「浄土真宗親鸞会」の版間の差分
編集の要約なし |
原文いれました。 |
||
118行目: | 118行目: | ||
真宗の伝統改革運動をしている親鸞会は、真宗教団で最大規模を誇る西本願寺に対する抗議を主としている。この会は、かって加賀の国、現富山県の一寺に育ち龍谷大学を卒業した高森顕徹氏により、1958年に創設されたものである。親鸞会会員は、釈迦牟尼から七高僧を経て親鸞聖人及び覚如、蓮如上人へと続いた正法の正当な継承者の一人、良き師と高森氏を仰いでいる。世襲によって代々続いてきた本願寺の門主らの権威は認めていない。高森氏の指導のもと、大変精力的にかつ根気強く親鸞聖人の真実の教えに戻るようにと本願寺に要求している。蓮如上人以後、本願寺が特権を持つ有力な宗教団体にまで成長していった時代に、徐々に教えを歪曲してきたと主張しているのだが、驚くべきことに親鸞聖人回帰説をとっているこの会が蓮如上人をおろそかにしたり、避けたり(無視したり)するようなところが見られない。それどころか、同会における蓮如上人像は伝統的な信者の敬愛していたものとほとんど一致しており、上人が徹頭徹尾祖師親鸞の教えを継承させていると断言している。親鸞会で行う礼拝では『御文章』の「聖人一流の章」または「白骨の章」を読み添えることを常としている。 |
真宗の伝統改革運動をしている親鸞会は、真宗教団で最大規模を誇る西本願寺に対する抗議を主としている。この会は、かって加賀の国、現富山県の一寺に育ち龍谷大学を卒業した高森顕徹氏により、1958年に創設されたものである。親鸞会会員は、釈迦牟尼から七高僧を経て親鸞聖人及び覚如、蓮如上人へと続いた正法の正当な継承者の一人、良き師と高森氏を仰いでいる。世襲によって代々続いてきた本願寺の門主らの権威は認めていない。高森氏の指導のもと、大変精力的にかつ根気強く親鸞聖人の真実の教えに戻るようにと本願寺に要求している。蓮如上人以後、本願寺が特権を持つ有力な宗教団体にまで成長していった時代に、徐々に教えを歪曲してきたと主張しているのだが、驚くべきことに親鸞聖人回帰説をとっているこの会が蓮如上人をおろそかにしたり、避けたり(無視したり)するようなところが見られない。それどころか、同会における蓮如上人像は伝統的な信者の敬愛していたものとほとんど一致しており、上人が徹頭徹尾祖師親鸞の教えを継承させていると断言している。親鸞会で行う礼拝では『御文章』の「聖人一流の章」または「白骨の章」を読み添えることを常としている。 |
||
<ref>『蓮如』 マイナー・T・ロジャース アン・T・ロジャース 共著 原文The Shinrankai, a reform movement within Shinshu tradition directs its protests primarily against the Nishi Honganji as the largest branch. It was founded in 1958 by Takamori Kentetsu, a graduate of Ryukoku University,who grew up in a temple household in Toyama prefecture, formed Kaga province. Takamori is seen by members of the Shinrankai as the good teacher (zenchishiki) within a dharma-lineage beginning with Sakyamuni and continuing through the seven Pure Land masters to Shinran, Kakunyo, and Rennyo.The authority of other head priests in the Honganji hereditary lineage is not recognized. Under Takamori's leadership, the Shinrankai vigorously and persistently summons the Honganji to return to Shinran's true teaching, unsullied by what are perceived to be distortions that developed in the years following Rennyo when the Honganji became a privileged and powerful religious institution. A striking aspect of the Shinrankai is that, in espousing a return to Shinran, there is no effort to downgrade or bypass Rennyo. Indeed the organization's image of Rennyo is very close to that of traditional sectarian piety, taking for granted that his teaching is wholly continuous with that