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: 白ハツカネズミ<ref group="注">エドナ・ディズニー(ウォルト・ディズニーの兄ロイ・ディズニーの妻)はミッキーマウスの食品関係の商品が出た当初は「ミッキーが使えるはずがないでしょう。どこのだれが二十日ネズミを食べるの!」と言っていた。</ref>{{要出典|date=2022年5月}} |
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: 正義感が強くシャイで礼儀正しくジェントルマン。一方でやんちゃでいたずらっコなところもあり、初期はその面がよく出ていた。とても陽気。好奇心旺盛で楽しいこと好きでそれがトラブルを招くこともある。しっかりものだが金銭にはルーズな所が見られ、『[[ハウス・オブ・マウス]]』では、ミニーから預かったクラブの建物の家賃をチーズに使ってしまっている。短編作品で道に落ちていた大金をネコババしてミニーへのプレゼントを買っている。メンタルが弱くピンチになると取り乱す傾向がある。 |
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: "Oh,boy!", "Ha-ha", "Gosh", "Swell","Aw-Gee", "Uh-Oh!" など。基本的に声が高い。 |
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また、別れの挨拶の時には "See ya real soon!" とよく言っている。 |
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: 映画俳優、テーマパークホスト、ナイトジャズクラブオーナー(カートゥーンにて)、チャリティー、etc… |
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: ある日古いレトロな車に嫌気がさし売りに行き、新車のスポーツカーを手に入れた。しかし多彩な機能に振り回され、結局以前の車を買い取りにいこうとしたら売却されていた。実はその車を買ったのはミニーだったのである(「ミッキーのギャグファクトリー」に収録)。 |
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: 以前はマウストンに住んでいたようだが、ミニーがトゥーンタウンに引っ越すというので彼もすぐミニーの隣に家を建てたという。今もトゥーンタウンに住んでいる。トゥーンタウンはもともと「ロジャーラビット」という映画の舞台である。 |
: 以前はマウストンに住んでいたようだが、ミニーがトゥーンタウンに引っ越すというので彼もすぐミニーの隣に家を建てたという。今もトゥーンタウンに住んでいる。トゥーンタウンはもともと「ロジャーラビット」という映画の舞台である。 |
2023年11月8日 (水) 02:16時点における版
ミッキーマウス Mickey Mouse | |
---|---|
初登場 |
プレーン・クレイジー(初制作) 蒸気船ウィリー(初公開) |
作者 |
ウォルト・ディズニー[1] アブ・アイワークス[1] |
原語版声優 |
ウォルト・ディズニー(1928年 - 1947年) ジム・マクドナルド(1947年 - 1977年) ウェイン・オルウィン(1977年 - 2009年) ブレット・イワン(2009年 - 現在) クリス・ディアマントポロス (2013年 - 2023年) |
日本語版声優 |
BVHE版 納谷六朗(初代 1989?-1991) 青柳隆志(2代目 1991-2018) 星野貴紀 (3代目 2018-現在) |
詳細情報 | |
種族 | ネズミ |
性別 | ♂ |
ミッキーマウス (Mickey Mouse) は、ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスが生み出し、1928年(昭和3年)11月18日にスクリーンデビューしたディズニーのシンボル的キャラクター。
背景
