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「国鉄キハ38形気動車」の版間の差分

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| 車両名 = 国鉄キハ38形気動車
| 車両名 = 国鉄キハ38形気動車
| 背景色 = #000
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| 画像 = MR DC kiha38 104 Hachikou Line color 20220216.jpg
| 画像 = MR DC kiha38 104 Hachikou Line color 20220216.jpg
| 画像説明 = [[八高線]]色に再塗装された水島臨海鉄道キハ38-104
| 画像説明 = [[八高線]]色に再塗装された水島臨海鉄道キハ38-104
| 運用者 = [[日本国有鉄道]]<br />[[東日本旅客鉄道]] <br /> [[水島臨海鉄道]] <br /> [[ミャンマー国鉄]]
| 運用者 = [[日本国有鉄道]]<br />[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<br />[[水島臨海鉄道]]<br />[[ミャンマー国鉄]]
| 製造所 = 国鉄大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場
| 製造所 = 国鉄大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場
| 製造年 = 1986年 - 1987年
| 製造年 = 1986年 - 1987年
| 製造数 = 7両
| 製造数 = 7両
| 運用開始 = 1986年7月1日<ref name="RJournal1986-10">鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1986年10月号LOCAL NEWS「キハ38形が八高線で運転開始」p.120</ref>
| 運用開始 = 国鉄:1986年7月1日<ref name="RJournal1986-10">鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1986年10月号LOCAL NEWS「キハ38形が八高線で運転開始」p.120</ref><br/>水島臨海鉄道:2014年
| 運用終了 = 2012
| 運用終了 = JR東日本:2012<br/>水島臨海鉄道:運用中
| 廃車 =
| 廃車 =
| 軌間 = 1,067 mm
| 軌間 = 1067 mm
| 最高速度 = 95 km/h
| 最高速度 = 95 km/h
| 車両定員 = 0番台:124人<br />1000番台:138人
| 車両定員 = 0番台:124人<br/>1000番台:138人
| 自重 = 0番台:30.8 t<br />1000番台:30.3 t (空車重量
| 自重 = 0番台:30.8 t(空車)<br/>1000番台:30.3 t (空車)
| 全長 = 20,000 mm
| 全長 = 20000 mm
| 全幅 = 2,928 mm
| 車体長 = 19500 mm
| 全幅 = 2928 mm
| 全高 = 0番台:3,995 mm<br />1000番台:3,925 mm
| 車体 = 19,500 mm
| 車体 = 2800 mm
| 全高 = 0番台:3995 mm<br/>1000番台:3925 mm
| 車体幅 = 2,800 mm
| 車体高 = 3,680 mm
| 車体高 = 3680 mm
| 床面高さ = 1,250 mm
| 床面高さ = 1250 mm
| 車体 = [[炭素鋼|普通鋼]]
| 車体 = [[炭素鋼|普通鋼]]
| 台車 = DT22C・TR51B
| 台車 = 軸箱守(ウイングばね)方式コイルばね台車<br />[[国鉄DT21形台車|DT22C・TR51B]]
| 動力伝達方式 = 液体式
| 動力伝達方式 = [[気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式#液体式(流体式)|液体式]]
| 機関 = DMF13HS
| 機関 = DMF13HS[[ディーゼルエンジン|ディーゼル機関]]
| 機関出力 = 250 PS / 1,900 rpm
| 機関出力 = 250 PS / 1900 rpm
| 変速機 =
| 変速機 = TC2BもしくはDF115A
| 変速段 = 変速1段、直結1段
| 制動装置 = [[自動空気ブレーキ]]
| 制動装置 = DA1[[自動空気ブレーキ]]・[[保安ブレーキ|直通予備ブレーキ]]・[[手ブレーキ]]
| 保安装置 = [[自動列車停止装置|ATS-S]]
| 保安装置 = [[自動列車停止装置|ATS-S]]
| 備考 =
| 備考 = 交友社『鉄道ファン』1986年8月号巻末形式図参照。
}}
}}
'''キハ38形気動車'''は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が製造した[[一般形車両 (鉄道)|一般形]][[気動車]]である<ref>交友社『鉄道ファン』No.304 p.56</ref>。
'''国鉄キハ38形気動車'''(こくてつキハ38がたきどうしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が製造した[[一般形車両 (鉄道)|一般形]][[気動車]]である<ref>交友社『鉄道ファン』No.304 p.56</ref>。


[[1987年]](昭和62年)の[[国鉄分割民営化]]後は、7両全が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に継された。
[[1987年]]の[[国鉄分割民営化]]後は、7両全が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に継された。


== 概要 ==
== 概要 ==
=== 1980年代前半の国鉄気動車導入計画 ===
[[八高線]]で使用されていた[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系気動車]]は[[1960年代]]初頭に製造されたもので、初期製造グループは既に製造後25年近くを経過しており、老朽化が目立つようになった。また、周囲の電化線区の冷房化が進み、非冷房の同系列をそのまま使用し続けることは、サービス政策上望ましくなく、八高線への冷房車導入が必要であると判断された。
[[1980年代]]はじめの国鉄では、輸送の効率化や[[特定地方交通線]]の廃止等による気動車の所用両数の減少が見えてきたため、一般形気動車は[[1982年]]度をもって一旦導入を取りやめ、[[1990年]]前後から置換時期を迎える、[[1965年]]前後に大量に導入された気動車の代替の検討が進められることとなった<ref name="kg506-55">[[#kg506|『一般形気動車の車体更新改造』 p.55]]</ref>。当時の日本では[[省エネルギー#歴史|省エネルギー]]が謳われるようになっていたこともあり、搭載する[[ディーゼルエンジン|エンジン]]の[[燃焼室#直接噴射式|直噴]]化や車両の小型軽量化による省エネルギー化、機関の大出力化による高出力車の2基→1基エンジン化、新設計エンジンによる省力化が構想されていた<ref name="kg447-240">[[#kg447|『続・これからの車両を考える』 p.240]]</ref>。


一般形気動車では、経営環境の厳しい路線で運用するため、例えば17 m級車体や小断面車体の採用、[[廃車 (鉄道)|廃車]]発生品や[[自動車]]用部品の活用、[[耐用年数]]の見直しなどが総合的に検討され<ref name="kg447-241">[[#kg447|『続・これからの車両を考える』 p.241]]</ref>、「気動車本来の目的である比較的[[ローカル線|閑散な線区]]での合理的な運営に役立つ<ref name="kg506-55" />」車両として、直噴式の[[DMF13系エンジン (2代)|DMF13S]]を搭載する[[国鉄キハ37形気動車|キハ37形]]の[[プロトタイプ#鉄道車両|量産先行車]]5両が1982年度3次債で製造された<ref name="sd396-18">[[#sd396|『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.18]]</ref>。一方では[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]を代替する[[急行列車|急行]]用気動車も計画されており、1982年時点では、準[[特別急行列車|特急列車]]から[[快速列車]]までの幅広い運用を想定し、前面貫通形・片側2扉の[[ステンレス鋼|ステンレス]]車体で、[[鉄道車両の座席#転換式クロスシート(転換腰掛)|転換クロスシート]]、[[鉄道車両の台車史#ボルスタレス台車|ボルスタレス式台車]]、直噴式の[[DMF15系エンジン|DMF15HZB]]機関とDW11液体変速機を装備{{Refn|group="注"|DMF15HZBは300 PS / 1600 rpm、DW11は変速1段、直結1段で液体変速機部はTC2AやDF115Aと同じ3段6要素で、逆転部には[[クラッチ#噛み合いクラッチ|爪クラッチ]]を使用したのものであった<ref name="kg460-23">[[#kg460|『ディーゼル車における省エネルギー』 p.23]]</ref>}}する車両として設計されていた<ref name="tk384-12_13">[[#tk384|『これからの車両(1) 一般形気動車(キハ37) 新形式特急形気動車』 p.12-13]]</ref>{{Refn|group="注"|これらと並行して新型エンジンの開発も進められており、[[1981年]]時点では[[国鉄キハ40系気動車|キハ40系]]のDMF15HSAを直噴化改造したDMF15HSA-DI、DMF15HSAをベースに直噴式・電子ガバナ装備の新設計とした、新形式急行用気動車向けのDMF15HZB、軽快気動車用として舶用機関を転用したDMF13Sの開発が進められていた<ref name="tk375-12_15">[[#tk375|『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.12, 15]]</ref>}}。
そこで、キハ35系のうち特に状態の悪い車両について[[廃車 (鉄道)#車体振り替え|車体更新]]を実施することになり、[[1986年]](昭和61年)から1987年にかけてキハ35形の改造名義により7両が各地の国鉄工場([[大宮総合車両センター|大宮工場]]、[[郡山総合車両センター|郡山工場]]、[[長野総合車両センター|長野工場]]、[[下関総合車両所|幡生車両所]]、[[西日本旅客鉄道鷹取工場|鷹取工場]])にて、コストダウンを図ると共に国鉄各工場の技術力維持を目的として製造された。[[鉄道車両の台車|台車]]や変速機などの主要機器にキハ35形からの[[部品取り|発生部品]]を流用し、合わせて[[バス (交通機関)|バス]]用の部品を多用することで軽量化と製造コスト抑制を図っている。


しかしながら、キハ37形の製造と同時期に[[特定地方交通線#第1次廃止対象路線|第1次特定地方交通線]]の廃止が具体化し、また、経営改善計画に則った輸送改善が1982年11月、[[1984年]]2月、[[1985年]]3月に実施されることとなって車両需給が見通せなくなったため、一般形気動車の新製は一時中止され<ref name="kg506-55_56">[[#kg506|『一般形気動車の車体更新改造』 p.55-56]]</ref>、並行して設計されていた急行用気動車の導入も見送られ{{Refn|group="注"|搭載される予定であったDMF15HZBは1981年には試作機が製作されていた<ref name="tk375-14">[[#tk375|『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.14]]</ref><ref name="kg479-25">[[#kg479|『ディーゼル車両の省エネルギー化』 p.25]]</ref>}}、キハ40系の直噴化(DMF15HSA-DI化)改造も1987年までに北海道配置の112両に実施されたのみとなった。
[[列車便所|トイレ]]付きの0番台が4両、トイレなしの1000番台が3両の計7両が製造された。いずれも片[[操縦席|運転台]]であるため、最小運行単位は2両となる。なお、0番台のトイレは、久留里線移籍時に閉鎖されている。


=== 1980年代後半の気動車導入計画とキハ38形 ===
番号の新旧対照は、次のとおりである。
キハ37形の導入中止後の1985年の時点では、一般形気動車の所要数は約2200両で、うち約600両は特別保全工事を実施した急行形気動車を、1000両はキハ40系を継続使用するが、残る約600両は1985年度期首で経年21 - 25年であるため、1990年手前頃より順次代替する必要があると見積もられていた<ref name=" tk430-16">[[# tk430|『気動車の車体更新』 p.16]]</ref>。一方で、当時、国鉄再建監理委員会の答申では[[特定地方交通線]]は廃止し、その他の[[地方交通線]]は当面各旅客会社で運営することとされ、また、[[1986年]]度には分割民営化に向けての最後の輸送改善が計画されており、これらが固まるにつれてその後の気動車の需給状況も明確になる見通しであった<ref name="kg506-56" />。