of the founder. The Shinrankai's liturgical practice regularly includes the reading of one of The Letters, either "On realizing faith," Shonin ichiryu no (5:5), or "On white bones, Hakkotsu no sho (5;16); see Jodo Shinshu Shinrankai,ed., Shoshin seiten(Takaoka: Shinrankai, 1988). Indicative of the movement's aggressive stance is the title of one of its publications, challenging the Honganji to respond to its charges; see Jodo Shinshu Shinrankai, ed., Shinrankai kaku kotaeru/Honganji naze kotaenu (Takaoka. Shinrankai,1985), with part one by Takamori.The Shinrankai headquarters are in Takaoka, Toyama, with groups in major cities in Japan as well as with representatives in Brazil and North America. |
|||
<ref name="">『「蓮如」 マイナー・T・ロジャース アン・T・ロジャース 共著</ref> |
|||
</ref> |
|||
2024年1月26日 (金) 07:16時点における版
設立 | 1958年(昭和33年) |
---|---|
設立者 | 高森顕徹 |
種類 | 宗教団体 |
法人番号 | 1230005007438 |
法的地位 | 宗教法人 |
所在地 | 富山県射水市上野1191 |
座標 | 北緯36度41分15.8秒 東経137度5分21.6秒 / 北緯36.687722度 東経137.089333度座標: 北緯36度41分15.8秒 東経137度5分21.6秒 / 北緯36.687722度 東経137.089333度 |
ウェブサイト | 公式ウェブサイト |
浄土真宗親鸞会(じょうどしんしゅうしんらんかい)は、1958年(昭和33年)に発足した仏教系の宗教法人。
親鸞会は新宗教というより「どちらかと言えば教団改革運動ないし再生運動と理解した方が適切である」[1]とされる段階である。
概要
元浄土真宗本願寺派僧侶である高森顕徹が設立し、会長を務める。本部を富山県射水市(旧射水郡小杉町)に置く。関連会社・団体として1万年堂出版、オンライン仏教アカデミー、浄土真宗学院、真生会富山病院、有限会社ウェルカムなどがある。
鎌倉時代に生きた僧侶・親鸞の開いた浄土真宗の教義を信奉する団体であり、経典なども、浄土真宗本願寺派や真宗大谷派などの、浄土真宗系伝統教団で使用されているものと大差なく、根本的な教義それ自体に、特殊なものがあるわけではない。[2]
機関紙は「顕正新聞」や「顕真」。
親鸞会では「南無阿弥陀仏」の名号を本尊に用いる。寺院で広く見られる木像本尊や絵像は一切用いていない。
各種報道によると、同会の会員数は1980年(昭和55年)時点で約5万人[3]、1997年(平成9年)時点で約10万人[4]、2017年(平成29年)時点で公称約30万人という。[2]
目的
親鸞会は、「親鸞の教えを教義の根本とし、阿弥陀仏への絶対帰依によって現世で救われることを目的」[5]とされる。
布教
日本全国や日本国外で積極的な布教活動を展開して、その会員はあらゆる年齢層・地域・職業に広がっており、伝統教団の苦手とする若年層の会員の獲得にも成功している。
現在は公民館や市民センターなど各地でアニメ上映会や、仏教講師による講演会を行っている。近年、日本各地に会館が建設されたり、アニメ映画『なぜ生きる』(主演:里見浩太朗)、『歎異抄をひらく』(主演:石坂浩二)などを上映している。
高森顕徹の著書『なぜ生きる』『光に向かって ―心地よい果実―』『光に向かって ―100の花束―』『歎異抄をひらく』の広告を新聞に打っている。
歴史
- 1952年(昭和27年) - 高森顕徹を会長とし、68名の会員を集めて「徹信会」を発足。
- 1957年(昭和32年) - 富山県高岡市前田町に徹信会館(24畳)を建設。
- 1958年(昭和33年) - 宗教法人格を取得し、浄土真宗親鸞会と改称。
- 1974年(昭和49年) - 高岡市芳野へ本部を移転(100畳)。
- 1979年(昭和54年) - 浄土真宗本願寺派の紅楳英顕が論文「現代における異義の研究 ─高森親鸞会の主張とその問題点」を発表。親鸞会はこれに反発し、再三にわたり質問状を送り、本願寺派に対する批判キャンペーンが展開される。
- 1984年(昭和59年) - 上記に関し、紅楳側が誠意を持って答えていないとして、親鸞会会員約1,500人が西本願寺の御影堂に座り込み抗議を行う。以後、西本願寺の駐車場は、指定旅行業者のバスのみ駐車可能となった。
