選り抜き記事
ムハンマド・アリー(アラビア語: محمد علي باشا, ラテン文字転写: Muḥammad ʿAlī Bāšā, 1769年?-1849年8月2日)は、オスマン帝国の属州エジプトの支配者で、ムハンマド・アリー朝の創始者である。トルコ語でメフメト・アリー(Mehmed Ali)ともいう。
エジプト・シリア戦役においてオスマン帝国がエジプトへ派遣した300人の部隊の副隊長から頭角を現し、熾烈な権力闘争を制してエジプト総督に就任。国内の支配基盤を固めつつ、近代性と強権性を併せもった富国強兵策を推し進め、アラビア半島やスーダンに勢力を伸ばし、遂にはオスマン帝国からシリアを奪うに至った。最終的には勢力伸長を危険視したイギリスの介入によりその富国強兵策は頓挫したが、エジプトのオスマン帝国からの事実上の独立を達成し、その後のエジプト発展の基礎を築いた。近代エジプトの父、エル・キビール(大王)と呼ばれ、死後もエジプトの強さと先進性の象徴であり続けている。……
- アブル=フザイル・ズファル・ブン・アル=ハーリス・アル=キラービーは、7世紀末のイスラーム世界の第二次内乱期に部族連合のカイス族の指導者となり、ウマイヤ朝やカルブ族を始めとする対立したアラブ部族勢力と戦った人物である。最後はウマイヤ朝のカリフのアブドゥルマリクと和解に達し、ウマイヤ朝に帰順した……
- キリストの墓は、青森県三戸郡新郷村戸来にある、イエス・キリストが埋葬されていると主張される墓所である。1935年、皇祖皇太神宮天津教の教主である竹内巨麿らによって「発見」された。ゴルゴダの丘で処刑されたのは……
- 八重山諸島のマラリアでは、沖縄県の八重山諸島で1961年まで感染者が発生していたマラリアについて記述する。悪性の熱帯性マラリアが多数を占めており、琉球王国時代から多くの人々を苦しめてきた。とりわけ第二次世界大戦末期に発生した戦争マラリアでは……