1927年、ニューヨークの映画プロデューサーで配給業者でもあるユニバーサル・ピクチャーズのチャールズ・ミンツ (Charles Mintz) が『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』の制作をウォルト・ディズニーへ指示する。オズワルドがミンツの手によってユニバーサルで配給され、成功を収めたためディズニー側は製作費の値上げを求めたが、この要求は拒否され、またキャラクターの所有権がユニバーサル側にあると突きつけられる。交渉は決裂し、ディズニーは契約更新を拒否され、さらにミンツによる従業員引き抜き工作が起こり、ウォルトとアブはオズワルドに関する全ての権利に加えて、有能なアニメーターを手離すこととなった。ウォルト・ディズニー、アブ・アイワークス、ウィルフレッド・ジャクソンは『オズワルド』の製作を継続しながら別作品の企画を余儀なくされる。この企画でミッキーマウスが生まれた。
「ウォルトは飼いならしたネズミをよく研究し、彼が醜いと思っていた耳・口・足などを大きくしポイントを付け1927年にミッキーマウスを考案した」という一般に知られるエピソードは架空の話である。そもそもウォルトはプロデューサーであり、アニメーターではない。
アブ・アイワークスはミッキーを奪ったとしだいに共同経営者のウォルトを憎むようになり、ディズニーと決別し自身のスタジオを持つに至る。
ウォルトは元々ミッキーをモーティマーと名付けるつもりだったが、妻リリアンの一声で現在の名前になり、その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマー・マウスが登場する[2][3]。
甥っ子にモーティーとフェルディーがいる。モーティーとフェルディーは両者とも小さなミッキーマウスのような見た目であるが、服以外の見た目は全く同じに描かれている。モーティーは赤い服や帽子を身に着けていることが多く、フェルディーは青い服や帽子を身に着けていることが多いものの、それ以外の服を着ていることもあり、特に両者が全く同じ服を着ている場合や、白黒テレビの場合は、見た目では全く区別がつかなくなってしまう。
変革
実際の第1作はチャールズ・リンドバーグに因むヒット作『フィリックスのノンストップ飛行』のパロディ『プレーン・クレイジー(飛行機狂)』である。第2作は『ギャロッピング・ガウチョ』。どちらもサイレントで配給ルートも得られずまったく相手にされなかった。1928年11月18日、第3作アニメーション映画『蒸気船ウィリー』がトーキー[注 1]で成功。当時はウォルトが声優を務めていた。その後映画はシリーズ化されミッキーは一躍人気キャラクターとなった[注 2][注 3][注 4]。
1939年、「ミッキーの猟は楽し」以降キャラクターデザインが変更された。それまでは黒目がちであったが、この変更により白目が付いており、黒目が小さくなった。また、眉毛も無かったが、表情が付けにくいため、眉毛が付いた。
プロフィール
- 名前
- Mickey Mouse(ミッキーマウス)
- また、アメリカなどでよく呼ばれているあだ名は「Mick」(ミック)
- 各国で呼び名は異なり、
- 国籍
- アメリカ合衆国(しかし、東京ディズニーリゾート「ボン・ヴォヤージュ」前のプロフィールには、「citizen of the world」と書かれており、具体的国名は書かれていない)
- 生年月日
- 1928年11月18日日曜日。
- ニューヨーク出身。
- ニューヨークのコロニー劇場で上映された目次の1番目でもあるデビュー作『蒸気船ウィリー』(Steamboat Willie)の公開日でもある。しかし、その前の同じく1928年に『飛行機狂』(Plane Crazy)と『ギャロッピン・ガウチョ』(The Gallopin' Gaucho)という作品にも出演しているため、ミッキーにとっては3作品目でもある。
- 年齢
- 設定ではティーンエイジャー。
- 種類
- 白ハツカネズミ[注 5][要出典]
- 身長
- 3フィート2インチ(約96.5cm)
- ミッキーを長年描き続け、ミッキーの目を白目と黒目にしようと考えたウォード・キンボールによると、ミッキーは90cmぐらいだという。また、ドイツのディズニー公式サイトでは109cmとされている。
- 体重
- 23ポンド(約10.4kg)
- 性格
