猪去館
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猪去館 (岩手県) | |
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別名 | 猪去御所 |
城郭構造 | 城館 |
天守構造 | なし |
築城主 | 猪去斯波氏 |
主な城主 | 猪去詮義 |
遺構 | 曲輪、堀 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
位置 | 北緯39度40分40.6秒 東経141度04分16.7秒 / 北緯39.677944度 東経141.071306度座標: 北緯39度40分40.6秒 東経141度04分16.7秒 / 北緯39.677944度 東経141.071306度 |
地図 |
猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にあった日本の城。別称猪去御所。
概要
[編集]猪去斯波氏の居館で、雫石川右岸の沖積地に突き出した台地上部に100メートル×50メートルの規模で立地し[2]、堀跡が残る。
天文14年(1544年)、高水寺城主斯波詮高は南部氏から岩手郡太田の滴石城(後の雫石城)を攻略し、南部晴政を三戸に敗走させた。
翌天文15年(1545年)に嫡男の経詮に家督を継がせ、次男・詮貞を滴石から改称した雫石城に、三男・詮義を太田の猪去館に配置して、「三御所」と称して南部氏の反攻に備えた。
脚注
[編集]- ^ 「盛岡市の文化財」 盛岡市公式HP
- ^ 「埋蔵文化財包蔵地地図(遺跡地図2008年版分割図31~35)」 盛岡市公式HP
参考文献
[編集]- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4040010302。