しかし、代替が見込まれる約600両のうち、[[都市]][[近郊]]で使用される3扉・[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]の[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]はその接客設備の違いから、当面確保される約1500両のキハ40系および急行形気動車で代替することはできず、また、これらの車両が使用される路線は廃止対象ではない一方で近い将来の[[鉄道の電化|電化]]も見込めないことから、老朽化対応策が必要であった<ref name="kg506-56">[[#kg506|『一般形気動車の車体更新改造』 p.56]]</ref>。そこで、このような車両需給の見通せない状況下で導入しても手戻りとならず、かつ優先度が高いとされたキハ35系の代替を実施することとして<ref name="kg506-56" />、キハ37形をベースとしたキハ38形が導入されることとなった<ref name="tk430-16" />。このキハ38形の製造にあたっては、投資の抑制と余剰人員の活用を図るため、キハ37形における発生品活用の考え方をさらに徹底し、原則として車体のみを国鉄工場で新製して主要機器はキハ35系からの[[部品取り|発生部品]]を再利用する「[[廃車 (鉄道)#車体振り替え|車体更新]]改造」とすることとした<ref name="kg506-56" />。
{| style="font-size:80%;"

当時[[八高線]]、[[相模線]]などで運用されていたキハ35系は[[1961年]]から製造されたもので、初期製造車は1980年代には既に製造後25年近くを経過して老朽化が目立つようになった。また、{{要出典範囲|周囲の電化線区の冷房化が進み、非冷房の同系列をそのまま使用し続けることは、サービス政策上望ましくなく、八高線への冷房車導入が必要であると判断された|date=2024-12}}。

なお、本形式の考え方も取入れた形で<ref name=" sk621-12">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.12]]</ref>[[北海道]]、[[四国]]、[[九州]]向け気動車の設計が進められ<ref name="tk430-21" />、分割民営化の時点でこの3島に残る1965年度以前製造の一般形気動車約300両のうち、輸送効率化、電化、路線廃止等による必要数削減後も残ると見積もられる約100両を代替することして、[[国鉄キハ54形気動車|キハ54形]]、[[国鉄キハ31形気動車|キハ31形]]、[[国鉄キハ31形気動車|キハ32形]]計82両が導入されている<ref name="tk375-17">久須美康博(車両局車両課) 「新形式気動車の新製計画について」『鉄道工場』第37巻第375号、p.17</ref>。

=== キハ38形の概要 ===
基本的な車両の構造・考え方はキハ37形をベースとしながら、キハ35形に合わせて3扉とし<ref name=" sk621-6" /><ref name="tk430-16_17">[[# tk430|『気動車の車体更新』 p.16-17]]</ref>、当時の国鉄を取巻く厳しい情勢に鑑み、費用を抑制するためにキハ35形の台車や機器等を再用し、軽量・低コストを考慮した設計とした一方、旅客サービス向上を図り、また、都市近郊の[[通勤列車|通勤輸送]]に使用することから、[[電車]]や[[バス (交通機関)|バス]]と比較しても見劣りしないよう、[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を搭載したり、内装についてもそれらと遜色のないものとするなど、従来の気動車のイメージを一新する車両としている<ref name=" sk621-6">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.6]]</ref>。また、設計および[[図面]]作製は国鉄各工場のメンバーから組成された[[プロジェクトチーム]]により行われ<ref name="tk430-16" />、最短2両編成での運行を想定して片[[操縦席|運転台]]としたほか<ref name="kg506-56" />、[[列車便所|トイレ]]は2両に1箇所の割合で設置することとしてトイレの有無で番号区分し、トイレ付きを0番台、トイレなしを1000番台とした<ref name="kg506-56" />。

電車においては、例えば[[1966年]]製の[[国鉄301系電車|301系]]や、1985年製の[[国鉄205系電車|205系]]などで、車体材料を[[アルミニウム]]やステンレス等として軽量化を図っていたが、本形式では、車体強度計算の精度向上に伴って各部材の強度を保ちつつ板厚を薄くする検討が可能になったことを活用して鋼製車体のまま軽量化を進めることとした<ref name=" sk621-12" />。構造モデルを複数作成してその比較により構造を決定したほか、機関・電線ダクト・側窓・座席等においても軽量化を図っている<ref name=" sk621-12">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.12]]</ref>。その結果、本形式の自重はトイレ付の0番台が空車30.8 t、積車38.2 t、トイレ無の1000番台が空車30.3 t、積車37.7 tとなり<ref name="sd396-19" />、トイレ付・片運転台車での比較において、ベースとなったキハ37形0番台より、扉数増・冷房装置の搭載や、機関出力の向上にも関わらず約0.8 t軽くなっており、同様にキハ35形の0番代より約1 tの減、[[オールステンレス車両]]の900番台からは約2.5 tの増となっている{{Refn|group="注"|キハ37形はトイレ付の0番台が空車31.6 t、積車39.7 t、トイレ無の1000番台が空車30.7 t、積車38.7 t<ref name="sd396-19">清水和男(車両設計事務所)「キハ37形式一般形ディーゼル動車について」『車両と電気』第34巻396号 p.19</ref>、キハ35形0番台は空車32.0 t、ステンレス車体の900番台は空車28.4 t<ref name="kkk-156_158">[[#kkk |『国鉄気動車形式図集』 p.156-158]]</ref>}}。こういった軽量化と機関出力の増強により、積車時の性能曲線においては、キハ35系との比較では全ての速度域で上回る性能となっており、上り25パーミルでの[[均衡速度]]はキハ35系の約30 km/hに対し、本形式では約40 km/hとなっている<ref name=" tk430-19" />。

キハ35系の{{要出典範囲|特に状態の悪い車両について|date=2024-12}}車体更新する形で、1986年から1987年にかけて7両が各地の国鉄工場([[大宮総合車両センター|大宮工場]]、[[郡山総合車両センター|郡山工場]]、[[長野総合車両センター|長野工場]]、[[下関総合車両所|幡生車両所]]、[[西日本旅客鉄道鷹取工場|鷹取工場]])にて、コストダウンを図ると共に国鉄各工場の技術力維持を目的として製造された。番号の新旧対照は下表のとおり。

{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
|+ キハ38形改造一覧
|-
|-
! rowspan=2|形式 !! colspan=4|改造後 !! colspan=5|改造前 !!rowspan=2|備考
|style="vertical-align:top;"|
{| class="wikitable"
|-
|-
!形式!!改造!!改造!!製造所
! 番号 !! 竣工日 !! 改造!! 改造後配置 !! 番号 !! 竣工日 !! 製造所 !! 廃車日!! 最終配置
|-
|-
!rowspan="4"|0番台
! rowspan=7 |キハ38形
|キハ38 1 ||1986年6月11日||大宮工場||rowspan=6|[[ぐんま車両センター|高崎第一機関区]]||キハ35 152||1966年2月2日||rowspan=7|[[SUBARU|富士重工業]]||1986年6月11日||rowspan=2|高崎第一機関区||rowspan=4|トイレ付
|キハ38 1||キハ35 152||大宮工場
|-
|-
|キハ38 2||キハ35 161||郡山工場
|キハ38 2 ||1986年6月4日||郡山工場||キハ35 161||1966年2月25日||1986年6月4日
|-
|-
|キハ38 3 ||1986年10月31日||rowspan=2|大宮工場||キハ35 513||1965年5月20日||1986年10月31日||rowspan=2|高崎第一機関区{{Refn|group="表注" | name="茅1" |1986年10月14日転属 [[茅ヶ崎運輸区|茅ヶ崎機関区]] → 高崎第一機関区}}
|キハ38 3||キハ35 513||大宮工場
|-
|-
|キハ38 4||キハ35 515||大宮工場
|キハ38 4 ||1986年11月26日||キハ35 515||1965年9月10日||1986年11月26日
|}
|style="vertical-align:top;"|
{| class="wikitable"
|-
|-
|キハ38 1001 ||1986年5月29日||長野工場||キハ35 153||1966年2月2日||1986年5月29日||rowspan=2|高崎第一機関区||rowspan=3|トイレ無
!形式!!改造後!!改造前!!製造所
|-
|-
|キハ38 1002 ||1986年5月23日||幡生車両所||キハ35 201||1966年4月19日||1986年5月23日
!rowspan="3"|1000番台
|キハ38 1001||キハ35 153||長野工場
|-
|-
|キハ38 1003 ||1987年3月16日||鷹取工場||[[ぐんま車両センター|高崎車両所]]{{Refn|group="表注" | name="高1" |1987年3月1日に高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合して高崎運転所となる}}||キハ35 516||1965年9月4日||1987年3月16日||高崎車両所<ref name="茅1" group="表注" /><ref name="高1" group="表注" />
|キハ38 1002||キハ35 201||幡生車両所
|-
|-
|- class="sortbottom
|キハ38 1003||キハ35 516||鷹取工場
|colspan="11" style="text-align:left;" |{{Reflist|group="表注"}}
|}
|}
|}


== 車両概説 ==
== 構造 ==
=== 車体 ===
=== 車体 ===
朝夕の[[ラッシュ時]]に対応する必要があったことから、通勤形気動車として設計されたキハ35系の扉配置踏襲されている。このため、キハ35系と同じく前面[[貫通扉|貫通]]形で、側面に3か所の両開き扉を備える[[炭素鋼|普通鋼]]製車体であるが、車体構造は[[1983年]](昭和58年)に製造された[[国鉄キハ37形気動車|キハ37形]]の設計を基本としており、車体長は19.5 m、車体幅は2.8 mである<ref name="rp200402_p25">岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.25</ref>。
通勤形気動車として設計されたキハ35系を更新したもであり、朝夕の[[ラッシュ時]]に対応できるよう、扉配置踏襲されている。キハ35系と同じく前面[[貫通扉|貫通]]形で、側面に3か所の両開き扉を備え<ref name=" tk430-16" />、車体に軽量[[形鋼]]と鋼板を、床板に耐候性[[高張力鋼]]を使用す<ref name=" tk430-17" />[[炭素鋼|鋼]]製車体であるが、車体構造は[[1983年]]に製造されたキハ37形の設計を基本としており、車体長は19.5 m、車体幅は2.8 mである<ref name="rp200402_p25">岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.25</ref>。


