コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「菱刈隆」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
参考文献: cat調整
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 満州 (:Category:在満洲国日本大使) - log
39行目: 39行目:
[[Category:19世紀の軍人]]
[[Category:19世紀の軍人]]
[[Category:20世紀の軍人]]
[[Category:20世紀の軍人]]
[[Category:在満国日本大使]]
[[Category:在満国日本大使]]
[[Category:関東長官]]
[[Category:関東長官]]
[[Category:日清戦争の人物]]
[[Category:日清戦争の人物]]

2022年3月1日 (火) 19:49時点における版

菱刈隆

菱刈 隆(ひしかり たか、1871年12月27日明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍軍人外交官。最終階級は陸軍大将栄典勲一等功五級。幼名、幸吉。

経歴

薩摩藩士、菱刈八郎太の三男として生れる。成城学校を経て、1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業。同年9月、陸軍少尉に任官し、日清戦争では歩兵第3連隊付として出征した。1902年(明治35年)11月、陸軍大学校(16期)を卒業。歩兵第26連隊中隊長、陸軍戸山学校教官、台湾総督府参謀を歴任。日露戦争では、第1軍参謀として出征した。

戸山学校教官、教育総監部課員、欧州出張、陸軍省軍務局課員、陸軍歩兵学校教官、歩兵第4連隊長、第2師団参謀長などを歴任。1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級し、歩兵第23旅団長、戸山学校長などを経て、1923年(大正12年)8月、陸軍中将に進級。由良要塞司令官第8師団長、第4師団長、台湾軍司令官などを歴任。1929年(昭和4年)8月、陸軍大将に進み、関東軍司令官、軍事参議官満州国大使などを歴任。1935年(昭和10年)8月、予備役に編入され、1941年(昭和16年)4月に退役した。

大日本忠霊顕彰会会長(忠霊塔を参照)、大日本剣道会会長も勤めた。

栄典

位階
勲章

演じた人物

脚注

  1. ^ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日。
  2. ^ 『官報』第1825号「叙任及辞令」1918年9月2日。
  3. ^ 『官報』第4025号「叙任及辞令」1926年1月27日。
  4. ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。