- 正義感が強くシャイで礼儀正しくジェントルマン。一方でやんちゃでいたずらっコなところもあり、初期はその面がよく出ていた。とても陽気。好奇心旺盛で楽しいこと好きでそれがトラブルを招くこともある。しっかりものだが金銭にはルーズな所が見られ、『ハウス・オブ・マウス』では、ミニーから預かったクラブの建物の家賃をチーズに使ってしまっている。短編作品で道に落ちていた大金をネコババしてミニーへのプレゼントを買っている。メンタルが弱くピンチになると取り乱す傾向がある。
- 口癖
- "Oh,boy!", "Ha-ha", "Gosh", "Swell","Aw-Gee", "Uh-Oh!" など。基本的に声が高い。
- また、別れの挨拶の時には "See ya real soon!" とよく言っている。
- 仕事
- 映画俳優、テーマパークホスト、ナイトジャズクラブオーナー(カートゥーンにて)、チャリティー、etc…
- 資格
- パイロット、ハンティング、船のキャプテン、乗用車、作業用車、大型トラックなど。そしてディズニーパークの消防隊長も務めている。
- 趣味
- スポーツ、カントリーライフ、読書。
- 愛車
- 赤いレトロな車→(赤いスポーツカー)
- ある日古いレトロな車に嫌気がさし売りに行き、新車のスポーツカーを手に入れた。しかし多彩な機能に振り回され、結局以前の車を買い取りにいこうとしたら売却されていた。実はその車を買ったのはミニーだったのである(「ミッキーのギャグファクトリー」に収録)。
- 住所
- アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス、アナハイム、トゥーンタウン、ホットドッグヒルズ(『ミッキーマウスとロードレーサーズ』)
- 以前はマウストンに住んでいたようだが、ミニーがトゥーンタウンに引っ越すというので彼もすぐミニーの隣に家を建てたという。今もトゥーンタウンに住んでいる。トゥーンタウンはもともと「ロジャーラビット」という映画の舞台である。
- 家族
- 両親はいる。甥にモーティーとフェルディー、そして2人の姉妹がいる。
- ペット
- 友達
- グーフィー、ドナルド・ダック、ミニーマウス、デイジーダック、ヒューイ・デューイ・ルーイ、チップ&デール、クラリス、マックス、クララベル・カウ、ホーレス・ホースカラー、ギデオン・ゴート、ピーター・ピグ、パディー・ピグ、クララ・クラックなど。
- ガールフレンド
- ミニーマウス
- ミッキーと生年月日が同じ(ミッキーはミニーのことを“My Sweet Heart”や“My CherryPie”とも呼ぶ)。
- ライバル
- ピート、モーティマー・マウス
- ピートとモーティマーとよくミニーの取り合いになる。
- 知り合いの著名人
- 国連事務総長(アナン)、国王、大統領、俳優、歌手、アスリート、など様々。
- 愛読書
- チーズと平和、マイ・フェア・マウス、全ネズミカタログ、トゥーンタウンの歴史(哲学的な本も読む)
- Featured Magazines
- Time, Newsweek, Life, National Geographic, Good Housekeeping
- 取っている新聞
- TOON Repoter
- 料理の腕
- 日本やアメリカなどにもある「Chef Mickey」というブッフェスタイルのレストランのシェフを務めている。一人暮らしなので料理はできる。パンにハム、チーズ、レタスなどの具を1m近く重ねたサンドウィッチが得意。
- 好きな色[要出典]
- 赤、黄色(緑はあまり好きでないらしい)。モノクロ時代、ウォルトは緑色のパンツを考えたという逸話がある。
- 好きな食べ物
- チーズ、ミニーの作るレモンパイ
- 得意なスポーツ
- アメフト、馬術、(中でも)ダンス
- 得意な楽器[要出典]
- ギター、ドラム、(一番愛しているのは)ピアノ
- 5周年から始まり現在もディズニーシーにて上演中のビッグバンドビートではドラムさばきを、2007年度ディズニーハロウィンのホーンテッドロッキンストリートでは、ギターソロを披露。稀にアドリブで「星に願いを」や「ミッキーマウス・マーチ」を入れていた。ミニーはデジパッド(サンプリングデジタルドラム)をシンバルつきで披露。
- 耳
- シルエットでもわかる通り、耳はミッキーマウスであると分かる上で重要な要素である。顔を含めて3つの大きな円が組み合わされているだけで、ミッキーマウスであると多くの人から認識がなされる。『ハウス・オブ・マウス』では耳の形を整えるため耳にのり付けしているらしく、『ミッキーマウス!』の「耳は貸せない」ではそのシーンが描かれている。『ミッキーのアルバイトは危機一髪』のみ耳の中まで脳みそがつまっている設定だが他の作品では耳は取れる。