乗降扉はキハ35系と同じく[[階段|ステップ]]付きで幅1300 mm{{Refn|group="注"|キハ35系は有効幅1200 mm<ref name="kg192-13">「通勤用ディーゼル動車キハ35形式 」『交通技術』第16巻192号、p.13</ref>、キハ38形も若干引残しがある}}の[[両開き#日本の鉄道車両の両開き扉|両開式]]で、同形式の戸閉機械は101系電車に使用された床下設置形のTK6を一部変更したTK6Aであったが、本形式ではキハ66系やキハ47形と同じ自動・半自動切換で鴨居設置形のTK106Aを使用しており<ref name="sk692-8">石川誠(車両設計事務所)「戸じめ機械のいろいろ(2) 」『車輛工学』第53巻602号、p.8</ref><ref name=" tk430-17">[[# tk430|『気動車の車体更新』 p.17]]</ref>{{Refn|group="注"|電車では、[[国鉄115系電車|115系]]、105系、[[国鉄119系電車|119系]]などの自動・半自動切換式戸閉機械はTK8Aを使用している<ref name="sk692-11">石川誠(車両設計事務所)「戸じめ機械のいろいろ(2) 」『車輛工学』第53巻602号、p.11</ref>}}、[[自動ドア#ボタン式半自動|半自動]]時の開閉は一部のキハ35系改造車や[[国鉄211系電車|211系]]電車と同じ押ボタン式である<ref name=" tk430-19" />。
乗降口はキハ35系と同じくステップ付きで、扉は[[自動ドア#ボタン式半自動|自動・半自動(押ボタンによる開閉操作)]]の切り替えが可能な構造である。キハ35系の外観上の特徴だった外吊り戸は、車体との隙間が大きく冬期に車内の保温性に難があったことと、ステップと[[戸袋]]を設けても車体[[強度]]の上で問題がない(補強を加えても重くなりすぎない)と判断されたことから、本形式では外吊り戸を止め、通常の両開き扉となっている。そのため、キハ35系に比べすっきりとした外見となったが、縦形機関(直立[[シリンダーブロック|シリンダー]]形エンジンの国鉄での呼称)搭載のキハ37形の構造をそのまま流用したため、新型の横型機関(同じく水平シリンダー形)を搭載しているにもかかわらず、床面高さが高く、腰高な印象となっている。側面窓はバス用のユニット窓(上段下降・下段上昇式)を使用し、戸袋窓は廃止している。


乗降口にステップを設置した車両は扉・[[戸袋]]部の[[台枠#鉄道車両の台枠|台枠]]側梁が切欠かれるため強度設計が難しくなるが、特にその影響が大きい両開き3扉の扉配置{{Refn|group="注"|両開き3扉の扉配置では側梁が切欠かれる長さが長くなるとともに、車端側の戸袋部が台枠枕梁の同じ位置となり、戸袋を設けるとこの部分の側梁が切欠かれて側梁と枕梁間での車体荷重の伝達が難しくなる<ref name="sd143-23_24" />}}のキハ35系は外吊式扉とすることで、側梁が切欠かれる長さを抑制しつつ、側梁と枕梁が接続される車端側戸袋位置の側梁を切欠かないようにして{{Refn|group="注"|加えて、扉横の吹寄せ部およびステップ部を強度部材としている<ref name="kg192-13" />}}車体の強度を確保している<ref name="kg192-13" /><ref name="sd143-23_24">加藤亮(臨時車両設計事務所)「通勤用デイーゼル動車キハ35の誕生 」『車両と電気』第12巻143号、p.23-24</ref>。一方、キハ38形では、外吊扉と車体の間からの隙間風を防止するため、戸袋を設けつつ強度も確保する設計として一般的な戸袋付の形態としている<ref name=" tk430-19">[[#tk430|『気動車の車体更新』 p.19]]</ref>{{Refn|group="注"|そのため、キハ35系に比べすっきりとした外見となったが、{{要出典範囲|縦形機関(直立[[シリンダーブロック|シリンダー]]形エンジンの国鉄での呼称)搭載のキハ37形の構造をそのまま流用したため|date=2024-12}}、横型機関(同、水平シリンダー形)を搭載しているにもかかわらず、床面高さが同形式より10 mm低いもののキハ40系の1215 mmより35 mm高く、キハ35系と同じ1250 mmで、腰高な印象となっている}}が、構体の重量は9.12 tとなり、キハ37形の8.53 tから扉の増加分を考慮(2扉車と3扉車で車体重量に約800 kgの差があるとされる)すれば同等となっている<ref name="tk430-21">[[#tk430|『気動車の車体更新』 p.21]]</ref>。
前面には、[[前照灯]]・[[尾灯]]がケーシング中に水平に並べて配置されている。正面窓には[[国鉄201系電車|201系電車]]等と同様のブラックフェイスを採用した。


側面窓はバス用のユニット窓(上段下降・下段上昇式)を改良したもの使用し、窓枠と各窓間の窓柱部の外板を黒色として連続窓風のデザインとしている<ref name=" sk621-7" />ほか、戸袋窓は廃止している。
車体塗装は[[クリーム10号]]地に赤15号・灰茶8号の帯とされた。

車体正面は[[国鉄105系電車|105系]]電車をベースとした貫通式のもので、前面窓上下の黒色処理部が上下とも105系より上寄りの位置となり、前面窓下には[[前照灯]]・[[尾灯]]がケーシング内に水平に並べて配置されている。灯具は105系などと同じ一般的な丸型外バメ式の前照灯と尾灯を長方形状の窪みの中に並べて配置{{Refn|group="注"|後の[[国鉄107系電車|107系]]電車と類似の配置}}した上に、ケーシング状のカバーを設けたものとなっている<ref name="tk430a-27">[[#tk430a|『キハ38形通勤形気動車』 p.27]]</ref>。

車体塗装は[[クリーム10号]]をベースに赤とグレー({{要出典範囲|赤15号・灰茶8号|date=2024-12}})の帯とし<ref name=" sk621-7">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.7]]</ref>、正面窓付近は[[国鉄201系電車|201系電車]]等と同様のブラックフェイスとしている{{Refn|group="注"|105系電車のデザイン案のうちいくつかに本形式のデザインに若干類似したものがある<ref name="RML-1_2">福原俊一「105・119系」『RMライブラリー』第264号、p.1-2</ref>}}。


=== 車内 ===
=== 車内 ===
キハ35系と同様の全席ロングシートの配置で、座席は簡素化・軽量化を図り、1席ずつに区分した[[バケットシート#旅客用途|バケットシート]]として定員分の人数が着席できるようにしているが、0番台のトイレ向かい側の座席はトイレ使用者への配慮としてキハ35形やキハ37形と同様に横向きの[[鉄道車両の座席#固定式クロスシート|ボックスシート]]となっている<ref name=" sk621-8_10">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.8, 10]]</ref>。また、内装には[[メラミン樹脂]]化粧板やカラーアルミを使用した<ref name=" sk621-7" />ほか、天井の化粧板にはバス用のものを使用している<ref name="tk431-47">[[#tk431|『キハ38形気動車の完成』 p.47]]</ref>。
[[ファイル:Kiha-38syanai.jpg|right|240px|thumb|車内]]
キハ35系と同様、全席[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]で、1席ずつ区分されたバケットシートとなっている。ただし0番台のトイレ向かい側の座席のみ、横向きの[[鉄道車両の座席#固定式クロスシート|ボックスシート]]である。


本形式では新製時より[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を搭載している。急行形気動車や快速形として製造された[[国鉄キハ66系気動車|キハ66・67形]]を別にすれば、国鉄の一般形気動車としては初である。冷房装置はコストダウンのためこれらとは異なり、[[2階建車両#バス|2階建てバス]]用の冷房システム用したサブエンジン方式のAU34を搭載している。[[冷凍能力|冷却能力]]は30.23kW(26,000kcal/h)で、通勤用車両としては若干能力が不足気味となっているため、扇風機も併設している<ref name="rp200402_p27">岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.27</ref>。ただし扇風機は車両ごとの一括制御で、乗客が操作することはできない
本形式では新製時より[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を搭載している。快速列車用の[[国鉄キハ66系気動車|キハ66・67形]]を別にすれば、国鉄の一般形気動車[[指宿枕崎線]]用キハ40系冷房改造車<ref name="tk431-32">戸森健一「キハ40・47冷房改造車について」『鉄道工場』37巻431号、p.32</ref>と並んでの事例である。冷房装置は、編成中に数両毎に専用の発電機を搭載した車両を連結してその電力を使用する従来の電気式のものとは異なり、自車の冷房を全て自車でまとめることで車両運用の不便さを解消し<ref name="tk430-20" /><ref name=" sk621-10">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.10]]</ref>、また、コストダウンのため[[2階建車両#バス|2階建てバス]]用のもの用した機械式([[独立機関式冷房装置#鉄道車両|サブエンジン方式]])のAU34を搭載している。


AU34は[[国鉄キハ31形気動車|キハ31形]]にも搭載されているもので、床下に搭載したクーラーユニット内に排気量約2.5 lの冷房用機関1基と冷媒圧縮機、[[エバポレーター]]、コンデンサーなど一式を搭載して、エバポレーターとコンデンサーの各送風機も冷房用機関で駆動されている<ref name="sk623-21_23">[[#sk623|『気動車の新しい冷房装置』 p.21-23]]</ref>。[[冷凍能力|冷却能力]]は30.2 kW(26000 kcal/h)で、当時の通勤形電車の標準的能力の48.8 kW(42000 kcal/h)より低いものの、扉数が少なく、乗車率もそれほど高くないため十分と考えられたほか、能力不足を補うため[[扇風機]]を併設している<ref name="tk430-20" /><ref name="rp200402_p27">岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.27</ref>。そのため、この扇風機は個別に乗客が操作可能な方式ではなく、冷房装置とともに車両ごとの一括制御となっている<ref name="tk430-20" />。
暖房装置はキハ37形などと同様の温風暖房である。

暖房装置はキハ40形やキハ37形などと同様の温風暖房である<ref name=" tk430-20" />。床下の熱交換器でエンジンの排熱もしくは機関予熱器により加熱されたエンジン[[水冷|冷却水]]を使用した[[熱交換器|熱交換]]で温風を作るもので、本形式では熱交換器は1台で吸気口は右側車体中央の側扉戸袋部の[[天井]]付近となり、床部から[[ダクト]]が立ち上がっている<ref name=" sk621-8_11">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.8-11]]</ref>ほか、温風は室内片側に設置された座席下のダクトから室内へ送り込まれる。他形式と混用されることを想定し、冷房および、キハ35系などと方式が異なる暖房の制御は編成毎ではなく各車毎に単独制御する方式としている<ref name=" tk430-20" />。

運転室はキハ37形と同様の高運転台式であるが、運転室の奥行は1630 mmから1460 mm(共に前面構体厚を含む)に短縮されている<ref name="kkk-161_164">[[#kkk |『国鉄気動車形式図集』 p.161-164]]</ref>。

