「国鉄EF60形電気機関車」の版間の差分
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== 静態保存機 == |
== 静態保存機 == |
2022年1月1日 (土) 20:44時点における版
EF60形直流電気機関車 | |
---|---|
EF60 19 (画像正面が2エンド側) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
製造年 | 1960年 - 1964年 |
製造数 | 143両 |
主要諸元 | |
軸配置 | Bo-Bo-Bo |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流 1,500 V |
運転整備重量 | 96.0 t |
台車 |
DT115系(両端) TR116系(中間) |
主電動機 | 直流直巻電動機 |
制御方式 |
抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁 (バーニア制御付き) |
制御装置 | 電磁空気単位スイッチ式 |
制動装置 | EL14AS形自動空気ブレーキ |
製造時期によって相違あり。詳細は#主要諸元を参照のこと。 |
EF60形電気機関車(EF60がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1960年 (昭和35年)に開発した、平坦路線向け直流用電気機関車である。
概要
1958年、国鉄初の新形直流電気機関車としてED60形・ED61形が登場したが、この両形式で採用された1基390kWのMT49形直流直巻電動機を使用してF形(動輪6軸)機関車にすると出力は390kW×6=2,340kWとなり、それまで東海道本線・山陽本線で高速貨物列車用として使用されていた出力2,530kWのEH10形に比べてさほど劣らぬ出力を持ちつつ小型軽量の機関車にすることが可能であることから開発されたのが本形式である。
構造
構造は新形電気機関車の特徴とするデッキなしの箱形車体である。ED60形とは異なり重連運用は想定していないため総括制御機能はなく、前面は非貫通形2枚窓とした。貨物列車への使用を前提とするため列車暖房用設備は非装備である[注 1]。
製造当初の車体塗装は0番台がぶどう色2号(茶色)の一色[注 2]で、500番台が前面上部・下部および側面を青15号(濃青色)、前面窓周り・中央部と側面帯をクリーム1号とした塗装であったが、塗装規定の変更により1965年(昭和40年)から側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面中央部をクリーム1号とした配色に全機が変更された。この塗装は新形直流電気機関車の標準色とされた[注 3]。
形態区分
1960年から1964年にかけて、貨物用の0番台129両と寝台特急列車(ブルートレイン)牽引用の500番台14両の計143両が製造されたが、製造時期により構造の差異がある。
先行試作車
1960年に製造された先行試作車の1・2は、比較のため以下に示す点で仕様が異なる。
- 先行試作車相違点
相違点 | EF60 1 | EF60 2 | 備考 |
両端台車 | DT115形 | DT106A形 | DT115形軸ばね方式= DT106A形=吊りリンク・揺れまくら方式 DT116形を含めた軌道への影響比較[1] |
中間台車 | DT116形 | ||
主電動機 | MT49形 | MT49B形 | 細部の設定変更 |
製造メーカー | 東洋電機製造 汽車会社 |
三菱電機 新三菱重工 |
吹田第二機関区に配置されて比較試験が行われ、軌道に対する横圧の小さい1が量産車のベースとなった。
後のEF65形増備により余剰となり、1はEF61 201へ改造されたが、特異な台車を採用した2は保守の問題で1982年に廃車・解体された。
1次量産車
先行試作機の使用結果を踏まえ、1960年7月から9月にかけて3 - 14号機が製造された[2]。姫路 - 岡山間電化開業用を名目としている[2]。
外観での相違は、WP35形ワイパーが窓上から支持する方式に変更された程度である。バーニア制御器は空転検出の制度向上および直列・直並列の渡りをスムーズにするために継電器を追加したCS13Aに変更された。駆動方式は試作車と同様のクイル方式である。クイル式は車輪の大歯車に設けられた継手部分に塵埃の混入による異常摩耗に起因するかみ合いの悪化により、大きなトルクがかかると異常振動と騒音が発生することが明らかになった。本グループを含むクイル式駆動車両は、後にすべてリンク式駆動装置に改修されたが、この駆動装置の問題により試作機を含めた14両は本形式他車と運用が分けられ、一時的に甲府機関区や稲沢第二機関区に転属して中央本線で客車牽引運用に充当された。その後、岡山機関区に集中配置され、山陽本線東部のローカル貨物列車運用に限定使用された。