代表的な出演映画
- 蒸気船ウィリー
- 1928年、モノクロ作品。ディズニー初のトーキーアニメーション映画。3番目に製作されたミッキーマウス作品。最初に公開されたので、ミッキーマウスのデビュー作とされており、公開日である1928年11月18日がミッキーの誕生日とされてきたが、最近ではこれを単に「スクリーンデビューの日」とし、誕生日とは呼ばないことがある。
- 日本国内では基本的に11月18日がミッキー&ミニーの誕生日とされており、その認知度も高い。ディズニーモバイルサイトでは11月18日を誕生日として、それにちなんだイベントを2007年度も行っている。
- ミッキーの大演奏会
- 1935年に公開された。ミッキーマウスシリーズ初のカラー作品である。ミッキーが「嵐」という曲を演奏して本当に嵐が来た。ミッキーたちはそれでも演奏していた。
- ファンタジア
- 1940年に公開された。ミッキー史上初の長編映画。いくつかの短いアニメがクラシックの音楽に合わせ進行する。ミッキーは3番目の曲目「魔法使いの弟子」に出演する。
- ロジャー・ラビット
- 1988年に公開された。多種多様な作品のトゥーンキャラクター達が登場する映画である。ミッキーも出演している。
- ミッキーのミニー救出大作戦
- 2013年に公開された3D作品。ミッキーの声は、アーカイブから抽出した生前のウォルトの声を用いている。
- ミッキーマウス:ザ・ストーリー
- 2022年に公開された。ミッキーの製作秘話やアーカイブ映像を用いたドキュメンタリー。
著作権・商標権
ディズニーはオズワルドの版権をユニバーサル・ピクチャーズに奪われた経験を受け、それ以降知的財産権と他者からの侵害行為に厳しくなり、特に筆頭キャラクターとしてミッキーマウスの著作権は厳正に管理されている。
アメリカ合衆国の著作権法は“(皮肉の意味を込め)ミッキーマウス保護法”とも呼ばれており、そのような体制を批判する団体や企業もあるが、「ミッキーマウス」および他の「キャラクター名」や「作品名」も含め一律に「商標」として保護され、半永久的に保持できるため、たとえ著作権が切れたとしても(その他の知的財産権が残るため)、無断で商標権に抵触するような使い方を禁じている。なお、商標権の侵害となるのは商品の目印となる使い方であり、たとえば商用目的であろうと著作物の題号については商標権が行使できないため[4]、ミッキーマウスを題号に含んだ作品の販売は商標権の侵害にはあたらず自由である。また作中でのミッキーマウスの登場など商品の識別にならないような使い方ならば商標権の侵害になることはない。商標権があるから、商用目的で一切使えないというのは誤解である[5]。
著作権は国ごとに保護期間が違うため、日本では1953年以前の映画で団体名義の場合著作権が有効なのは公表後50年である(なお、アメリカの戦前作品は戦時加算により約10年延長されている)。ミッキーマウスが初登場した「蒸気船ウィリー」は保護期間が1989年の前後に終わっていると推定される[5]。日本では実際に「ファンタジア」「ダンボ」などをアプロック社がパッケージに「パブリック・ドメイン」と明記した上で販売。ディズニー社は「法令遵守で厳正」なことが評価されているため、各国のコンプライアンスに重点を置いており、アプロック社がパッケージにする際も「ディズニー映画を出しているブエナビスタ社に事前に『出す』旨を宣言した。『やめてくれ』と言われなかった」と証言している。
ウォルト・ディズニー・ジャパン社は「著作権に関する方針や見解は公表しない」との方針を採っており、自社のウェブサイトでもキャラクターや作品に対する知的財産権の方針を明確にしていない[6]。
声優
いずれも、カウンターテナー風の声質が特徴。
- 原語版声優
-
- 初代:ウォルト・ディズニー(1928年 - 1947年、2013年[8])
- 2代目:ジム・マクドナルド(1947年 - 1977年)
- 3代目:ウェイン・オルウィン(1977年 - 2009年)[注 6]
- 4代目:ブレット・イワン(2009年 - 現在)、クリス・ディアマントポロス(『ミッキーマウス!』、『ワンス・アポン・ア・スタジオ』2013年 - 現在)
- 一時期代役:クラレンス・ナッシュ(1934年)
- 日本語吹き替え声優
-