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ファイル:Kiha-38syanai.jpg|キハ38形の車内
ファイル:JNR Type Kiha 38 DMU 066.JPG|0番台のトイレ対向部のクロスシート、座席はロングシート部と同形状
ファイル:JNR Type Kiha 38 DMU 071.JPG|天井には冷房ダクトと扇風機が併設される
ファイル:JNR Type Kiha 38 DMU 065.JPG|写真左側の扉横が暖房用吸気ダクト、右側の扉横が冷房用送気ダクト
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=== 主要機器 ===
=== 主要機器 ===
{{see also|DMF13系エンジン (2代)|国鉄キハ44500形気動車#日本の気動車用液体式変速機の起源}}
走行用機関としては、キハ37形のDMF13Sを横型とした[[新潟鐵工所]]製の[[DMF13系エンジン (2代)|DMF13HS]](250[[馬力|PS]]/1,900[[rpm (単位)|rpm]]) [[過給機|過給器]]付き直噴式[[ディーゼルエンジン]]1基を搭載している<ref name="rp200402_p26">岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.26</ref>。従来の[[DMH17系エンジン|DMH17系]]や[[DMF15系エンジン|DMF15HS系]]などに比べ小型、軽量、高出力、低燃費で、始動性や整備性にも優れている。
走行用機関として、キハ37形のDMF13Sを横型とした[[新潟鐵工所]]製の[[DMF13系エンジン (2代)|DMF13HS]](250[[馬力|PS]]/1900[[rpm (単位)|rpm]]) [[過給機|過給器]]付き直噴式[[ディーゼルエンジン]]1基を搭載している<ref name="rp200402_p26">岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.26</ref>。従来の[[DMH17系エンジン|DMH17系]]やDMF15HS系などに比べ小型、軽量{{Refn|group="注"|DMF13HSの乾燥重量が約1.5 tである<ref name=" tk430-20">[[# tk430|『気動車の車体更新』 p.20]]</ref>のに対し、DMH17Hは1550 kg、DMF15HSAは2720 kg(歯車駆動の補機類を含む)<ref name="kss51-172_173">日本国有鉄道工作局 『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』、p.172-173</ref>}}、高出力、低燃費で、始動性や整備性にも優れている。


DMF13HSから機関本体の重量は若干増加しているものの、機関ベッドが不要になる分軽量化が図られたほか、オートタイマーにより進角制御を行うこととして、出力が増加したにもかかわらず燃費は向上している<ref name=" tk430-20" />。一方、機関制御方式はキハ40系が電磁式燃料制御装置を、同系列の直噴化に使用されたDMF15HSA-DIは電子式燃料制御装置を使用していた<ref name="kg479-25">[[#kg479|『ディーゼル車両の省エネルギー化』 p.25]]</ref>のに対し、DMF13HSはDMH17系と同じ空気式燃料制御装置を使用している<ref name="sd439-29">松山武「新型DCの登場について(1)」『車両と電気』37巻439号、p.29</ref>ため、長時間の留置等により車両の空気圧が低下しても機関の起動を可能とするために必要となる燃料制御装置専用の[[圧縮空気]]を確保する<ref name="sk586-12_13">入山迪夫「機関起動補助装置<新装置紹介>」『車輛工学』52巻586号、p.12-13</ref>機関起動補助装置が搭載されている<ref name=" sk621-11">[[#sk621|『キハ38形ディーゼル動車』 p.11]]</ref>。また、空気[[圧縮機]]や充電[[発電機]]などの補機類はキハ40系では歯車駆動であったが、本形式ではベルトの信頼性が向上したこととコスト削減のためベルト駆動に戻されている<ref name=" tk430-20" />。
液体変速機は、キハ35形からの発生品である、[[神鋼造機]]TC-2Aおよび新潟コンバータDF115Aで、エンジン出力の向上に対応して、[[トルクコンバータ]]と[[クラッチ]]回りに改良が施されている。


液体変速機は、キハ35形からの発生品である[[神鋼造機]]製TC2Aの機関と干渉する部分を一部改造したTC2B、もしくは[[日立ニコトランスミッション|新潟コンバータ]]製DF115Aで<ref name=" tk430-20" />、エンジン出力の向上に対応して、[[トルクコンバータ]]と[[クラッチ]]回りが改造されている。
台車についても、キハ35形からの発生品である[[国鉄DT21形台車#派生形式|DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)]]が流用されている<ref name="rp200402_p26" />。

台車は、キハ35形の[[国鉄DT21形台車#派生形式|DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)]]を流用している<ref name="rp200402_p26" />が、重量軽減に伴い基礎制動装置のブレーキテコ比が変更となったため、ブレーキテコが新製されているほか、現車には反映されなかったが側受支持方式に改造するための試作と試験も行われた<ref name=" tk430-21" />。なお、キハ35系は通勤用で最大乗車人数が多いため、同系列に使用されるDT22CおよびTR51B台車は他の部分の共通性を阻害しない範囲で車軸径を大きくしたものとなっている<ref name="sd143-23_24" />。

ブレーキ装置はキハ37形と同様に、キハ40系の長編成対応で応答性・保守性の良いCLE電磁自動ブレーキから、[[国鉄キハ44000形気動車|キハ44000形]]以降[[国鉄キハ45系気動車|キハ45系]]までの一般形気動車に使用され、キハ35系とも同じDA系自動ブレーキに戻されており、本形式には片運転台車両用のDA1が使用されている。DA系ブレーキはM23ブレーキ弁およびKB5脚台、A制御弁および管取付座、圧力調整弁等で構成される<ref name="JREA295-18">近藤昭次(車両設計事務所)「車両用空気ブレーキ発展の歴史と将来(その5)」『JREA』第29巻5月号、p.18</ref>が、ブレーキ部品にも廃車発生品が使用されている。また、ブレーキシリンダは台車の車端部寄りの床下に設置されている。

[[蓄電池]]はキハ45系以降に使用されている<ref name="kss51-150_170">日本国有鉄道工作局 『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』、p.150-170</ref>TRK15-12を2個搭載して[[放電容量|容量]]175 Ah(5[[放電容量#時間放電率と容量|時間放電率]])としているほか、充電発電機はキハ58系以降に使用されている出力2.5 kVAのDM80D交流発電機を1基搭載している<ref name=" tk430-18">[[#tk430|『気動車の車体更新』 p.18]]</ref>。


== 運用 ==
== 運用 ==
=== 八高線 ===
落成後は全車両が高崎第一機関区(→高崎運転所。現・[[ぐんま車両センター]])に配置され、[[1986年]](昭和61年)[[7月1日]]より八高線運用区間全線([[八王子駅|八王子]] - [[高崎駅|高崎]]間)で他形式と混結して運用された<ref name="RJournal1986-10"/>。
導入後は7両全車が[[ぐんま車両センター|高崎第一機関区]]およびその後身の高崎車両所に配置され、1986年[[7月1日]]より八高線([[八王子駅|八王子]] - [[高崎駅|高崎]]間)で運用された<ref name="RJournal1986-10"/>。本形式は当時八高線で運用されていたキハ35系をはじめとして、1990年まで運用されていたキハ20形、1987年から1990年まで4両が運用されていた[[国鉄キハ45系気動車#キハ45|キハ45形]]、[[1991年]]まで5両が運用されていた[[国鉄キハ40系気動車#キハ40形2000番台|キハ40形]]などとも編成を組み、最長5両編成で運用された一方で、民営化後の[[1993年]]にキハ110形7両<ref name="rf388">「JRグループ 車両のデータ・バンク92/93」『鉄道ファン』第33巻第388号、p.80-90</ref>、[[1995年]]にキハ111形・112形各2両<ref name="rf401">「JRグループ 車両のデータ・バンク93/94」『鉄道ファン』第34巻第401号、p.80-90</ref>が導入された[[JR東日本キハ100系気動車|キハ110系]]と本形式とは編成を組まずに運用された。


{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:0em 0em 1em 0em;"
民営化後の1996年(平成8年)、[[八王子駅|八王子]] - [[高麗川駅|高麗川]]間の[[鉄道の電化|電化]]と同時に、八高線非電化区間の全気動車を[[JR東日本キハ100系気動車|キハ110系]]に置き換える事が決定した。これに伴って本形式は全車両が幕張電車区木更津支区(→[[幕張車両センター木更津派出]])へ転出し、[[久留里線]]で使用される事となった。
|+ 1987年3月31日時点 高崎車両所気動車配置一覧(八高線・[[わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線|足尾線]])
|-
! 形式 !! 番台 !! 両数 !! 車番
|-
! rowspan=2 |キハ38形
|0番代||4両||style="text-align:left" |0 - 4
|-
|1000番台||3両||style="text-align:left" |1001 - 1003
|-
! rowspan=2 |キハ20形
|200番代||4両||style="text-align:left" |204, 293, 294, 323, 467
|-
|500番台 ||1両||style="text-align:left" |503
|-
!キハ30形
|0番代||15両||style="text-align:left" |18, 19, 33 - 35, 39, 58 - 60, 66, 78, 79, 89, 98, 99
|-
! rowspan=3 |キハ35形
|0番代||7両||style="text-align:left" |68, 70, 107, 108, 159, 162, 164
|-
|500番台 ||9両||style="text-align:left" |519, 524 - 531
|-
|900番台 ||4両||style="text-align:left" |904, 905, 907, 909
|-
!キハ40形
|2000番代||5両||style="text-align:left" |2085 - 2089
|-
|- class="sortbottom
|colspan="4" style="text-align:left;" |{{Reflist|group="表注"}}
|}


[[1996年]]の[[八王子駅|八王子]] - [[高麗川駅|高麗川]]間の電化の際に、残った非電化区間はキハ110系(キハ110形9両、キハ111形・112形各6両)<ref name="rf388" /><ref name="rf401" /><ref name="rf423">「JRグループ 車両のデータ・バンク95/96」『鉄道ファン』第36巻423号、p.79-89</ref>のみでの運用となり、本形式は全車両が[[幕張車両センター木更津派出|幕張電車区木更津支区]]へ転出し、[[久留里線]]で使用されることとなった。
転用に際して塗装が変更され、既に同線で運用されていたキハ30形、キハ37形と同様の、[[東京湾アクアライン]]をイメージしてクリーム地に青のストライプを施した旧久留里線色となった。キハ38 1・3については同年10月に薄いグレー地に青緑と青の帯を配した新塗装になり<ref name="rf_199701">[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1997年1月号 通巻429号 p.106</ref>、他の車両についても後にこの新塗装とされた。


=== 久留里線 ===
その後も久留里線で運用されていたが、2012年(平成24年)12月1日をもって同線の全気動車が[[JR東日本キハE130系気動車#100番台|キハE130形100番台]]に統一されたため、本形式はキハ30形、キハ37形と同時に定期運用を終了した<ref>{{Cite news|url=http://railf.jp/news/2012/12/02/135000.html |title=久留里線でキハ30・キハ37・キハ38の運転終了|publisher=[[交友社]] |agency=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]|work=railf.jp鉄道ニュース |date=2012-12-01}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/12/jr303738.html |title=【JR東】久留里線のキハ30形・キハ37形・キハ38形 運転終了|agency=鉄道ホビダス |publisher=[[ネコ・パブリッシング]] |work=RMニュース |date=2012-12-03}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.tetsudo.com/event/6776/ |title=久留里線 キハ30形・37形・38形 運転終了|publisher=鉄道コム|date=2012-09-21}}</ref>。運用終了後は1両が[[静態保存]]され、6両が他社もしくは海外へ譲渡された。
久留里線への転用に際し、同線で運用されていたキハ30形、キハ37形と同様の、[[東京湾アクアライン]]をイメージしてクリーム地に青のストライプを施した旧久留里線色となり、0番台のトイレは閉鎖されている。キハ38 1、キハ38 3は同年10月に薄いグレー地に青緑と青の帯を配した新塗装になり<ref name="rf_199701">[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1997年1月号 通巻429号 p.106</ref>、追って他の車両も新塗装に変更された。

