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猪去 久道(いさり ひさみち、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。蔵人。父は猪去義方(斯波詮高の三男猪去詮義の子)。猪去御所第3代。
猪去氏は清和源氏の一流河内源氏の流れを汲み、足利将軍家と同じく足利氏の一門、高水寺斯波氏の庶流。斯波氏宗家を支え、猪去御所を守護していたが、斯波氏は斯波詮直の代になり南部氏に滅ぼされた。父・義方は一貫して宗家に忠義を尽くしたが、主家を失い花巻に逃れ、隠匿しながら余生を終えた。
花巻に隠棲していた久道は、慶長年間に南部氏の家老 北信愛に召し出され、慶長17年(1612年)、南部政直の家臣となった。以来、猪去氏は盛岡藩士として続いた。