- 1988年(昭和63年) - 富山市に隣接する射水郡小杉町に本部を移転。親鸞会館(現本館・520畳)となり、支部は全国及び南米・北米・台湾・韓国に及ぶ。
- 1992年(平成4年) - 既存の親鸞会館本館の収容能力不足から、隣接地に顕真会館を建設。
- 2004年(平成16年) - 参詣者で溢れるため、親鸞会館本館の隣接地に2,000畳の講堂を持つ正本堂を建設。
- 2011年(平成23年) - 関連会社として有限会社ウェルカム設立。
- 2013年 (平成25年) - 札幌市厚別区に北海道会館が開館。
浄土真宗親鸞会を取り上げたメディア
- 『岩波講座日本通史』第21巻、小沢浩のレポート
- 講談社「現代」平成11年11月号、米本和広のレポート。補強版として『教祖逮捕―「カルト」は人を救うか』(ISBN 4796617191)
- 別冊宝島編集部編『「救い」の正体。』高橋繁行のレポートを掲載(ISBN 4796694617)
- オーマイニュース [1]
- 北國新聞編集局『真宗王国と新宗教「蓮如さん今を歩む」』 アーカイブ 2004年2月15日 - ウェイバックマシン
- 「蓮如」 マイナー・T・ロジャース アン・T・ロジャース 共著 アーカイブ 2003年12月23日 - ウェイバックマシン
- 富山新聞 平成9年10月28日号 掲載記事 「神よ仏よ」 信仰厚き北陸路を行く アーカイブ 2004年4月7日 - ウェイバックマシン
- 『宗教問題15:親鸞会とは何か』、合同会社宗教問題、2016年8月 ISBN 978-4990852641
ラジオ放送
2016年10月から日本全国のラジオ局で「浄土真宗親鸞会の時間」を放送している。内容はラジオ朗読版「なぜ生きる」である。
ネット局
- 東北放送…毎週日曜日 5時30分 - 5時45分
- 山形放送…毎週土曜日 5時15分 - 5時30分
- 新潟放送…毎週日曜日 5時30分 - 5時45分
- 文化放送…毎週日曜日 5時05分 - 5時20分
- 静岡放送…毎週土曜日 5時00分 - 5時15分
- 東海ラジオ…毎週土曜日 5時00分 - 5時15分
- ラジオ大阪…毎週日曜日 6時15分 - 6時30分
- 中国放送…毎週日曜日 5時15分 - 5時30分
- 山陽放送…毎週日曜日 7時15分 - 7時30分
- 九州朝日放送…毎週日曜日 5時20分 - 5時35分
評価
井上順孝は一般的な新宗教と比べ、伝統宗教と教義面での違いが少なく、教団改革運動ないし再生運動的な性格を持っているとしている[6]。
エドワード・G・サイデンステッカーは『なぜ生きる』の翻訳を終えて、“YOU WERE BORN FOR A REASON is a solemn and profound book.”(『なぜ生きる』は厳粛にして深遠な書である)と裏表紙に記述する。[7]
『宗教問題』編集長小川寛大氏:すべての取材の中で通底して感じたのは“葬式仏教として堕落した伝統仏教教団”への痛烈な批判であった。(中略)これらは間違いなく現在の日本の伝統仏教に根深く存在する“問題点”である。そうだとすれば親鸞会とは、決して“突然変異的に現れたカルト”などではなく、いろいろな意味において“伝統仏教が生み出した存在”であるのだ。親鸞会をどう評価しようと、そこだけは押さえねばならない、と思わされた一連の取材であった。[8]
本願寺僧侶紅楳英顕氏:親鸞会は、「本願寺は親鸞会は異安心(正しくない信仰をしている)と言うが、本願寺は無安心(信仰がない)だとも言っています。」私は親鸞会を肯定的に評価する気などまったくありませんが、こういう親鸞会の、「本願寺は異安心だ」と言った批判は当たっている部分もあって伝統教団側はきちんと受け止め、反省すべきことは反省しないといけない。[8]
真宗の伝統改革運動をしている親鸞会は、真宗教団で最大規模を誇る西本願寺に対する抗議を主としている。この会は、かって加賀の国、現富山県の一寺に育ち龍谷大学を卒業した高森顕徹氏により、1958年に創設されたものである。親鸞会会員は、釈迦牟尼から七高僧を経て親鸞聖人及び覚如、蓮如上人へと続いた正法の正当な継承者の一人、良き師と高森氏を仰いでいる。世襲によって代々続いてきた本願寺の門主らの権威は認めていない。高森氏の指導のもと、大変精力的にかつ根気強く親鸞聖人の真実の教えに戻るようにと本願寺に要求している。蓮如上人以後、本願寺が特権を持つ有力な宗教団体にまで成長していった時代に、徐々に教えを歪曲してきたと主張しているのだが、驚くべきことに親鸞聖人回帰説をとっているこの会が蓮如上人をおろそかにしたり、避けたり(無視したり)するようなところが見られない。それどころか、同会における蓮如上人像は伝統的な信者の敬愛していたものとほとんど一致しており、上人が徹頭徹尾祖師親鸞の教えを継承させていると断言している。親鸞会で行う礼拝では『御文章』の「聖人一流の章」または「白骨の章」を読み添えることを常としている。 [9]
脚注
- ^ 井上順孝『人はなぜ新宗教に魅かれるのか?』p210)
- ^ a b 別冊宝島編集部『日本の新宗教50完全パワーランキング』
- ^ 「親鸞会は(乃至)会員約五万人」読売新聞 1980年5月28日
- ^ 「現在の会員数は約10万人で」小沢浩「新宗教の風土」
- ^ [引用:新宗教教団・人物亊典 井上順孝 編集 106頁]
- ^ 井上順孝『人はなぜ新宗教に魅かれるのか』三笠書房(2009)p210
