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'''茅沼駅'''(かやぬまえき)は、[[北海道]][[川上郡]][[標茶町]]字コッタロ原野北17線にある、[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)[[釧網本線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[電報略号 (鉄道)|電報略号]]は'''カヌ'''。[[事務管理コード]]は▲111604<ref name=":02322222222">{{Cite book|和書 |title=停車場一覧 昭和41年3月現在 |date= |year=1966 |url=https://doi.org/10.11501/1873236 |publisher=日本国有鉄道 |language=ja |doi=10.11501/1873236 |access-date=2023-04-02 |editor=日本国有鉄道営業局総務課 |page=246}}</ref>。[[北海道旅客鉄道の駅ナンバリング|駅番号]]は'''B59'''。[[タンチョウ]]が来る駅として知られる。
'''茅沼駅'''(かやぬまえき)は、[[北海道]][[川上郡]][[標茶町]]字コッタロ原野北17線にある、[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)[[釧網本線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[電報略号 (鉄道)|電報略号]]は'''カヌ'''。[[事務管理コード]]は▲111604<ref name=":02322222222">{{Cite book|和書 |title=停車場一覧 昭和41年3月現在 |date= |year=1966 |url=https://doi.org/10.11501/1873236 |publisher=日本国有鉄道 |language=ja |doi=10.11501/1873236 |access-date=2023-04-02 |editor=日本国有鉄道営業局総務課 |page=246}}</ref>。[[北海道旅客鉄道の駅ナンバリング・区間カラー|駅番号]]は'''B59'''。[[タンチョウ]]が来る駅として知られる。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2023年11月19日 (日) 22:39時点における版

茅沼駅
駅舎(2018年9月)
かやぬま
Kayanuma
B61 標茶 (13.9 km)
(7.0 km) 塘路 B58
地図
所在地 北海道川上郡標茶町コッタロ原野北17線35-2
北緯43度12分7.55秒 東経144度30分13.64秒 / 北緯43.2020972度 東経144.5037889度 / 43.2020972; 144.5037889座標: 北緯43度12分7.55秒 東経144度30分13.64秒 / 北緯43.2020972度 東経144.5037889度 / 43.2020972; 144.5037889
駅番号 B59
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 釧網本線
キロ程 134.9 km(網走起点)
電報略号 カヌ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1927年昭和2年)9月15日[1]
備考 無人駅
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観光看板(2004年2月)

茅沼駅(かやぬまえき)は、北海道川上郡標茶町字コッタロ原野北17線にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線である。電報略号カヌ事務管理コードは▲111604[2]駅番号B59タンチョウが来る駅として知られる。

歴史

1977年の茅沼駅と周囲約500m範囲。上が網走方面。釧路湿原の北端の駅の一つ。シラルトロ湖北部の開拓地。現在では駅を含めてこの一帯は、国立公園内の普通地域という若干の制約がある地区になっている。駅舎側の単式ホーム1面1線と副本線。駅裏釧路側に引込み線がもう一本あるはずだが、不明瞭でこの写真では判らない。後に無人化に併せ、副本線は釧路側分岐が切られて引込み線化された。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

年表

  • 1927年昭和2年)9月15日国有鉄道の駅として開業[3][4]一般駅[1]
  • 1973年(昭和48年)2月5日:駅員配置が運転扱い要員のみとなる[5]。貨物・荷物扱い廃止。出改札業務廃止。ただし連査閉塞式のため運転要員は配置のまま。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:駅員配置終了[6]。電子閉塞化の際、行き違い設備廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]
  • 1989年平成元年):駅舎改築[7][8]
  • 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託廃止、完全無人化。
  • 2023年令和5年)
    • 6月17日:同日北海道新聞がJR北海道が当駅含む道内42駅を廃止検討している、と報道する[9]。これについて、標茶町はJR北海道から事前に特に廃止の打診を受けてはいなかった[10]
    • 6月20日:同日標茶町役場をJR北海道担当者が訪れ、現時点で廃止の予定がないことを説明[10]。このため標茶町では特にJR北海道と協議には入らず、引き続き口頭で存続の申し入れを続ける方針とした[10]

