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玉風福太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう、1928年7月28日 - 没年不明 )は、群馬県吾妻郡中之条町出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は本多 福太郎(ほんだ ふくたろう)。身長180cm、体重87kg。最高位は東十両4枚目。得意手は左四つ、投げ。

来歴

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1948年10月場所で初土俵。新序で好成績を残すと、序ノ口序二段と連続して優勝するなど勢いは止まらず、初土俵から5場所で幕下に昇進した。幕下でも好成績を残し、1952年1月場所に十両に昇進。この場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落するが、1953年1月場所に十両に復帰すると、十両に定着する。3月場所では10勝5敗の好成績を挙げ、優勝争いを演じたが惜しくも次点に終わる。その後は一進一退の状態が続いていたが、 1955年1月場所では久々に好調な土俵を披露し、再び10勝5敗の好成績をあげ優勝を争うもまたしても次点に終わった。翌3月場所は自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げるが、4勝11敗と大きく負け越し、入幕はならなかった。 1957年1月場所は東十両20枚目で3勝12敗の大負け。翌3月場所で幕下に陥落。 1957年9月場所限りで廃業。廃業後は運送業に従事した。

主な成績

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  • 通算成績:238勝221敗2休 勝率.519
  • 十両成績:125勝145敗 勝率.463
  • 現役在位:33場所
  • 十両在位:18場所
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回(1949年5月場所)
    • 序ノ口優勝:1回(1949年1月場所)

場所別成績

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玉風 福太郎
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1948年
(昭和23年)
x x x 新序
4–1 
1949年
(昭和24年)
東序ノ口筆頭
優勝
9–3
x 東序二段3枚目
優勝
13–2
西三段目12枚目
10–5 
1950年
(昭和25年)
西幕下24枚目
10–5 
x 東幕下12枚目
8–7 
西幕下10枚目
8–7 
1951年
(昭和26年)
西幕下7枚目
5–10 
x 東幕下15枚目
9–6 
西幕下7枚目
10–5 
1952年
(昭和27年)
西十両16枚目
6–9 
x 西幕下3枚目
5–10 
東幕下8枚目
11–4 
1953年
(昭和28年)
西十両18枚目
8–7 
東十両18枚目
10–5 
西十両13枚目
5–10 
東十両20枚目
8–7 
1954年
(昭和29年)
西十両19枚目
10–5 
東十両7枚目
7–8 
東十両8枚目
7–8 
西十両10枚目
7–8 
1955年
(昭和30年)
西十両11枚目
10–5 
東十両4枚目
4–11 
西十両9枚目
6–9 
西十両11枚目
6–9 
1956年
(昭和31年)
西十両15枚目
7–8 
東十両16枚目
7–8 
東十両17枚目
7–8 
東十両19枚目
7–8 
1957年
(昭和32年)
東十両20枚目
3–12 
東幕下2枚目
3–3–2 
東幕下筆頭
3–5 
東幕下5枚目
引退
5–3–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう)1948年10月場所 - 1956年3月場所
  • 玉風 龍士郎(たまかぜ りゅうしろう)1956年5月場所 - 1956年9月場所
  • 玉風 福太郎(たまかぜ ふくたろう)1957年1月場所 - 1957年9月場所

関連項目

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外部リンク

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