- 小幡昭子(1960年代) - 日本コロムビア版
- 堀絢子(1973年) - NETテレビ『ディズニーぱれーど』
- 榊原郁恵(1979年) - テレビ番組『ミッキーマウス50周年スペシャル』『ミッキーマウス大会』TBS版
- 太田淑子(1981年) - 『ファン・アンド・ファンシー・フリー』TBS版[注 7]
- 後藤真寿美(1984年 - 1988年) - ポニー版・バンダイ版(廃盤)
- 土井美加(1984年 - 1988年) - ポニー版・バンダイ版の一部(廃盤)
- 山田栄子(1984年 - 1985年) - 日本テレビ『ミッキーマウスとドナルドダック』
- 田中秀幸(1980年代後半の東京ディズニーランドのパレード、ショー)[注 8]
- 納谷六朗(1989年 - 1991年) - BVHE版初代[注 9]
- 青柳隆志(1991年 - 2018年) - BVHE版2代目
- 星野貴紀(2018 - 現在) - BVHE版3代目
日本での歴史
日本にミッキーマウスが紹介されたのは「蒸気船ウィリー」公開翌年の1929年[注 10] のことで、阪和電気鉄道(現在のJR西日本阪和線)が1935年頃に発行した「天恵の楽園」砂川遊園[注 11] のパンフレットのキャラクターに用いられていた。日本オリジナルのミッキーマウス関連の楽曲として、1934年には『ミッキイ・マウスの結婚』(作詞:佐伯孝夫 作曲:加藤しのぶ 歌:平井英子 & 藤山一郎)、1935年頃には『ミッキーマウス』(歌:望月誠)などが発表された。子年だった1936年には、ミッキーマウスを描いた年賀状などの葉書が見受けられており[9]、都市部ではかなり知名度が高かったと思われる[独自研究?](その後子年にちなんで2008年の年賀はがきにミニーマウスと共にデザインとして印刷された)。また、この年の元旦の大阪朝日新聞にはミッキーマウスが描かれた味の素の新聞広告が掲載された。慶應義塾大学の旧マスコットキャラクターであった[10]。
1983年に東京ディズニーランドが開業する以前は、日本でのディズニーキャラクターの人気はミッキーマウスよりバンビやピノキオのほうが上だった[11]。1988年京葉線一部開業(第二期)の式典にゲストとして招かれた。1997年秋田新幹線開業の時にはミニーマウスも連れて式典に来た。
日本のディズニー・チャンネルはミッキーマウスの誕生日にあわせて2003年11月18日に本放送を開始した。
その他
- 1978年、ミッキーマウスは架空のキャラクターとして初めて、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにその名前の刻まれた星形のプレートを設置された[12]。そこには、ウォルト・ディズニー、白雪姫、ミニーマウス、ドナルドダック、ディズニーランド50th記念などのスタープレートもある。50th記念のものには特別に普通のスタープレートにはない、お城のメダルが埋め込まれている。
脚注
注釈
- ^ 『蒸気船ウィリー』は最初のトーキーアニメではないが、サウンドトラック方式を採用した世界初の映画である。
- ^ オクナセルラは別名「ミッキーマウスの木」と呼ばれ、ノルマンディー上陸作戦時に用いられた暗号は「ミッキーマウス」、マウスの移動量と感度の関係を示す単位は「ミッキー」、長いストレートが少なく低速コーナーが多いモータースポーツのサーキットを(蔑称的ではあるものの)「ミッキーマウスサーキット」と呼ぶことなどから、その知名度や人気の高さがうかがえる。
- ^ ナチス・ドイツの撃墜王の一人で、後にジェット戦闘機隊を組織したアドルフ・ガーランドは、愛機のコクピット横に葉巻を咥え斧と拳銃を構えるミッキーマウスを描いていた(葉巻はガーランドのトレードマークでもある)。
- ^ 1933年、インガソール社が発売したミッキーマウスの手を針にデザインした腕時計は1957年までに2500万個が販売され同社の経営難を救った。
- ^ エドナ・ディズニー(ウォルト・ディズニーの兄ロイ・ディズニーの妻)はミッキーマウスの食品関係の商品が出た当初は「ミッキーが使えるはずがないでしょう。どこのだれが二十日ネズミを食べるの!」と言っていた。
- ^ オルウィンの妻は、ミニーマウスの声優を務めているルシー・テラーである(ミッキーマウス/カラーエピソード Vol.2に収録されている、レナード・マルティンとの対談の中で明かされている)。