その後、[[2012年]]12月1日に同線の気動車が[[JR東日本キハE130系気動車#100番台|キハE130形100番台]]に統一されたため、本形式はキハ30形、キハ37形と共に定期運用を終了した<ref>{{Cite news|url=http://railf.jp/news/2012/12/02/135000.html |title=久留里線でキハ30・キハ37・キハ38の運転終了|publisher=[[交友社]] |agency=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]|work=railf.jp鉄道ニュース |date=2012-12-01}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/12/jr303738.html |title=【JR東】久留里線のキハ30形・キハ37形・キハ38形 運転終了|agency=鉄道ホビダス |publisher=[[ネコ・パブリッシング]] |work=RMニュース |date=2012-12-03}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.tetsudo.com/event/6776/ |title=久留里線 キハ30形・37形・38形 運転終了|publisher=鉄道コム|date=2012-09-21}}</ref>。運用終了後は1両が[[静態保存]]され、6両が他社もしくは海外へ譲渡された。
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JRE-DC38-Hachiko.jpg|八高線色の頃のキハ38 2([[群馬藤岡駅]] - [[北藤岡駅]])
JRE-DC38-Hachiko.jpg|八高線で運用されるキハ38形とキハ35系による列車([[群馬藤岡駅]] - [[北藤岡駅]]、1988年頃
JRE-Kiha38 2-KururiLine.jpg|久留里線で運用されていたキハ38 2 久留里線色([[横田駅]]、2012年)
JRE-Kiha38 2-KururiLine.jpg|久留里線で運用されキハ38 2とキハ38 3の2両編成、久留里線色([[横田駅]]、2012年)
Kururi line kiha38.JPG|久留里線で運用されるキハ38 2とキハ38 1003の2両編成(2010年)
JR type 37 38 @Kazusa-Kameyama (2684121176).jpg|久留里線で運用されるキハ38形とキハ37形の2両編成([[上総亀山駅]]、2008年)
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== 譲渡 ==
== 譲渡 ==
=== 水島臨海鉄道 ===
=== 水島臨海鉄道 ===
久留里線で運用されていたキハ38 1003をキハ30形2両、キハ37形3両とともにJR東日本から購入し、リフレッシュ工事を行った上で[[2014年]]5月12日より営業運転を開始している<ref>{{Cite news | url=http://www.mizurin.co.jp/info_detail/index/38.html | title=「キハ37、38、30形式」の運転開始について|publisher=水島臨海鉄道 | date=2014-04-14}}</ref>{{Refn|group="注"|2013年7月10日に導入が公式発表された際には2014年3月より運行を開始するとされていた<ref>{{Cite news | url=http://response.jp/article/2013/07/11/202022.html | title=水島臨海鉄道、キハ30など6両購入…2014年3月末から運行開始へ|publisher=Response |date=2013-07-11}}</ref><ref>{{Cite news | url=http://www.mizurin.co.jp/info_detail/index/14.html |title=キハ30、キハ37、キハ38の6両を購入した車両が到着しました!! | publisher=水島臨海鉄道 |date=2013-07-10}}</ref>}}。導入に際し、キハ37形のキハ37 101 - 103からの連番となる「キハ38 104」となり、塗装は[[国鉄色#気動車の塗色|国鉄一般気動車色]]に変更された{{Refn|group="注"|本形式にこの塗装が施されたのは初めてであり、ブラックフェイス部分も塗装されていた}}。
[[ファイル:MR kiha38 104.JPG|right|240px|thumb|[[国鉄色#気動車の塗色|国鉄一般気動車色]]となった水島臨海鉄道キハ38 104(旧キハ38 1003)]]
2013年(平成25年)7月10日、[[水島臨海鉄道]]は久留里線で運用されていたキハ30形2両、キハ37形3両とともに本形式1両(キハ38 1003)をJR東日本から購入し、リフレッシュ工事を行った上で2014年(平成26年)3月より運行を開始すると発表した<ref>{{Cite news|url=http://response.jp/article/2013/07/11/202022.html |title=水島臨海鉄道、キハ30など6両購入…2014年3月末から運行開始へ|publisher=Response |date=2013-07-11}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.mizurin.co.jp/info_detail/index/14.html |title=キハ30、キハ37、キハ38の6両を購入した車両が到着しました!!|publisher=水島臨海鉄道 |date=2013-07-10}}</ref>。同年5月12日より営業運転を開始し<ref>{{Cite news|url=http://www.mizurin.co.jp/info_detail/index/38.html |title=「キハ37、38、30形式」の運転開始について|publisher=水島臨海鉄道 |date=2014-04-14}}</ref>、2019年(平成31年)3月改正のダイヤでは[[三菱自工前駅|三菱自工前]]・[[水島駅|水島]] - [[倉敷市駅|倉敷市]]間を平日朝2往復・夕方3往復運行している<ref>{{Citation|url=http://www.mizurin.co.jp/contents/time_table.html |title=時刻表|旅客事業|水島臨海鉄道株式会社|publisher=水島臨海鉄道}}</ref>。


[[2019年]]3月改正のダイヤでは[[三菱自工前駅|三菱自工前]]・[[水島駅|水島]] - [[倉敷市駅|倉敷市]]間を平日朝2往復・夕方3往復運行している<ref>{{Citation|url=http://www.mizurin.co.jp/contents/time_table.html |title=時刻表|旅客事業|水島臨海鉄道株式会社|publisher=水島臨海鉄道}}</ref>。
導入に際して「キハ38 104」に改番され<ref>キハ37からの連番。</ref>、塗装も国鉄標準色(国鉄一般気動車色)に変更された。本形式にこの塗装が施されたのはこれが初めてであり、額縁スタイルでくぼんでいたブラックフェイス部分も国鉄標準色で塗装されていた。


2022年(令和4年)2からはキハ38登場時の八高線色に再塗装されて運用を開始した<ref>{{Cite news|url=https://railf.jp/news/2022/02/08/000000.html |title=水島臨海鉄道で八高線色のキハ38 104の運転開始|publisher=鉄道ファン|date=2022-02-08}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://tv.kct.jp/program/detail.php?id=30926 |title=水島臨海鉄道 キハ38 新しい塗装で運行スタート|publisher=倉敷ケーブルテレビ|date=2022-02-07}}</ref>。
2022年2はキハ38登場時の八高線色に再塗装された<ref>{{Cite news |url=https://railf.jp/news/2022/02/08/000000.html |title=水島臨海鉄道で八高線色のキハ38 104の運転開始|publisher=鉄道ファン |date=2022-02-08}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://tv.kct.jp/program/detail.php?id=30926 |title=水島臨海鉄道 キハ38 新しい塗装で運行スタート| publisher=倉敷ケーブルテレビ| date=2022-02-07}}</ref>。
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ファイル:MR kiha38 104.JPG|国鉄一般気動車色となった水島臨海鉄道キハ38 104とキハ37形の編成(2014年)
ファイル:MR DC kiha38 104 Hachikou Line color 20220429.jpg|八高線色のキハ38形と水島色のキハ37形の編成(2022年)
ファイル:MR DC kiha38 104 Hachikou Line color 20220214.jpg|八高線色のキハ38形と国鉄一般気動車色のキハ30形の編成(2022年)
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=== ミャンマー国鉄 ===
=== ミャンマー国鉄 ===
キハ38 24、1001、1002は[[ミャンマー国鉄]]へ譲渡され、2014年(平成26年)4月に船便でミャンマーに輸送された後、現地で改造を受け、同年8月16日より営業運転を開始した<ref>{{Cite news|url=http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2014/09/38.html |title=【ミャンマー国鉄】キハ38ミャンマーで運転開始|agency=鉄道ホビダス |publisher=[[ネコ・パブリッシング]]|work=RM News|date=2014-09-16}}</ref>。ミャンマー国鉄では初となるエアコン+自動扉装備車両として、ヤンゴン環状線で2時間に一本程度の頻度で運転している<ref>{{Cite news|url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/215161 |title=「キハ38」ヤンゴンで余生!? 初のエアコン車両と話題に かつて久留里線で運行 奈良のアマ写真家が写す|publisher=千葉日報|date=2014-09-21}}</ref>。
キハ38 2 - 4、1001、1002の5両は[[ミャンマー国鉄]]へ譲渡され、2014年4月に船便でミャンマーに輸送された後、現地で改造を受け、同年8月16日より営業運転を開始した<ref>{{Cite news| url=http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2014/09/38.html |title=【ミャンマー国鉄】キハ38ミャンマーで運転開始|agency=鉄道ホビダス |publisher=[[ネコ・パブリッシング]]|work=RM News|date=2014-09-16}}</ref>。ミャンマー国鉄では初となるエアコン+自動扉装備車両として、ヤンゴン環状線で2時間に一本程度の頻度で運転している<ref>{{Cite news| url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/215161 | title=「キハ38」ヤンゴンで余生!? 初のエアコン車両と話題に かつて久留里線で運行 奈良のアマ写真家が写す|publisher=千葉日報|date=2014-09-21}}</ref>。


== 保存車 ==
== 保存車 ==
*キハ38 1 - ファームリゾート鶏卵牧場 いすみ農場「[[ポッポの丘]]」
キハ38 1 ファームリゾート鶏卵牧場 いすみ農場「[[ポッポの丘]]」で静態保存されている。機器整備が行われ、2020年7月下旬よりイベント時などに警笛吹鳴体験が行われている。2023年8月に廃車時の新久留里線色から旧久留里線色に塗装変更された。
機器整備が行われ、イベント時などに警笛吹鳴体験が行われている。2023年8月に現役引退時の新久留里線色から旧久留里線色に塗装変更された。
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ファイル:Popponooka_JRE-Kiha38-1.jpg|ポッポの丘で展示されているキハ38 1
ファイル:Popponooka_JRE-Kiha38-1.jpg|ポッポの丘で展示されているキハ38 1(2015年)
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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{{Reflist|2|group="注"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
'''書籍'''
* {{Cite book|和書|author = 鉄道史料保存会 |year = 1988|title = 国鉄気動車形式図集|publisher = 鉄道史資料保存会|ref =kkk |id = |isbn = }}

