「近江輝子」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m →映画: 内部リンクを加筆。 |
|||
169行目: | 169行目: | ||
[[Category:日本の女優]] |
[[Category:日本の女優]] |
||
[[Category:大映の俳優]] |
[[Category:大映の俳優]] |
||
[[Category:日本の悪役俳優]] |
|||
[[Category:宝塚歌劇団卒業生]] |
[[Category:宝塚歌劇団卒業生]] |
||
[[Category:宝塚歌劇団25期生]] |
[[Category:宝塚歌劇団25期生]] |
2022年10月19日 (水) 20:24時点における版
おうみ てるこ 近江 輝子 | |
---|---|
本名 | 木下春子[1] |
別名義 | 大宮輝子、大美輝子 |
生年月日 | 1920年2月1日 |
没年月日 | 2008年 |
出生地 | 日本・東京府北豊島郡西巣鴨町大字池袋[1] |
民族 | 日本人 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 舞台、映画、テレビドラマ |
活動期間 | 1935年~1990年頃 |
近江 輝子(おうみ てるこ、1920年2月1日 - 2008年)は、日本の女優。
経歴
淑徳高等女学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校に進学[1]。同期に日高澄子、宮城千賀子がいた(宝塚歌劇団25期生を参照)[1]。1938年、宝塚少女歌劇団・雪組に配属[1]。最初は大宮輝子と名乗ったが大美輝子に改名[1]。1945年に宝塚を退団すると、霧立のぼるのロマン座[1]、希望座[2]に加入。1948年12月、大映京都撮影所に入社[1]。同年の『三十三の足跡』で映画デビュー[1]。以後、1971年の大映倒産まで脇役として多くの映画に出演[1]。多い時は年間14、5本に出て、時代劇では中老け役・老女役を得意とした[1]。1972年から松竹芸能に所属し、テレビを中心に活躍[1]。1959年に近江輝子に改名[1]。
出演作品
映画
- 三十三の足跡(1948年)
- 透明人間現わる(1949年) - 長曾我部君子
- 狸銀座を歩く(1950年) - タヌ吉
- 鉄の爪(1951年)
- 愛妻物語(1951年) - 内儀さん
- 源氏物語(1951年)
- 新やじきた道中(1952年) - 女中・おきみ
- 雪崩(1952年)
- 大佛開眼(1952年)
- 雨月物語(1953年)
- 怪談佐賀屋敷(1953年)
- 千羽鶴(1953年)
- 祇園囃子(1953年) - 八重
- 怪猫有馬御殿(1953年)
- 山椒大夫(1954年)- 中君[3]
- 噂の女(1954年) - 尾上太夫[1]
- 阿波おどり狸合戦(1954年)
- 夜の河(1956年) - 大沢はつ子[1]
- 月形半平太 花の巻・嵐の巻(1956年)
- 新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956年)
- 銭形平次捕物控 死美人風呂(1956年)[4]
- 怪猫夜泣き沼(1957年) - お勝
- 日蓮と蒙古大襲来(1958年)
- 化け猫御用だ(1958年)
- 白鷺(1958年)
- 山田長政 王者の剣(1959年)[1]
- かげろう絵図(1959年)[1]
- 四谷怪談(1959年)
- かげろう笠(1959年) - お民
- 千姫御殿(1960年)[1]
- 一本刀土俵入(1960年)[1]
- 犬神屋敷(1960年)
- みだれ髪(1961年)[1]
- 喧嘩富士(1961年)[1]
- 釈迦(1961年)[5]
- 婦系図(1962年)[1]
- 怪談夜泣き灯篭(1962年)
- 殺陣師段平(1962年)
- 女系家族(1963年)
- 悪名市場(1963年)[1]
- 妖僧(1963年)
- 座頭市あばれ凧(1964年)[1]
- 鼠小僧次郎吉(1965年)[1]
- 酔いどれ波止場(1966年)[1]
- 牡丹灯篭(1968年)
- 妖怪百物語(1968年)
- 秘剣破り(1969年)[1]
- 四谷怪談 お岩の亡霊(1969年)
- おさな妻(1970年)[1]
- しびれくらげ(1970年)
- 怪談累が渕(1970年)
- 穴場あらし(1971年)[1]
- 座頭市御用旅(1972年)[1]
- 御用牙 かみそり半蔵地獄責め(1973年)
この節の加筆が望まれています。 |
テレビドラマ
- 大岡越前(TBS / C.A.L)
- 座頭市物語 第14話「赤ン坊喧嘩旅」(1975年、フジテレビ系/CX)
- 遠山の金さん 杉良太郎版 第1シリーズ「背信」(1976年、NET/東映)- 大門屋弥兵衛の妻
- 水戸黄門(TBS / C.A.L.)
