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2023年1月3日 (火) 21:22時点における版
日御碕神社 | |
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楼門 | |
所在地 | 島根県出雲市大社町日御碕455 |
位置 | 北緯35度25分46.4秒 東経132度37分45.5秒 / 北緯35.429556度 東経132.629306度座標: 北緯35度25分46.4秒 東経132度37分45.5秒 / 北緯35.429556度 東経132.629306度 |
主祭神 |
天照大御神 素盞嗚尊 |
社格等 |
式内社(小) 旧国幣小社 別表神社 |
創建 | 安寧天皇13年 |
本殿の様式 | 権現造 |
別名 | 通称「みさきさん」 |
札所等 | 出雲國神仏霊場20番 |
例祭 | 8月7日 |
主な神事 | 御寄神事、御饗神事、釿始祭、和布刈神事、例大祭/神幸祭、爪剥祭、神在祭/神去出祭、神劔奉天神事 |
地図 |
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。社殿12棟などが国の重要文化財に指定されている。
歴史
当社は、上下の2社あり、上の宮を神の宮、下の宮を、日沈宮(ひしずみのみや、日沉の宮)と称し、2社を総称し日御碕神社(日御碕大神宮)と呼ばれる。古くは『出雲国風土記』に美佐伎社、『延喜式』に御碕社とあり[1]、地元では「みさきさん」とよばれる[2]。
社伝によると、素盞鳴尊は出雲の国造りの後、熊成峰[注 1]に登り、鎮まる地を求めて、柏葉を風で占うと隠ヶ丘[注 2]に止まった。そこで御子・天葺根命は御魂をその地で奉斎したと伝わり、隠ケ丘(古墳)が現・社殿の裏側にある[1]。日沈宮は元は文島(現・経島)に鎮座し、天葺根命が文島にいたとき、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりと伝わる[1]。
平安時代末期に後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』に「聖の住所(すみか)」として記される修験の聖地である[3]。神の宮(上の宮)は、現・社殿の背後にある隠ヶ丘に鎮座していたが、安寧天皇13年(紀元前536年)に、勅命により現在地へ遷座し、日沈宮(下の宮)は、経島(日置島)に鎮座していたが、天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により現在地に遷座したと伝わる[2][3]。
古くから朝廷からの崇敬が厚く、鎌倉時代以降も幕府からの崇敬があり、社殿の修造が行われている。出雲国松江藩初代・堀尾忠氏は、社領780石余を与え、徳川幕府も600石を与えている[1]。山陰において出雲大社に継ぐ大社とされる[4]。
日沉宮、神の宮の現・社殿は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命で、松江藩主・京極忠高により、日光東照宮完成直後の寛永11年(1634年)に造営が始まり、寛永21年(1644年)松平直政の代で竣工する[2]。以降、歴代藩主により崇敬される[4]。両宮とも日光東照宮を模した権現造りである[2]。
明治4年に、国幣小社に列する。
「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事による[5]。
日沉宮、神の宮、楼門、回廊、禊所、宝庫、門客人社など12棟の社殿や鳥居2基、石灯篭5基が国の重要文化財に指定されている。
祭神
以下の祭神を祀る[4]。
境内
※以下(重文):国の重要文化財のこと。
- 鳥居:(重文)
- 手水舎
- 社務所
- 楼門:(重文)
- 回廊:(重文)
- 石燈籠:(重文)
- 禊所:(重文)
- 宝庫:(重文)
- 神紋石舎
-
鳥居(宇龍から移設)
-
下の宮 回廊
-
下の宮 禊所
-
宝庫
- 日沈宮(下の宮):(重文)
- 境内からすぐの清江の浜の前の経島(日置島)に鎮座していた「百伎槐社」が、村上天皇の勅により、天暦2年(948年)に現在地に遷座と伝わる。内部は、上段と下段の間に分かれ、古文書によると上段の間は、「神楽所」と呼ばれていたとされる[3]。
- 本殿
- 幣殿
- 拝殿
- 玉垣
- 神の宮(上の宮):(重文)
- 現・社殿背後にある隠ヶ丘に祀られていたが、安寧天皇13年に現在地に遷座したと伝わる[3]。
- 本殿
- 幣殿
- 拝殿
- 玉垣
-
日沈宮(下の宮)
拝殿(左)・本殿(右奥)・玉垣(本殿を囲う) -
神の宮(上の宮)
本殿(左)・玉垣(本殿を囲う)・拝殿(右)
摂末社
- 門客人社(かどまろうどしゃ):(重文)
- 楼門入ってすぐの日沈宮(下の宮)社殿に向かって左側(南側)に鎮座。
- 祭神:豊磐間戸神
- 門客人社(かどまろうどしゃ):(重文)
- 楼門入ってすぐの日沈宮(下の宮)社殿に向かって右側(北側)に鎮座。
- 祭神:櫛磐間戸神
- 蛭児社
- 十九社摂末社
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- 荒魂神社
- 荒祭宮
- 御井神社
- 稲荷神社
- 韓國神社
- 宗像神社
境外社
- 経島神社(元宮)
- 経島(日置島)にあり、日沈宮(下の宮)が初めに鎮座していた場所で、現在小さな祠がある。
- 祭神:天葺根命
-
下の宮 門客人社(南)
日沈宮(下の宮)社殿向かって左側 -
下の宮 門客人社(北)
日沈宮(下の宮)社殿向かって右側 -
蛭児社
-
十九社摂末社
-
荒魂神社
-
荒祭宮
-
御井神社
-
稲荷神社
文化財
国宝
- 工芸品
-
- 白絲威鎧(しろいとおどしよろい) 兜・大袖付 1領 - 1953年(昭和28年)3月31日指定[6]。
重要文化財
- 建造物
-
- 日御碕神社 12棟、2基 - 1953年(昭和28年)3月31日指定。
- 寛永21年(1644年)築。徳川家光の命により建立。
- 日沈宮(下の宮)本殿 1棟[8]
- 日沈宮(下の宮)幣殿・拝殿 1棟[9]
- 日沈宮(下の宮)玉垣 1棟[10]
- 日沈宮(下の宮)禊所 1棟[11]
- 日沈宮(下の宮)廻廊 1棟[12]
- 日沈宮(下の宮)楼門 1棟[13]
- 日沈宮(下の宮)門客人社 2棟[14][15]
- 神の宮(上の宮)本殿 1棟[16]
- 神の宮(上の宮)幣殿・拝殿 1棟[17]