'''雑誌'''
* {{Cite journal|和書|author1= 神代邦雄(車両設計事務所) |author2= 沼野稔夫(車両設計事務所)|author3= 久須美康博(工作局車両課)|title=続・これからの車両を考える|journal=交通技術 |volume=36 |issue=447 |year=1981 |month=8 |pages=14-17 |publisher = 交通協力会 |ref = kg447 }}
* {{Cite journal|和書|author=久須美康博(車両局車両課) |title=一般形気動車の車体更新改造 |journal=交通技術 |volume=41 |issue=506 |year=1986 |month=2 |pages=22-24 |publisher = 交通協力会 |ref = kg506 }}
* {{Cite journal|和書|author=神田貞夫(大宮工場設計室) |title=キハ38形ディーゼル動車 <新形式車紹介> |journal=車輛工学 |volume=55 |issue=621 |year=1986 |month=7 |pages=6-13 |publisher = 車輛工学社 |ref = sk621 }}
* {{Cite journal|和書|author=由川透(車両設計事務所) |title=気動車の車体更新 |journal=鉄道工場 |volume=37 |issue=430 |year=1986 |month=7 |pages=16-21 |publisher = レールウエー・システム・リサーチ |ref = tk430 }}
* {{Cite journal|和書|author=大宮, 幡生, 長野, 郡山各工場 |title=キハ38形通勤形気動車 |journal=鉄道工場 |volume=37 |issue=430 |year=1986 |month=7 |pages=26-27 |publisher = レールウエー・システム・リサーチ |ref = tk430a }}
* {{Cite journal|和書|author=下田比呂志(幡生車両所) |title=キハ38形気動車の完成 |journal=鉄道工場 |volume=37 |issue=431 |year=1986 |month=8 |pages=46-47 |publisher = レールウエー・システム・リサーチ |ref = tk431 }}
* {{Cite journal|和書|author=金子良一(車両局設計課) |title=気動車の新しい冷房装置 |journal=交通技術 |volume=41 |issue=512 |year=1986 |month=8 |pages=24-27 |publisher = 交通協力会 |ref = kg512 }}
* {{Cite journal|和書|author=金子良一(車両局設計課) |title=気動車の新しい冷房装置 |journal=車輛工学 |volume=55 |issue=623 |year=1986 |month=9 |pages=16-23 |publisher = 車輛工学社 |ref = sk623 }}
* [[電気車研究会]]『[[鉄道ピクトリアル]]』1986年9月号(通巻469号)由川透 キハ38形式一般形気動車
* [[電気車研究会]]『[[鉄道ピクトリアル]]』1986年9月号(通巻469号)由川透 キハ38形式一般形気動車
* 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号(No.742)特集「キハ35・45系」
* 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号(No.742)特集「キハ35・45系」
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://www.jreast.co.jp/train/local/kiha30.html |title=JR東日本車両図鑑キハ38形 |date=20121603153900}}
* {{Wayback |url=http://www.jreast.co.jp/train/local/kiha30.html |title=JR東日本車両図鑑キハ38形 |date=20121603153900}}
* [https://jp.rbth.com/travel/86253-haikyo-aniwa-toudai-ni-kakusareta-monogatari 国鉄キハ38 1]([[ポッポの丘]])


== 関連項目 ==
{{Commonscat|JNR Kiha 38|国鉄キハ38形気動車}}
{{Commonscat|JNR Kiha 38|国鉄キハ38形気動車}}
* [[関東鉄道キハ310形気動車]]
* [[関東鉄道キハ0形気動車]]
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[[Category:日本国有鉄道の気動車|38]]
[[Category:日本国有鉄道の気動車|38]]

2024年12月27日 (金) 06:32時点における最新版

国鉄キハ35系気動車 > 国鉄キハ38形気動車
国鉄キハ38形気動車
八高線色に再塗装された水島臨海鉄道キハ38-104
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)
水島臨海鉄道
ミャンマー国鉄
製造所 国鉄大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場
製造年 1986年 - 1987年
製造数 7両
運用開始 国鉄:1986年7月1日[1]
水島臨海鉄道:2014年
運用終了 JR東日本:2012年
水島臨海鉄道:運用中
主要諸元
軌間 1067 mm
最高速度 95 km/h
車両定員 0番台:124人
1000番台:138人
自重 0番台:30.8 t(空車)
1000番台:30.3 t (空車)
全長 20000 mm
車体長 19500 mm
全幅 2928 mm
車体幅 2800 mm
全高 0番台:3995 mm
1000番台:3925 mm
車体高 3680 mm
床面高さ 1250 mm
車体 普通鋼
台車 軸箱守(ウイングばね)方式コイルばね台車
DT22C・TR51B
動力伝達方式 液体式
機関 DMF13HSディーゼル機関
機関出力 250 PS / 1900 rpm
変速機 TC2BもしくはDF115A
変速段 変速1段、直結1段
制動装置 DA1自動空気ブレーキ直通予備ブレーキ手ブレーキ
保安装置 ATS-S
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国鉄キハ38形気動車(こくてつキハ38がたきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車である[2]

1987年国鉄分割民営化後は、7両全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承された。

概要

[編集]

1980年代前半の国鉄気動車導入計画

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1980年代はじめの国鉄では、輸送の効率化や特定地方交通線の廃止等による気動車の所用両数の減少が見えてきたため、一般形気動車は1982年度をもって一旦導入を取りやめ、1990年前後から置換時期を迎える、1965年前後に大量に導入された気動車の代替の検討が進められることとなった[3]。当時の日本では省エネルギーが謳われるようになっていたこともあり、搭載するエンジン直噴化や車両の小型軽量化による省エネルギー化、機関の大出力化による高出力車の2基→1基エンジン化、新設計エンジンによる省力化が構想されていた[4]

一般形気動車では、経営環境の厳しい路線で運用するため、例えば17 m級車体や小断面車体の採用、廃車発生品や自動車用部品の活用、耐用年数の見直しなどが総合的に検討され[5]、「気動車本来の目的である比較的閑散な線区での合理的な運営に役立つ[3]」車両として、直噴式のDMF13Sを搭載するキハ37形量産先行車5両が1982年度3次債で製造された[6]。一方ではキハ58系を代替する急行用気動車も計画されており、1982年時点では、準特急列車から快速列車までの幅広い運用を想定し、前面貫通形・片側2扉のステンレス車体で、転換クロスシートボルスタレス式台車、直噴式のDMF15HZB機関とDW11液体変速機を装備[注 1]する車両として設計されていた[8][注 2]

しかしながら、キハ37形の製造と同時期に第1次特定地方交通線の廃止が具体化し、また、経営改善計画に則った輸送改善が1982年11月、1984年2月、1985年3月に実施されることとなって車両需給が見通せなくなったため、一般形気動車の新製は一時中止され[10]、並行して設計されていた急行用気動車の導入も見送られ[注 3]、キハ40系の直噴化(DMF15HSA-DI化)改造も1987年までに北海道配置の112両に実施されたのみとなった。

1980年代後半の気動車導入計画とキハ38形

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キハ37形の導入中止後の1985年の時点では、一般形気動車の所要数は約2200両で、うち約600両は特別保全工事を実施した急行形気動車を、1000両はキハ40系を継続使用するが、残る約600両は1985年度期首で経年21 - 25年であるため、1990年手前頃より順次代替する必要があると見積もられていた[13]。一方で、当時、国鉄再建監理委員会の答申では特定地方交通線は廃止し、その他の地方交通線は当面各旅客会社で運営することとされ、また、1986年度には分割民営化に向けての最後の輸送改善が計画されており、これらが固まるにつれてその後の気動車の需給状況も明確になる見通しであった[14]

しかし、代替が見込まれる約600両のうち、都市近郊で使用される3扉・ロングシートキハ35系はその接客設備の違いから、当面確保される約1500両のキハ40系および急行形気動車で代替することはできず、また、これらの車両が使用される路線は廃止対象ではない一方で近い将来の電化も見込めないことから、老朽化対応策が必要であった[14]。そこで、このような車両需給の見通せない状況下で導入しても手戻りとならず、かつ優先度が高いとされたキハ35系の代替を実施することとして[14]、キハ37形をベースとしたキハ38形が導入されることとなった[13]。このキハ38形の製造にあたっては、投資の抑制と余剰人員の活用を図るため、キハ37形における発生品活用の考え方をさらに徹底し、原則として車体のみを国鉄工場で新製して主要機器はキハ35系からの発生部品を再利用する「車体更新改造」とすることとした[14]

当時八高線相模線などで運用されていたキハ35系は1961年から製造されたもので、初期製造車は1980年代には既に製造後25年近くを経過して老朽化が目立つようになった。また、周囲の電化線区の冷房化が進み、非冷房の同系列をそのまま使用し続けることは、サービス政策上望ましくなく、八高線への冷房車導入が必要であると判断された[要出典]

なお、本形式の考え方も取入れた形で[15]北海道四国九州向け気動車の設計が進められ[16]、分割民営化の時点でこの3島に残る1965年度以前製造の一般形気動車約300両のうち、輸送効率化、電化、路線廃止等による必要数削減後も残ると見積もられる約100両を代替することして、キハ54形キハ31形キハ32形計82両が導入されている[17]

キハ38形の概要

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基本的な車両の構造・考え方はキハ37形をベースとしながら、キハ35形に合わせて3扉とし[18][19]、当時の国鉄を取巻く厳しい情勢に鑑み、費用を抑制するためにキハ35形の台車や機器等を再用し、軽量・低コストを考慮した設計とした一方、旅客サービス向上を図り、また、都市近郊の通勤輸送に使用することから、電車バスと比較しても見劣りしないよう、冷房装置を搭載したり、内装についてもそれらと遜色のないものとするなど、従来の気動車のイメージを一新する車両としている[18]。また、設計および図面作製は国鉄各工場のメンバーから組成されたプロジェクトチームにより行われ[13]、最短2両編成での運行を想定して片運転台としたほか[14]トイレは2両に1箇所の割合で設置することとしてトイレの有無で番号区分し、トイレ付きを0番台、トイレなしを1000番台とした[14]

電車においては、例えば1966年製の301系や、1985年製の205系などで、車体材料をアルミニウムやステンレス等として軽量化を図っていたが、本形式では、車体強度計算の精度向上に伴って各部材の強度を保ちつつ板厚を薄くする検討が可能になったことを活用して鋼製車体のまま軽量化を進めることとした[15]。構造モデルを複数作成してその比較により構造を決定したほか、機関・電線ダクト・側窓・座席等においても軽量化を図っている[15]。その結果、本形式の自重はトイレ付の0番台が空車30.8 t、積車38.2 t、トイレ無の1000番台が空車30.3 t、積車37.7 tとなり[20]、トイレ付・片運転台車での比較において、ベースとなったキハ37形0番台より、扉数増・冷房装置の搭載や、機関出力の向上にも関わらず約0.8 t軽くなっており、同様にキハ35形の0番代より約1 tの減、オールステンレス車両の900番台からは約2.5 tの増となっている[注 4]。こういった軽量化と機関出力の増強により、積車時の性能曲線においては、キハ35系との比較では全ての速度域で上回る性能となっており、上り25パーミルでの均衡速度はキハ35系の約30 km/hに対し、本形式では約40 km/hとなっている[22]

キハ35系の特に状態の悪い車両について[要出典]車体更新する形で、1986年から1987年にかけて7両が各地の国鉄工場(大宮工場郡山工場長野工場幡生車両所鷹取工場)にて、コストダウンを図ると共に国鉄各工場の技術力維持を目的として製造された。番号の新旧対照は下表のとおり。

キハ38形改造一覧
形式 改造後 改造前 備考
番号 竣工日 改造所 改造後配置 番号 竣工日 製造所 廃車日 最終配置
キハ38形 キハ38 1 1986年6月11日 大宮工場 高崎第一機関区 キハ35 152 1966年2月2日 富士重工業 1986年6月11日 高崎第一機関区 トイレ付
キハ38 2 1986年6月4日 郡山工場 キハ35 161 1966年2月25日 1986年6月4日
キハ38 3 1986年10月31日 大宮工場 キハ35 513 1965年5月20日 1986年10月31日 高崎第一機関区[表注 1]
キハ38 4 1986年11月26日 キハ35 515 1965年9月10日 1986年11月26日
キハ38 1001 1986年5月29日 長野工場 キハ35 153 1966年2月2日 1986年5月29日 高崎第一機関区 トイレ無
キハ38 1002 1986年5月23日 幡生車両所 キハ35 201 1966年4月19日 1986年5月23日
キハ38 1003 1987年3月16日 鷹取工場 高崎車両所[表注 2] キハ35 516 1965年9月4日 1987年3月16日 高崎車両所[表注 1][表注 2]
  1. ^ a b 1986年10月14日転属 茅ヶ崎機関区 → 高崎第一機関区
  2. ^ a b 1987年3月1日に高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合して高崎運転所となる

