点) |
電報略号 | イク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
2人/日 -2011年- |
開業年月日 | 1946年(昭和21年)12月1日 |
廃止年月日 | 2021年(令和3年)3月13日[JR 1][JR 2][新聞 1][新聞 2] |
備考 | 無人駅 |
生野駅(いくのえき)は、北海道紋別郡遠軽町生田原豊原にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の駅(廃駅)である。駅番号はA52。
歴史
[編集]もともと、1946年(昭和21年)に北見保線区生野線路班の保線官舎(職員住宅)があった地点(豊原57号)に仮乗降場が設けられたことが由来であった[1]。その保線官舎は後年消滅してしまったため、地域住民からの地区の中心に移してほしいとの要望により、1973年(昭和48年)には約1km 安国駅方の豊原54号に移転し[1]、同地で2021年(令和3年)の廃止まで営業した。
仮乗降場時代から停車本数が僅少であり、廃止直前の2020年(令和2年)3月14日改正時点では、普通列車のうち上り1本・下り2本のみ停車していた[2][新聞 3]。
年表
[編集]- 1946年(昭和21年)12月1日:運輸省石北線の生野仮乗降場(局設定)として設置[3][注釈 1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道に(国鉄)移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日:所属路線を石北本線に改称。
- 1973年(昭和48年):豊原54号に移設[1][4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[5]。同時に駅へ昇格[3][5]。
- 1990年(平成2年)3月10日:営業キロ設定。
- 2007年(平成19年):同年頃に待合室を撤去[6]。
- 2021年(令和3年)3月13日:利用者減少に伴い、同日のダイヤ改正に併せ廃止[JR 1][JR 2][新聞 1][新聞 2]。
駅名の由来
[編集]「生野」は所在する豊原地区のほか、現在の安国・旭野を含めた当地の旧地名であり[7]、一説には「生田原の野にある[3]」との意で命名されたとされている[3]。
なお、当地の字名は1944年(昭和19年)2月11日に、生田原村(当時)で実施された字名の整理に伴い豊原(のちに遠軽町発足により「生田原豊原」)となっているが、これは隣接の安国などと同様、当時の村長が神道の「大祓詞(祝詞のひとつ)」に因んだ字名を選んだことに由来し、「広大で平坦で肥沃な農耕地」であることに因み、「豊芦原」を略して名付けたものである[8]。
駅構造
[編集]1973年(昭和48年)の移転前の構造は詳らかではないが、以後は網走方に向かって左手に1面1線の単式ホームを設けた地上駅であった[9]。
遅くとも1992年(平成4年)時点ではホーム横に黄色い廃バスが待合室として設置されていたが、2007年(平成19年)頃に撤去された[6]。
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廃バス撤去前の駅全景
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ホーム(2017年5月)
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駅名標(2017年5月)
利用状況
[編集]廃止直前の時点では「主に豊原地区の住民に利用されてきましたが、現在ではほとんど利用がない[10]」とされた。
廃止に至るまでの乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1992年(平成 | 4年)(3.0) | [9] | 一日平均乗降客数:6 | ||
2016年(平成28年) | 0.6 | [JR 3] | |||
2017年(平成29年) | 0.4 | [JR 4] | |||
2018年(平成30年) | 0.6 | [JR 5] | |||
2019年(令和元年) | 0.4 | [JR 6] | |||
2020年(令和 | 2年)0.4 | [JR 7] |
駅周辺
[編集]山間部に挟まれた狭い平地の農業地域にあって周りは田畑が多く、目立った建物は無い。駅の近くには人家があり、道路によるアクセスも容易である[新聞 3]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 施設名称については『生田原町史』などで「乗降場」となっているが、本項目中では便宜上この種の乗降場を表す一般的な用語である「仮乗降場」と記載する。
出典
[編集]- ^ a b c 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、679頁。doi:10.11501/9570602 。2022年11月20日閲覧。
- ^ 『北海道時刻表』第61巻第3号(通巻723号)、交通新聞社、2020年2月25日、pp.129-131。
- ^ a b c d 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 113. ISBN 4-89391-549-5
- ^ “旧生田原町の沿革”. 遠軽町. 2020年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月14日閲覧。
- ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。
- ^ a b 山宮喬也 (2012-12-15). ボールペンで書く 北海道の駅舎たち. バルク・カンパニー. p. 351
- ^ 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、289-290頁。doi:10.11501/9570602 。2022年11月20日閲覧。
- ^ 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、102-103頁。doi:10.11501/9570602 。2022年11月20日閲覧。
- ^ a b 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、142頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ “第31回 町長定例記者会見” (PDF). 遠軽町 (2021年2月26日). 2022年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月19日閲覧。
- ^ “路線図 清里線(キララン清里行)”. 北海道北見バス. 2019年6月21日閲覧。
JR北海道
[編集]- ^ a b 『来春のダイヤ見直しについて』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月9日。オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ 。2020年12月9日閲覧。
- ^ a b 『2021年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月18日。オリジナルの2020年12月18日時点におけるアーカイブ 。2020年12月18日閲覧。
- ^ 「石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ 。2018年8月19日閲覧。
- ^ “石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。