試作機を含む14両は、老朽化した瀬野八用補助機関車EF59形の代替用としてEF61形200番台に改造されることになり、1977年から1979年にかけて8両が改造されたが、重連運用時の不具合によりそれ以上の改造は打ち切られ、残りの6両も1980年頃には運用から外れ、休車となって岡山機関区に留置された。
休車となった車両のうち5両は1982年(昭和57年)に廃車されたが、12号機のみ教習用車両として中央鉄道学園に移送され、1984年(昭和59年)に廃車されてからも、1987年(昭和62年)の閉鎖まで活用され、その後解体された。
2次量産車
1962年5月から8月にかけて15 - 46号機が製造された[3]。東海道・山陽本線増発用を名目としている[3]。
前述のとおり、1次量産車までで採用されていたクイル式駆動方式はトラブルが続出したため、吊り掛け駆動方式に設計変更した。主電動機は1時間定格出力425kWのMT52形に変更し、それに合わせて台車もDT115A形・DT116A形(軸距を2,800 mmまで延長)に変更された。MT52はMT49と比べて定格回転数が低いことから、高速性能改善のために歯車比は4.44に変更された。定格出力が2,550kWまで改善されたこともあり、歯車比を大きく変更し定格速度を上げることも検討されたが、既存グループと共通性を持たせることから見送られ、出力上昇分は引張力の向上に振り向けられた。
外観上の相違としては、前照灯まわりが台形のケーシングとなり、樽形ケーシングの1次グループとは意匠が僅かに異なることである[注 4]。
このグループの特異車としては、42 - 46号機が挙げられる。本来であれば「東洋電機・汽車会社」のジョイントで発注されるところであったが、東洋電機に不祥事(東洋電機カラーテレビ事件)が発覚したため、国鉄は同社への発注を一時的に凍結し、「汽車会社・川崎電機」のジョイントで製作された。
3次量産車
1963年7月から1964年3月にかけて47 - 83号機が製造された[4]。東海道・山陽本線増発用、岡山 - 広島間の貨物列車電化用を名目としている[4]。稲沢第二・沼津機関区に配置され、両機関区のEF15形が各地に転属している[4]。
運転台側窓固定部分のガラス支持が白Hゴムに変更されている[4]。
4次量産車
1964年4月から7月にかけて84 - 99号機が製造された[5]。山陽本線旅客電化用、中央本線甲府 - 上諏訪間電化開業用、上越・高崎・東北本線貨物列車増発を名目としている[5]。沼津・米原・吹田第二機関区に配置され、該当機関区のEF15形が各地に転属している[5]。
性能にはそれほど大きな違いはみられないが、外観はEF80型に似た意匠になるなど大きな違いがみられる[5]。
- 前照灯が2灯シールドビームに変更され、側面は通気口の上に明かり取り窓を配した構造となった。その後に製造されたEF65形も同一形状である。
- 側窓も白Hゴム支持となっている。
- 運転室機器類の一部変更。
- 避雷針をLA15に変更。
5次量産車
1964年7月から10月にかけて100 - 129号機が製造された[6]。上越・高崎・東北本線貨物列車増発用、山手線貨物列車増発用を名目としている[6]。沼津・浜松・稲沢第二・米原・吹田第二・高崎第二機関区に配置され、該当機関区のEF15形が各地に転属している[6]。
避雷器の爆発時の飛散防止のためにカバーが取り付けられている[6]。
500番台
1963年から1964年に20系客車寝台特急牽引用EF58形の置換え用として製造されたグループで501 - 514が該当する。
- 車体は501 - 511が3次量産車に、512 - 514が4次量産車に準ずる。
- 外部塗色は20系客車と意匠を合わせ、地色は青色で前面窓まわりと側面の帯をクリーム色とした。ただし、512・513は手違いにより一般形と同じ塗色で落成した[7]。
- 正面中央に特急列車用のヘッドマーク取付ステーを追加。
- 20系客車との連結対応として、運転台に客車との連絡用電話・架線異常時のカニ22形電源車のパンタグラフ降下ならびに電動発電機(MG)停止のスイッチが追加され、スカートには当該機能引き通し用KE59形ジャンパ連結器を装備。
- 1965年より高速性能に優れたEF65形500番台P形の登場で寝台特急の運用を外れ、以後は一般形と共通運用された。1968年の20系客車電磁指令ブレーキ化以降、本区分番台は定期寝台特急列車に投入されていない[注 5]。
- 後に寝台特急列車増発によってEF65形が不足した際は、本形式ではなくEF58形[注 6]が再投入された。