構造

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車体

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通勤形気動車として設計されたキハ35系を更新したものであり、朝夕のラッシュ時に対応できるよう、扉配置も踏襲されている。キハ35系と同じく前面貫通形で、側面に3か所の両開き扉を備え[13]、車体に軽量形鋼と鋼板を、床板に耐候性高張力鋼を使用する[23]製車体であるが、車体構造は1983年に製造されたキハ37形の設計を基本としており、車体長は19.5 m、車体幅は2.8 mである[24]

乗降扉はキハ35系と同じくステップ付きで幅1300 mm[注 5]両開式で、同形式の戸閉機械は101系電車に使用された床下設置形のTK6を一部変更したTK6Aであったが、本形式ではキハ66系やキハ47形と同じ自動・半自動切換で鴨居設置形のTK106Aを使用しており[26][23][注 6]半自動時の開閉は一部のキハ35系改造車や211系電車と同じ押ボタン式である[22]

乗降口にステップを設置した車両は扉・戸袋部の台枠側梁が切欠かれるため強度設計が難しくなるが、特にその影響が大きい両開き3扉の扉配置[注 7]のキハ35系は外吊式扉とすることで、側梁が切欠かれる長さを抑制しつつ、側梁と枕梁が接続される車端側戸袋位置の側梁を切欠かないようにして[注 8]車体の強度を確保している[25][28]。一方、キハ38形では、外吊扉と車体の間からの隙間風を防止するため、戸袋を設けつつ強度も確保する設計として一般的な戸袋付の形態としている[22][注 9]が、構体の重量は9.12 tとなり、キハ37形の8.53 tから扉の増加分を考慮(2扉車と3扉車で車体重量に約800 kgの差があるとされる)すれば同等となっている[16]

側面窓はバス用のユニット窓(上段下降・下段上昇式)を改良したもの使用し、窓枠と各窓間の窓柱部の外板を黒色として連続窓風のデザインとしている[29]ほか、戸袋窓は廃止している。

車体正面は105系電車をベースとした貫通式のもので、前面窓上下の黒色処理部が上下とも105系より上寄りの位置となり、前面窓下には前照灯尾灯がケーシング内に水平に並べて配置されている。灯具は105系などと同じ一般的な丸型外バメ式の前照灯と尾灯を長方形状の窪みの中に並べて配置[注 10]した上に、ケーシング状のカバーを設けたものとなっている[30]

車体塗装はクリーム10号をベースに赤とグレー(赤15号・灰茶8号[要出典])の帯とし[29]、正面窓付近は201系電車等と同様のブラックフェイスとしている[注 11]

車内

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キハ35系と同様の全席ロングシートの配置で、座席は簡素化・軽量化を図り、1席ずつに区分したバケットシートとして定員分の人数が着席できるようにしているが、0番台のトイレ向かい側の座席はトイレ使用者への配慮としてキハ35形やキハ37形と同様に横向きのボックスシートとなっている[32]。また、内装にはメラミン樹脂化粧板やカラーアルミを使用した[29]ほか、天井の化粧板にはバス用のものを使用している[33]

本形式では新製時より冷房装置を搭載している。快速列車用のキハ66・67形を別にすれば、国鉄の一般形気動車では指宿枕崎線用キハ40系冷房改造車[34]と並んで初の事例である。冷房装置は、編成中に数両毎に専用の発電機を搭載した車両を連結してその電力を使用する従来の電気式のものとは異なり、自車の冷房を全て自車でまとめることで車両運用の不便さを解消し[35][36]、また、コストダウンのため2階建てバス用のものを転用した機械式(サブエンジン方式)のAU34を搭載している。

AU34はキハ31形にも搭載されているもので、床下に搭載したクーラーユニット内に排気量約2.5 lの冷房用機関1基と冷媒圧縮機、エバポレーター、コンデンサーなど一式を搭載して、エバポレーターとコンデンサーの各送風機も冷房用機関で駆動されている[37]冷却能力は30.2 kW(26000 kcal/h)で、当時の通勤形電車の標準的能力の48.8 kW(42000 kcal/h)より低いものの、扉数が少なく、乗車率もそれほど高くないため十分と考えられたほか、能力不足を補うため扇風機を併設している[35][38]。そのため、この扇風機は個別に乗客が操作可能な方式ではなく、冷房装置とともに車両ごとの一括制御となっている[35]

暖房装置はキハ40形やキハ37形などと同様の温風暖房である[35]。床下の熱交換器でエンジンの排熱もしくは機関予熱器により加熱されたエンジン冷却水を使用した熱交換で温風を作るもので、本形式では熱交換器は1台で吸気口は右側車体中央の側扉戸袋部の天井付近となり、床部からダクトが立ち上がっている[39]ほか、温風は室内片側に設置された座席下のダクトから室内へ送り込まれる。他形式と混用されることを想定し、冷房および、キハ35系などと方式が異なる暖房の制御は編成毎ではなく各車毎に単独制御する方式としている[35]

運転室はキハ37形と同様の高運転台式であるが、運転室の奥行は1630 mmから1460 mm(共に前面構体厚を含む)に短縮されている[40]

主要機器

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走行用機関として、キハ37形のDMF13Sを横型とした新潟鐵工所製のDMF13HS(250PS/1900rpm) 過給器付き直噴式ディーゼルエンジン1基を搭載している[41]。従来のDMH17系やDMF15HS系などに比べ小型、軽量[注 12]、高出力、低燃費で、始動性や整備性にも優れている。

DMF13HSから機関本体の重量は若干増加しているものの、機関ベッドが不要になる分軽量化が図られたほか、オートタイマーにより進角制御を行うこととして、出力が増加したにもかかわらず燃費は向上している[35]。一方、機関制御方式はキハ40系が電磁式燃料制御装置を、同系列の直噴化に使用されたDMF15HSA-DIは電子式燃料制御装置を使用していた[12]のに対し、DMF13HSはDMH17系と同じ空気式燃料制御装置を使用している[43]ため、長時間の留置等により車両の空気圧が低下しても機関の起動を可能とするために必要となる燃料制御装置専用の圧縮空気を確保する[44]機関起動補助装置が搭載されている[45]。また、空気圧縮機や充電発電機などの補機類はキハ40系では歯車駆動であったが、本形式ではベルトの信頼性が向上したこととコスト削減のためベルト駆動に戻されている[35]

液体変速機は、キハ35形からの発生品である神鋼造機製TC2Aの機関と干渉する部分を一部改造したTC2B、もしくは新潟コンバータ製DF115Aで[35]、エンジン出力の向上に対応して、トルクコンバータクラッチ回りが改造されている。

台車は、キハ35形のDT22C(動台車)・TR51B(付随台車)を流用している[41]が、重量軽減に伴い基礎制動装置のブレーキテコ比が変更となったため、ブレーキテコが新製されているほか、現車には反映されなかったが側受支持方式に改造するための試作と試験も行われた[16]。なお、キハ35系は通勤用で最大乗車人数が多いため、同系列に使用されるDT22CおよびTR51B台車は他の部分の共通性を阻害しない範囲で車軸径を大きくしたものとなっている[28]

ブレーキ装置はキハ37形と同様に、キハ40系の長編成対応で応答性・保守性の良いCLE電磁自動ブレーキから、キハ44000形以降キハ45系までの一般形気動車に使用され、キハ35系とも同じDA系自動ブレーキに戻されており、本形式には片運転台車両用のDA1が使用されている。DA系ブレーキはM23ブレーキ弁およびKB5脚台、A制御弁および管取付座、圧力調整弁等で構成される[46]が、ブレーキ部品にも廃車発生品が使用されている。また、ブレーキシリンダは台車の車端部寄りの床下に設置されている。

蓄電池はキハ45系以降に使用されている[47]TRK15-12を2個搭載して容量175 Ah(5時間放電率)としているほか、充電発電機はキハ58系以降に使用されている出力2.5 kVAのDM80D交流発電機を1基搭載している[48]

運用

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八高線

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導入後は7両全車が高崎第一機関区およびその後身の高崎車両所に配置され、1986年7月1日より八高線(八王子 - 高崎間)で運用された[1]。本形式は当時八高線で運用されていたキハ35系をはじめとして、1990年まで運用されていたキハ20形、1987年から1990年まで4両が運用されていたキハ45形1991年まで5両が運用されていたキハ40形などとも編成を組み、最長5両編成で運用された一方で、民営化後の1993年にキハ110形7両[49]1995年にキハ111形・112形各2両[50]が導入されたキハ110系と本形式とは編成を組まずに運用された。

1987年3月31日時点 高崎車両所気動車配置一覧(八高線・足尾線
形式 番台 両数 車番
キハ38形 0番代 4両 0 - 4
1000番台 3両 1001 - 1003
キハ20形 200番代 4両 204, 293, 294, 323, 467
500番台 1両 503
キハ30形 0番代 15両 18, 19, 33 - 35, 39, 58 - 60, 66, 78, 79, 89, 98, 99
キハ35形 0番代 7両 68, 70, 107, 108, 159, 162, 164
500番台 9両 519, 524 - 531
900番台 4両 904, 905, 907, 909
キハ40形 2000番代 5両 2085 - 2089

1996年八王子 - 高麗川間の電化の際に、残った非電化区間はキハ110系(キハ110形9両、キハ111形・112形各6両)[49][50][51]のみでの運用となり、本形式は全車両が幕張電車区木更津支区へ転出し、久留里線で使用されることとなった。

久留里線

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久留里線への転用に際し、同線で運用されていたキハ30形、キハ37形と同様の、東京湾アクアラインをイメージしてクリーム地に青のストライプを施した旧久留里線色となり、0番台のトイレは閉鎖されている。キハ38 1、キハ38 3は同年10月に薄いグレー地に青緑と青の帯を配した新塗装になり[52]、追って他の車両も新塗装に変更された。

その後、2012年12月1日に同線の気動車がキハE130形100番台に統一されたため、本形式はキハ30形、キハ37形と共に定期運用を終了した[53][54][55]。運用終了後は1両が静態保存され、6両が他社もしくは海外へ譲渡された。

譲渡

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水島臨海鉄道

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久留里線で運用されていたキハ38 1003をキハ30形2両、キハ37形3両とともにJR東日本から購入し、リフレッシュ工事を行った上で2014年5月12日より営業運転を開始している[56][注 13]。導入に際し、キハ37形のキハ37 101 - 103からの連番となる「キハ38 104」となり、塗装は国鉄一般気動車色に変更された[注 14]

2019年3月改正のダイヤでは三菱自工前水島 - 倉敷市間を平日朝2往復・夕方3往復運行している[59]

2022年2月にはキハ38登場時の八高線色に再塗装された[60][61]