- ^ “川端康成氏にノーベル賞をもたらしたサイデンステッカー氏も絶賛した親鸞聖人の講演会”. 浄土真宗親鸞会. 2022年12月21日閲覧。
- ^ a b 『宗教問題15:親鸞会とは何か』、合同会社宗教問題、2016年8月 ISBN 978-4990852641
- ^ 『蓮如』 マイナー・T・ロジャース アン・T・ロジャース 共著 原文The Shinrankai, a reform movement within Shinshu tradition directs its protests primarily against the Nishi Honganji as the largest branch. It was founded in 1958 by Takamori Kentetsu, a graduate of Ryukoku University,who grew up in a temple household in Toyama prefecture, formed Kaga province. Takamori is seen by members of the Shinrankai as the good teacher (zenchishiki) within a dharma-lineage beginning with Sakyamuni and continuing through the seven Pure Land masters to Shinran, Kakunyo, and Rennyo.The authority of other head priests in the Honganji hereditary lineage is not recognized. Under Takamori's leadership, the Shinrankai vigorously and persistently summons the Honganji to return to Shinran's true teaching, unsullied by what are perceived to be distortions that developed in the years following Rennyo when the Honganji became a privileged and powerful religious institution. A striking aspect of the Shinrankai is that, in espousing a return to Shinran, there is no effort to downgrade or bypass Rennyo. Indeed the organization's image of Rennyo is very close to that of traditional sectarian piety, taking for granted that his teaching is wholly continuous with that of the founder. The Shinrankai's liturgical practice regularly includes the reading of one of The Letters, either "On realizing faith," Shonin ichiryu no (5:5), or "On white bones, Hakkotsu no sho (5;16); see Jodo Shinshu Shinrankai,ed., Shoshin seiten(Takaoka: Shinrankai, 1988). Indicative of the movement's aggressive stance is the title of one of its publications, challenging the Honganji to respond to its charges; see Jodo Shinshu Shinrankai, ed., Shinrankai kaku kotaeru/Honganji naze kotaenu (Takaoka. Shinrankai,1985), with part one by Takamori.The Shinrankai headquarters are in Takaoka, Toyama, with groups in major cities in Japan as well as with representatives in Brazil and North America.
参考文献
- 柏原祐義編『真宗聖典』法蔵館、1935年。ISBN 4-8318-9001-4。
- 高森顕徹 著『歎異抄をひらく』1万年堂出版、2008年発行。ISBN 978-4-925253-30-7。
- 明橋大二・伊藤健太郎 著 高森顕徹 監修『なぜ生きる』1万年堂出版、2001年発行。ISBN 4-925253-01-8。
- 小沢浩 著『新宗教の風土』岩波書店、1997年発行。ISBN 978-4004305064。