- 1975年頃に塗色を特急色から0番台と同様の一般色に変更し、ジャンパ連結器が撤去されたため、一般形との相違が全くなくなった。
- 1986年3月のダイヤ改正で、紀勢本線の12系客車牽引運用をEF58形から置き換えるため、500番台の一部が元空気ダメ管(MRP)の引き通し改造、いわゆるP型化されて竜華機関区に転属した。改造の理由は、曲線が多い紀勢本線で空気バネ・自動ドアを装備する12系客車を普通列車で運用するため、圧搾空気の消費量が多くなり客車側のコンプレッサーだけで賄いきれなくなることが懸念されたためである(同区のEF58形も同じ理由でP型に改造された)。この運用も、86年11月のダイヤ改正で紀勢本線の客車列車自体が廃止されたため、わずか半年余りで終了した。
主要諸元
番台区分 | 1次車 | 2次・3次・4次・5次車 500番台 |
---|---|---|
全長 | 16,000mm | 16,500mm |
全幅 | 2,800mm | |
全高 | 3,814mm | 3,819mm |
運転整備質量 | 96.0t | |
最高運転速度 | 90km/h[8] | 100km/h |
電気方式 | 直流1,500 V(架空電車線方式)[9] | |
軸配置 | Bo-Bo-Bo (動軸 6)[10] | |
台車形式 | DT115形(両端) DT116形(中間) |
DT115A形(両端) DT116A形(中間) |
主電動機 | MT49B形×6基[10] | MT52形×6基[10] |
動力伝達方式 および歯数比 |
1段歯車減速クイル式 15:82=1:5.466[10] |
1段歯車減速吊り掛け式 16:71=1:4.44[10] |
1時間定格出力 | 2,340kW[10] | 2,550kW[10] |
1時間定格引張力 | 19,200 kgf[10] | 23,400 kgf[10] |
定格速度 | 44.7 km/h(全界磁)[10] | 39 km/h(全界磁)[10] |
制御方式 | 抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁制御(バーニア制御付き)[10] | |
制御装置 | 電磁空気単位スイッチ式 | |
重連総括制御 | なし | |
ブレーキ方式 | EL14AS自動空気ブレーキ | |
製造初年 | 1960 | 1962 |
改造
本形式からは山陽本線瀬野 - 八本松(通称瀬野八)間用補助機関車への改造が行われた。なお、いずれもEF59形置換え名義の改造である。
EF61形200番台への改造
1977年に本形式の先行試作・1次量産のクイル式駆動グループ車を改造したグループである。当初はグループ全車を改造予定であったが、途中で計画が中止されたために8両のみの施工で終了した。
EF67形基本番台への改造
1982年に本形式の4次および5次量産車グループから3両が改造された。
運用
製造当初は、基本番台が東海道・山陽本線の高速貨物列車に、500番台が東京 - 九州間寝台特急列車に投入された。
500番台は、1964年の山陽本線横川 - 小郡間電化までは、昼間時間帯の間合い運用で瀬野八区間の補機にも投入された。
しかし、本形式は諸元上の最高速度こそ100km/hであるものの、本来はEF15形・EH10形の後継となる貨物機で引張力を重視したため、定格速度は全界磁で39.0km/hに設定された低速機であり、平坦区間主体の東海道・山陽本線東京 - 下関間1,000km超の長距離で連続高速運転を行うことは、本来想定外であった。それにもかかわらず本形式500番台が製造されたのは、上り瀬野八越えの補助機関車連結解消と牽引定数の向上(20系11両→13両)が目的であった[注 7]。この性能特性で、定格速度68.0km/hの高速機関車EF58形で運行していたダイヤを代替するのは無理があり、過負荷を強いられた連続高速運転時の40%弱め界磁多用による主電動機フラッシュオーバーなどの故障が頻発したため[注 8][11]、1964年終盤には49%および40%弱め界磁制御は使用禁止となった[11]。また、EF58から引き継いだ寝台特急牽引運用の開始と相前後して、寝台特急列車の110km/hへの速度向上計画が浮上したが、AREBブレーキを搭載していない本形式では速度向上に対応できないと言う理由もあり、1965年にわずか2年でEF65形500番台に交代する形で寝台特急牽引運用より撤退した。
1965年以降は、寝台特急牽引運用を撤退した500番台も含めて、主に一般貨物列車で運用されるようになった。1970年代後半からは旧型貨物用電気機関車の置き換えで首都圏の中央本線・高崎線・両毛線などにも投入された。