ミャンマー国鉄

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キハ38 2 - 4、1001、1002の5両はミャンマー国鉄へ譲渡され、2014年4月に船便でミャンマーに輸送された後、現地で改造を受け、同年8月16日より営業運転を開始した[62]。ミャンマー国鉄では初となるエアコン+自動扉装備車両として、ヤンゴン環状線で2時間に一本程度の頻度で運転している[63]

保存車

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キハ38 1 がファームリゾート鶏卵牧場 いすみ農場「ポッポの丘」で静態保存されている。機器整備が行われ、2020年7月下旬よりイベント時などに警笛吹鳴体験が行われている。2023年8月に廃車時の新久留里線色から旧久留里線色に塗装変更された。

脚注

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注釈

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  1. ^ DMF15HZBは300 PS / 1600 rpm、DW11は変速1段、直結1段で液体変速機部はTC2AやDF115Aと同じ3段6要素で、逆転部には爪クラッチを使用したのものであった[7]
  2. ^ これらと並行して新型エンジンの開発も進められており、1981年時点ではキハ40系のDMF15HSAを直噴化改造したDMF15HSA-DI、DMF15HSAをベースに直噴式・電子ガバナ装備の新設計とした、新形式急行用気動車向けのDMF15HZB、軽快気動車用として舶用機関を転用したDMF13Sの開発が進められていた[9]
  3. ^ 搭載される予定であったDMF15HZBは1981年には試作機が製作されていた[11][12]
  4. ^ キハ37形はトイレ付の0番台が空車31.6 t、積車39.7 t、トイレ無の1000番台が空車30.7 t、積車38.7 t[20]、キハ35形0番台は空車32.0 t、ステンレス車体の900番台は空車28.4 t[21]
  5. ^ キハ35系は有効幅1200 mm[25]、キハ38形も若干引残しがある
  6. ^ 電車では、115系、105系、119系などの自動・半自動切換式戸閉機械はTK8Aを使用している[27]
  7. ^ 両開き3扉の扉配置では側梁が切欠かれる長さが長くなるとともに、車端側の戸袋部が台枠枕梁の同じ位置となり、戸袋を設けるとこの部分の側梁が切欠かれて側梁と枕梁間での車体荷重の伝達が難しくなる[28]
  8. ^ 加えて、扉横の吹寄せ部およびステップ部を強度部材としている[25]
  9. ^ そのため、キハ35系に比べすっきりとした外見となったが、縦形機関(直立シリンダー形エンジンの国鉄での呼称)搭載のキハ37形の構造をそのまま流用したため[要出典]、横型機関(同、水平シリンダー形)を搭載しているにもかかわらず、床面高さが同形式より10 mm低いもののキハ40系の1215 mmより35 mm高く、キハ35系と同じ1250 mmで、腰高な印象となっている
  10. ^ 後の107系電車と類似の配置
  11. ^ 105系電車のデザイン案のうちいくつかに本形式のデザインに若干類似したものがある[31]
  12. ^ DMF13HSの乾燥重量が約1.5 tである[35]のに対し、DMH17Hは1550 kg、DMF15HSAは2720 kg(歯車駆動の補機類を含む)[42]
  13. ^ 2013年7月10日に導入が公式発表された際には2014年3月より運行を開始するとされていた[57][58]
  14. ^ 本形式にこの塗装が施されたのは初めてであり、ブラックフェイス部分も塗装されていた

出典

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  1. ^ a b 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1986年10月号LOCAL NEWS「キハ38形が八高線で運転開始」p.120
  2. ^ 交友社『鉄道ファン』No.304 p.56
  3. ^ a b 『一般形気動車の車体更新改造』 p.55
  4. ^ 『続・これからの車両を考える』 p.240
  5. ^ 『続・これからの車両を考える』 p.241
  6. ^ 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.18
  7. ^ 『ディーゼル車における省エネルギー』 p.23
  8. ^ 『これからの車両(1) 一般形気動車(キハ37) 新形式特急形気動車』 p.12-13
  9. ^ 『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.12, 15
  10. ^ 『一般形気動車の車体更新改造』 p.55-56
  11. ^ 『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.14
  12. ^ a b 『ディーゼル車両の省エネルギー化』 p.25
  13. ^ a b c d 『気動車の車体更新』 p.16
  14. ^ a b c d e f 『一般形気動車の車体更新改造』 p.56
  15. ^ a b c 『キハ38形ディーゼル動車』 p.12
  16. ^ a b c 『気動車の車体更新』 p.21
  17. ^ 久須美康博(車両局車両課) 「新形式気動車の新製計画について」『鉄道工場』第37巻第375号、p.17
  18. ^ a b 『キハ38形ディーゼル動車』 p.6
  19. ^ 『気動車の車体更新』 p.16-17
  20. ^ a b 清水和男(車両設計事務所)「キハ37形式一般形ディーゼル動車について」『車両と電気』第34巻396号 p.19
  21. ^ 『国鉄気動車形式図集』 p.156-158
  22. ^ a b c 『気動車の車体更新』 p.19
  23. ^ a b 『気動車の車体更新』 p.17
  24. ^ 岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.25
  25. ^ a b c 「通勤用ディーゼル動車キハ35形式 」『交通技術』第16巻192号、p.13
  26. ^ 石川誠(車両設計事務所)「戸じめ機械のいろいろ(2) 」『車輛工学』第53巻602号、p.8
  27. ^ 石川誠(車両設計事務所)「戸じめ機械のいろいろ(2) 」『車輛工学』第53巻602号、p.11
  28. ^ a b c 加藤亮(臨時車両設計事務所)「通勤用デイーゼル動車キハ35の誕生 」『車両と電気』第12巻143号、p.23-24
  29. ^ a b c 『キハ38形ディーゼル動車』 p.7
  30. ^ 『キハ38形通勤形気動車』 p.27
  31. ^ 福原俊一「105・119系」『RMライブラリー』第264号、p.1-2
  32. ^ 『キハ38形ディーゼル動車』 p.8, 10
  33. ^ 『キハ38形気動車の完成』 p.47
  34. ^ 戸森健一「キハ40・47冷房改造車について」『鉄道工場』37巻431号、p.32
  35. ^ a b c d e f g h i 『気動車の車体更新』 p.20
  36. ^ 『キハ38形ディーゼル動車』 p.10
  37. ^ 『気動車の新しい冷房装置』 p.21-23
  38. ^ 岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.27
  39. ^ 『キハ38形ディーゼル動車』 p.8-11
  40. ^ 『国鉄気動車形式図集』 p.161-164
  41. ^ a b 岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.26
  42. ^ 日本国有鉄道工作局 『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』、p.172-173
  43. ^ 松山武「新型DCの登場について(1)」『車両と電気』37巻439号、p.29
  44. ^ 入山迪夫「機関起動補助装置<新装置紹介>」『車輛工学』52巻586号、p.12-13
  45. ^ 『キハ38形ディーゼル動車』 p.11
  46. ^ 近藤昭次(車両設計事務所)「車両用空気ブレーキ発展の歴史と将来(その5)」『JREA』第29巻5月号、p.18
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  48. ^ 『気動車の車体更新』 p.18
  49. ^ a b 「JRグループ 車両のデータ・バンク92/93」『鉄道ファン』第33巻第388号、p.80-90
  50. ^ a b 「JRグループ 車両のデータ・バンク93/94」『鉄道ファン』第34巻第401号、p.80-90
  51. ^ 「JRグループ 車両のデータ・バンク95/96」『鉄道ファン』第36巻423号、p.79-89
  52. ^ 交友社鉄道ファン』1997年1月号 通巻429号 p.106
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  54. ^ “【JR東】久留里線のキハ30形・キハ37形・キハ38形 運転終了”. RMニュース. 鉄道ホビダス (ネコ・パブリッシング). (2012年12月3日). http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2012/12/jr303738.html 
  55. ^ “久留里線 キハ30形・37形・38形 運転終了”. 鉄道コム. (2012年9月21日). http://www.tetsudo.com/event/6776/ 
  56. ^ “「キハ37、38、30形式」の運転開始について”. 水島臨海鉄道. (2014年4月14日). http://www.mizurin.co.jp/info_detail/index/38.html 
  57. ^ “水島臨海鉄道、キハ30など6両購入…2014年3月末から運行開始へ”. Response. (2013年7月11日). http://response.jp/article/2013/07/11/202022.html 
  58. ^ “キハ30、キハ37、キハ38の6両を購入した車両が到着しました!!”. 水島臨海鉄道. (2013年7月10日). http://www.mizurin.co.jp/info_detail/index/14.html 
  59. ^ 時刻表, 水島臨海鉄道, http://www.mizurin.co.jp/contents/time_table.html 
  60. ^ “水島臨海鉄道で八高線色のキハ38 104の運転開始”. 鉄道ファン. (2022年2月8日). https://railf.jp/news/2022/02/08/000000.html 
  61. ^ “水島臨海鉄道 キハ38 新しい塗装で運行スタート”. 倉敷ケーブルテレビ. (2022年2月7日). https://tv.kct.jp/program/detail.php?id=30926 
  62. ^ “【ミャンマー国鉄】キハ38ミャンマーで運転開始”. RM News. 鉄道ホビダス (ネコ・パブリッシング). (2014年9月16日). http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2014/09/38.html 
  63. ^ “「キハ38」ヤンゴンで余生!? 初のエアコン車両と話題に かつて久留里線で運行 奈良のアマ写真家が写す”. 千葉日報. (2014年9月21日). http://www.chibanippo.co.jp/news/national/215161 

参考文献

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書籍

  • 鉄道史料保存会『国鉄気動車形式図集』鉄道史資料保存会、1988年。 

雑誌

  • 神代邦雄(車両設計事務所)、沼野稔夫(車両設計事務所)、久須美康博(工作局車両課)「続・これからの車両を考える」『交通技術』第36巻第447号、交通協力会、1981年8月、14-17頁。 
  • 久須美康博(車両局車両課)「一般形気動車の車体更新改造」『交通技術』第41巻第506号、交通協力会、1986年2月、22-24頁。 
  • 神田貞夫(大宮工場設計室)「キハ38形ディーゼル動車 <新形式車紹介>」『車輛工学』第55巻第621号、車輛工学社、1986年7月、6-13頁。 
  • 由川透(車両設計事務所)「気動車の車体更新」『鉄道工場』第37巻第430号、レールウエー・システム・リサーチ、1986年7月、16-21頁。 
  • 大宮, 幡生, 長野, 郡山各工場「キハ38形通勤形気動車」『鉄道工場』第37巻第430号、レールウエー・システム・リサーチ、1986年7月、26-27頁。 
  • 下田比呂志(幡生車両所)「キハ38形気動車の完成」『鉄道工場』第37巻第431号、レールウエー・システム・リサーチ、1986年8月、46-47頁。 
  • 金子良一(車両局設計課)「気動車の新しい冷房装置」『交通技術』第41巻第512号、交通協力会、1986年8月、24-27頁。 
  • 金子良一(車両局設計課)「気動車の新しい冷房装置」『車輛工学』第55巻第623号、車輛工学社、1986年9月、16-23頁。 
  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル』1986年9月号(通巻469号)由川透 キハ38形式一般形気動車
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号(No.742)特集「キハ35・45系」

外部リンク

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関連項目

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