- 必殺シリーズ(ABC / 松竹)
- 必殺仕掛人
- 第12話「秋風二人旅」(1972年11月18日) - 崎
- 第24話「士農工商大仕掛け」(1973年) - 茶屋のおかみ
- 必殺仕置人 第10話「ぬの地ぬす人ぬれば色」(1973年6月23日) - 添島
- 助け人走る
- 第18話「放蕩大始末」(1974年) - 浦部とも
- 第30話「賃金大仕掛」(1974年) - お春
- 第36話「解散大始末」(1974年6月22日) - 浦尾
- 必殺必中仕事屋稼業 第10話「売られて勝負」(1975年3月8日) - おさき
- 必殺仕置屋稼業
- 第10話「一筆啓上 姦計が見えた」(1975年9月5日) - お寅
- 第24話「一筆啓上血縁が見えた」(1975年) - おせき
- 必殺仕業人
- 第7話「あんたこの仇討どう思う」(1976年) - 女将
- 第18話「あんた この手口をどう思う」(1976年5月14日)-丹波屋女将
- 必殺からくり人・血風編 第6話「悲恋を葬る紅い涙」(1976年) - 女将
- 新・必殺仕置人
- 第9話「悪縁無用」(1977年3月18日)-おせん
- 第21話「質草無用」(1976年6月10日)-おけら屋内儀
- 第30話「夢想無用」(1976年8月12日)-文吉の母
- 必殺仕事人
- 第24話「冥土へ道連れを送れるか?」(1979年) - 女将
- 第78話「疾風技 浮世節無情斬り」(1980年) - お勝
- 新・必殺仕事人
- 第2話「主水 気分滅入る」(1981年) - お万
- 第21話「主水左遷を気にする」(1981年) - 女
- 必殺仕舞人 第4話「江差追分母娘の別れ」(1981年) - 妙蓮尼
- 新・必殺仕事人 第29話「主水ねこばばする」(1982年) - 女郎屋のお女将
- 必殺仕掛人
- 怪談牡丹燈籠(1982年)
- 怨(1982年)
- 真夜中の鬼女(1984年)
- 京都妖怪地図 河原町に棲む四百歳の不倫女医(1986年)
この節の加筆が望まれています。 |
舞台
- 世界名作童話 オペレッタ『アルプスの山の娘』(宝塚少女歌劇団雪組、1940年7月26日〜8月25日、宝塚大劇場)
- 日本名所図会(宝塚少女歌劇団雪組、1941年1月、東京宝塚劇場) - 鬼の念仏[6]
- 桜(宝塚少女歌劇団雪組、1941年3月、宝塚大劇場) - 源五右衛門[7]
- 弓張月(宝塚少女歌劇団雪組、1941年6月、宝塚大劇場) - 紀平治[8]
- 豊穣歌(宝塚少女歌劇団雪組、1941年10月、東京宝塚劇場) - 仲人[9]
- 高原の秋(宝塚少女歌劇団雪組、1941年10月、東京宝塚劇場) - 吉田[9]
- 奥州二本松(宝塚少女歌劇団雪組、1941年12月、宝塚中劇場) - 良蔵[10]
- 藤原釜足一座カマさんの見世物座・霧立のぼる希望座大合同劇(1946年1月31日、松竹劇場)[2]
この節の加筆が望まれています。 |
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『日本映画人名事典 (女優篇 上巻)』キネマ旬報社、1995年、344頁。ISBN 978-4873761404。執筆者:奥田久司
- ^ a b 『近代歌舞伎年表 京都篇〈別巻〉昭和十八年~昭和二十二年補遺・索引』八木書店、2005年、246頁。ISBN 978-4840692335。
- ^ 溝口健二(監督) (31 March 1954). 山椒大夫 (映画). 大映京都.
- ^ 加戸敏 (監督) (11 February 1956). 銭形平次捕物控 死美人風呂 (映画). 大映京都.
- ^ 三隅研次(監督) (1961-11-1). 釈迦 (映画). 大映京都.
{{cite AV media}}
:|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ 『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集. 昭和17年版』宝塚歌劇団、1942年、62頁。
- ^ 『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集. 昭和17年版』宝塚歌劇団、1942年、64頁。
- ^ 『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集. 昭和17年版』宝塚歌劇団、1942年、68頁。
- ^ a b 『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集. 昭和17年版』宝塚歌劇団、1942年、71頁。
- ^ 『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集. 昭和17年版』宝塚歌劇団、1942年、74頁。
外部リンク
- 大美輝子 - KINENOTE
- 近江輝子 - KINENOTE
- 大美輝子 - 日本映画データベース
- 近江輝子 - 日本映画データベース