- ^ 一時期、ディズニーデラックス(現・Disney+)で配信
- ^ 『ワン・マンズ・ドリーム』などを担当。ショーを収録した一部ソフトにも田中が出演してる旨がクレジットされている。なお、ソフト版は後述の納谷、青柳が担当している為、田中の担当はショーやパレードに留まったものの、その後『ミッキーの王子と少年』で登場したミッキーにそっくりな王子を演じて青柳と共演した(原語版では3代目声優であるオルウィンが英語にて王子を、米語にてミッキーを演じていた)。
- ^ DVD『とっておきの物語 / ミッキーのジャックと豆の木』声の出演クレジットより。他にもVHSで発売された『とっておきの物語 / ミッキーのクリスマスキャロル』や『ロジャー・ラビット』で担当している。その後、『ミッキーのジャックと豆の木』と『ミッキーのクリスマスキャロル』がディズニー・チャンネルで放送された際には青柳が声を担当しているものが放送(同じく出演している声優も再録音、キャラクターの口調・一人称などの台詞が異なっている)。『ミッキーのクリスマスキャロル』においては、DVD『ミッキーのマジカル・クリスマス/雪の日のゆかいなパーティー』・ BD『ミッキーのクリスマスキャロル』にはディズニー・チャンネルで放送された音声のみが収録されている(ただし、BD『ミッキーのクリスマスキャロル』にはオープニングとエンディングの歌詞のみVHSで発売された音声が収録されている。)等、納谷の担当した音声が使用されることはなかったが、2018年11月3日・18日・12月30日に、ディズニー・チャンネルで1990年9月21日にVHSで発売されたものと同じ邦題タイトルである『ミッキーと豆の木』として、ハイビジョン放送が行われ、納谷が声を担当した音声が14年ぶりに使用された。その後、2021年12月22日に4K UHDで発売された『ロジャー・ラビット』の日本語吹き替えにおいては、納谷が声を担当した音声が初めて使用された。
- ^ 日本で1929年9月27日に公開された『ミッキーマウスのオペラ見物』が、国内で最初に上映されたミッキーマウス作品である。
- ^ 和泉砂川駅の近くにかつて存在した遊園地。阪和電鉄→南海山手線の戦時買収が行われた1944年までに閉園。
出典
- ^ a b Kenworthy, John (2001). The Hand Behind the Mouse (Disney ed.). New York. p. 53-54.
- ^ “6 Things You Didn't Know About Mickey Mouse”. Oh My Disney (2016年11月18日). 2020年6月2日閲覧。
- ^ “Mortimer Mouse - D23”. Disney A to Z. 2020年6月2日閲覧。
- ^ 水谷直樹「知的所有権判例ニュース 音楽CDのタイトルに対する商標権行使を否定した事例」『月刊発明』Vol.92 1995年10月号(一般社団法人発明推進協会 知的財産権判決速報 サイト内)
- ^ a b “ミッキーマウスの著作権が2023年終了 喜べない日本の複雑な事情”. 日経BP(2019年10月15日作成). 2019年11月1日閲覧。
- ^ 安藤健二「封印されたミッキーマウス」[要ページ番号]
- ^ “ウォルト・ディズニー本人が新作アニメでミッキーの声【動画】”. RBB TODAY (イード). (2013年12月5日) 2019年1月27日閲覧。
- ^ 2013年、『ミッキーのミニー救出大作戦』でアーカイブから音声を抽出し使用する形で66年ぶりにミッキー役を演じた[7]。
- ^ 『郵趣』(日本郵趣協会発行)読者ページ「読者だより」(1994年6月号 94頁、1994年8月号 94頁、1994年10月号 94頁)。
- ^ 慶應義塾のシンボル(リンク切れ、ウェブアーカイブ)
- ^ 日経流通新聞2000年2月17日付「キャラクター最前線」
- ^ "Mickey Mouse" Official website of the Hollywood Walk of Fame 2015年10月4日閲覧
- ^ “Computing Cohomology Rings in Cubical Agda”. arXiv. 2022年12月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ミッキーマウス - ディズニー