駅名の由来

1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「もともとこの地は『二つ山』といったところであるが、駅の付近一帯はカヤの群生する沼地で、駅名はこれによったものである[3]」と紹介している。

これについてアイヌ語研究者の山田秀三は「シラルトロ湖の事を茅沼としたのではなかろうか[11]」と推測している。

タンチョウが来る駅

1964年(昭和39年)に発生した水害により営巣地を失ったタンチョウに駅員が餌付けをし始め[7]、以来当駅にはタンチョウが来訪するようになった。

駅長の交代時にも事務引継ぎ事項として餌やりが明記され[8]無人化後は地元町民や駅前の民宿の手によって餌付けが行われている。

駅構造

単式ホーム1面1線の地上駅。かつては副本線(旅客ホームなし)や側線を有していた[12]

釧路駅管理の無人駅となっており、駅舎は三角屋根のログハウスとなっている[8]。改築前の駅舎は木造駅舎であった[8]

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1975年(昭和50年) 2,914 (8.0) [13]
1976年(昭和51年) 3,189 (8.7)
1981年(昭和56年) 3,285 (9.0)
1982年(昭和57年) 2,920 (8.0)
1983年(昭和58年) 2,555 (7.0)
1984年(昭和59年) 2,920 (8.0)
1985年(昭和60年) 2,920 (8.0)
1986年(昭和61年) 3,285 (9.0)
1987年(昭和62年) 3,650 (10.0)
1988年(昭和63年) 2,928 (8.0)
1989年(平成元年) 2,555 (7.0)
1990年(平成02年) 2,555 (7.0)
1991年(平成03年) 2,038 (5.6)
1992年(平成04年) 1,953 (5.4)
1993年(平成05年) 2,047 (5.6)
1994年(平成06年) 1,825 (5.0)
1995年(平成07年) 1,830 (5.0)
2015年(平成27年) 「10名以下」
2016年(平成28年) 2.2 [JR北 1]
2017年(平成29年) 2.0 [JR北 2]
2018年(平成30年) 2.8 [JR北 3]
2019年(令和元年) 3.2 [JR北 4]
2020年(令和02年) 3.0 [JR北 5]
2021年(令和03年) 2.8 [JR北 6]

駅周辺

ラムサール条約登録湿地 釧路湿原のエリア内の駅。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
釧網本線
快速「しれとこ摩周号」・普通
標茶駅 (B61) - *五十石駅 (B60) - 茅沼駅 (B59) - 塘路駅 (B58)
*打消線は廃駅

脚注

出典

  1. ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、924頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、246頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年4月2日閲覧 
  3. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、161頁。ASIN B000J9RBUY 
  4. ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 85
  5. ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 104
  6. ^ 『鉄道百年の歩み』 p. 117
  7. ^ a b 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、136頁。ISBN 4-09-395401-1 
  8. ^ a b c d 書籍『消えた駅舎 消える駅舎』(著:松尾定行、東京堂出版2012年4月発行)36-37ページより。
  9. ^ JR北海道、42無人駅の廃止検討 道内全駅の1割強、4駅は来春にも:北海道新聞デジタル”. 北海道新聞デジタル. 北海道新聞社 (2023年6月17日). 2023年11月2日閲覧。
  10. ^ a b c 標茶町議会 編集・広報委員会(編)「一般質問 町政を問う」(PDF)『しべちゃ議会だより』第134号、標茶町議会 編集・広報委員会、2023年11月1日、3-10頁、2023年11月2日閲覧 
  11. ^ 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 271. ISBN 978-4-88323-114-0 
  12. ^ 『北海道 釧網本線』 p. 85
  13. ^ Ⅴ. 建設・運輸・水道” (PDF). 標茶町統計書(2021年版). 標茶町. p. 51 (2021年). 2022年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月4日閲覧。

JR北海道

  1. ^ 釧網線(東釧路・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20171209102545/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/senku/pdf/senku/08.pdf2017年12月10日閲覧 
  2. ^ 釧網線(東釧路・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180818153329/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/region/pdf/senku/08.pdf2018年8月19日閲覧 
  3. ^ 釧網線(東釧路・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  4. ^ 釧網線(東釧路・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
  5. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  6. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク