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2022年10月8日 (土) 00:46時点における版
下呂市立菅田小学校 | |
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北緯35度38分52秒 東経137度07分40秒 / 北緯35.64779度 東経137.12791度座標: 北緯35度38分52秒 東経137度07分40秒 / 北緯35.64779度 東経137.12791度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 下呂市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 2021年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121222000117 |
所在地 | 〒509-1623 |
岐阜県下呂市金山町菅田桐洞117 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
下呂市立菅田小学校(げろしりつ すがたしょうがっこう)は岐阜県下呂市にあった市立の小学校。
概要
- 校区は金山町菅田笹洞、下呂市金山町菅田桐洞であり、旧・武儀郡菅田町に該当する。
- 2021年に下呂市金山地区の4つの小学校(金山小学校・菅田小学校・下原小学校・東第一小学校を統合することが決まり、2021年3月に閉校した[1]。
- 2022年現在、校舎はリングロー株式会社により管理されている。2022年4月に地域交流拠点「菅田集学校」としてプレオープンした[2]。同年8月に旧・図書室は地域住民らが運営する、いっぷく図書図鑑センターとなっている[3]。
沿革
- 1873年(明治6年) - 桐洞村に育進舎が開校。同時期に笹洞村にも学校ができる[4]。
- 1874年(明治7年) - 育進学校に改称。
- 1875年(明治8年) - 育進学校が桐洞学校に改称する。笹洞村の学校が笹洞学校に改称する。
- 1884年(明治17年) - 桐洞学校と笹洞学校が統合し、成渓学校となる。
- 1886年(明治19年) - 桐洞尋常小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 桐洞村と笹洞村が合併し、武儀郡沙田村が発足。
- 1893年(明治26年) -
- 沙田村を菅田村に改称。
- 菅田尋常高等小学校に改称する。
- 1896年(明治29年)11月20日 - 町制施行、菅田町となる。
- 1920年(大正9年) - 笹洞新田に新田分教場を設置。
- 1941年(昭和16年)4月 - 菅田国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月 - 菅田町立菅田小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年) - 武儀郡金山町、菅田町、益田郡下原村、郡上郡東村が合併し、益田郡金山町が発足。同時に金山町立菅田小学校に改称する。
- 1973年(昭和48年) - 新田分校を廃止。
- 1977年(昭和52年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1983年(昭和58年) - 屋内運動場が完成。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 下呂町、萩原町、金山町、小坂町、馬瀬村が合併し、下呂市が発足。同時に下呂市立菅田小学校に改称する。
- 2021年(令和3年)3月31日 - 旧下呂市立金山小学校と統合し、閉校。
関連項目
脚注
- ^ 児童大幅減で4小学校統合へ「多くの仲間と学ぶ環境を」(岐阜新聞2020年1月12日)
- ^ “菅田集学校 プレオープンのお知らせ”. リングロー株式会社. 2022年8月13日閲覧。
- ^ 閉校した小学校の図書室「図鑑センター」で再出発。岐阜・下呂市、空間と蔵書活用(岐阜新聞2022年8月13日)
- ^ 校名は不詳。