- 神の宮(上の宮)玉垣 1棟[18]
- 神の宮(上の宮)宝庫 1棟[19]
- 神の宮(上の宮)鳥居 2基[20][21]
- 以下、附指定物件[8]。
- 日御碕御建立絵彩色塗金物 1冊
- 出雲国日御碕御造営銀子請取同入用高帳 1冊
- 日御碕社殿地割図 19枚
- 日御碕社殿の図 1巻
- 石燈籠 5基
国の天然記念物
県指定文化財
- 工芸品
-
- 縹糸威肩白四十八間筋兜 1頭 附:鳩尾板 1枚 - 1969年(昭和44年)5月23日指定[24]。
- 室町時代初期
- 熏韋威喉輪 1懸 - 1969年(昭和44年)5月23日指定[24]。
- 南北朝期
- 白糸威肩紅喉輪 1懸 - 1969年(昭和44年)5月23日指定[24]。
- 室町時代末期
- 越前康継作大小刀、梨地大小太刀拵 2口1組 附:「出雲國日御碕太神宮正殿御遷宮次第事」1巻 - 1996年(平成8年)4月26日指定[24]。
- 書跡
-
- 紙本墨書耕雲明魏日御碕社造営勧進記 1巻 - 1969年(昭和44年)5月23日指定[25]。
- 紙本墨書日御碕神社勧化簿 2帖 - 1975年(昭和50年)8月12日指定[25]。
- 大永4年(1524年)頃作
- 重要美術品
-
- 刀 銘:奉納出雲国日御碕霊神 小野繁慶 1口 - 1940年(昭和15年)2月13日指定[27]。
- 江戸時代初期
行事
- 1月3日 御寄神事
- 1月7日 御饗神事
- 1月11日 釿始祭
- 1月5日(旧暦) 和布刈神事
- 8月7日 例大祭/神幸祭(夕日の祭)
- 9月1日 爪剥祭(八朔祭)
- 11月11日 - 17日(旧暦) 神在祭/神去出祭
- 12月31日 神劔奉天神事
交通アクセス
(2022年10月時点)
周辺情報
- 経島
- 神宮寺:日御碕神社の神宮寺であった。
- 日御碕
- 出雲日御碕灯台
- 小野家住宅・長屋門:日御碕神社社家の小野家は、戦前は、出雲大社の千家・北島両家や、石見一ノ宮の物部神社(島根県大田市)・社家の「金子家」と並び、全国14社家の社家華族(男爵)の一つに列する格式を有していた。
- 海中遺跡:経島から黒島に向け人工の海中洞窟および人工の玉砂利が残る参道や参内がある。日御碕にも同じ海中遺跡が存在する[28]。
脚注
- 注釈
- 脚注
- ^ a b c d 白井 1997, p. 290.
- ^ a b c d “広報いずも 第114号” (PDF). 出雲市. 2022年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e “日御碕神社のご紹介”. 出雲市市民文化部文化財課. 2022年7月27日閲覧。
- ^ a b c 神道大辞典 1969, p. 200.
- ^ 現地設置、日御碕神社御由緒板による。
- ^ a b “白絲威鎧(兜、大袖付) / 国宝・重要文化財(美術品)”. 国指定文化財等データベース. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日御碕神社の甲冑と模写図”. 東京国立博物館. 2022年7月27日閲覧。
- ^ a b “日沈宮(下の宮)本殿 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)幣殿、拝殿 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)玉垣 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)禊所 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)廻廊 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)楼門 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)門客人社 (1) / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “日沈宮(下の宮)門客人社 (2) / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “神の宮(上の宮)本殿 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “神の宮(上の宮)幣殿、拝殿 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “神の宮(上の宮)玉垣 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “神の宮(上の宮)宝庫 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “神の宮(上の宮)鳥居 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “神の宮(上の宮)鳥居 / 日御碕神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “藍韋威腹巻 / 国宝・重要文化財(美術品)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “経島ウミネコ繁殖地 / 史跡名勝天然記念物”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e “県指定文化財一覧【工芸品】”. 島根県教育庁文化財課. 2022年7月27日閲覧。
- ^ a b “県指定文化財一覧【書跡】”. 島根県教育庁文化財課. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “県指定文化財一覧【典籍】”. 島根県教育庁文化財課. 2022年7月27日閲覧。
- ^ “【重要美術品】”. 島根県教育庁文化財課. 2022年7月27日閲覧。
- ^ 日御碕海底遺跡調査 (PDF) (2004年11月9日時点のアーカイブ)
参考文献
- 白井永二、土岐昌訓 編『神社辞典』東京堂出版、1997年。ISBN 4-490-10474-X。
- 宮地直一、佐伯有義 監修 編『神道大辞典(縮刷版)』(初版平凡社、昭和14年)臨川書店、1969。ISBN 4-653-013470。
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、49頁