1980年代に入ると、老朽化が顕著になったことに加えて、昭和59年ダイヤ改正で貨物列車が大幅に削減されたことから急激に淘汰が進行する。最後に残ったのは高崎第二機関区に配置され首都圏発着で高崎線・両毛線を通る貨物列車で運用されていた車両と、1986年3月から新たに配置区となった竜華機関区で阪和線・紀勢本線の運用に就いた数両で、これら残存車は分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正で定期運用がなくなり[注 9]、動態保存機としてJRグループに承継された2両を除き全車廃車となった。
国鉄時代の旅客列車牽引実績としては、1960年代半ば頃に高崎線で冬期を除いた期間の一般客車列車、先述した寝台特急、阪和線・紀勢本線での12系客車による普通列車のほか、国鉄末期の1985年に休車中であった501を特急色に復元し、1986年11月まで臨時客車列車運用に復帰させた例がある。
JR発足後の動き
動態保存用として東日本旅客鉄道(JR東日本)に19が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に503がそれぞれ承継された。503はJR発足後一度も営業用に使用されることなく、2008年11月3日付けで廃車[12]となり解体された[注 10]。
19は主に上越線や信越線などのイベントでの客車列車の牽引や両毛線などの工事臨時列車、高崎周辺の配給列車の牽引などに使用されていたが、2019年(令和元年)7月3日付で廃車となった。これによりEF60形は廃形式となった[13]。
他形式に改造された車両のうち、EF61形200番台に改造された車両は全車廃車・解体され、EF67形に改造された車両のうち1両が日本貨物鉄道(JR貨物)広島車両所に保留車として在籍する。
EF60 19
東洋電機・汽車製造で製造され、1962年(昭和37年)8月3日付けで新鶴見機関区に配置。浜松機関区を経て,1981年(昭和56年)7月に高崎第二機関区に転入。
1986年(昭和61年)にジョイフルトレイン「お座敷客車・やすらぎ」の牽引機に指定され、客車に合わせたクリーム10号の地色に青20号と赤11号の細帯を巻いた塗装に変更され[14]た。1987年(昭和62年)の分割民営化でJR東日本に承継され、高崎運転所の配置となった。
1988年(昭和63年)には「アメリカントレイン」の指定牽引機となり、客車に合わせた星条旗風の塗装に変更されたが、翌1989年(平成元年)の運転終了後は「やすらぎ」塗装に復元された。
2001年(平成13年)に「やすらぎ」が廃車された後も塗色は維持されていたが、2007年(平成19年)に実施された全般検査で,デジタル無線搭載改造とともに国鉄直流機関車標準色に戻された。
2010年(平成22年)1月には第2エンド側の前照灯がブタ鼻形のシールドビーム2灯からこの車両本来の白熱バルブ式の大型1灯へ戻された[15]。この後、2011年(平成23年)2月13日に、1エンド側前照灯も大型1灯へ戻されているのが確認されている。
2019年(令和元年)7月1日に秋田総合車両センターへ回送され[16]、3日付で廃車[17]となった。廃車前、最後の運用は同6月2日の「ELぐんま よこかわ」の牽引であった[18]。なお同日の列車の牽引予定には当初無かったが、充当予定であったEF64 1053に不具合が生じていたことから牽引が不能となり、当該機の代走として臨時で運用された。
静態保存機
2017年4月1日現在、完全保存2両、運転台部分のみのもの4両が静態保存されている[19]。ただし、1次量産車の3 - 14号機はすべて解体されており、現存するものはない。
画像 | 番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
EF60 123 | 栃木県足利市伊勢町一丁目 足利駅北口広場 |
||
EF60 86 | 群馬県 個人所有 |
運転台部分のみのカットボディ | |
EF60 501 | 群馬県安中市松井田町横川 碓氷峠鉄道文化むら |
||
EF60 47 | 埼玉県さいたま市大宮区錦町 大宮総合車両センター |
運転台部分のみのカットボディ | |
EF60 116 | 埼玉県川口市 個人所有 |
運転台部分のみのカットボディ | |
EF60 128 | 千葉県富津市 資材置場 |
運転台部分のみのカットボディ |
画像 | 番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
EF60 15 | 群馬県高崎市 JR東日本高崎運転所 |
保存状態悪化のため2000年に解体[20] | |
EF60 16 | 群馬県高崎市倉賀野町 倉賀野駅 |
JR貨物高崎機関区→倉賀野駅[21]。保存状態悪化のため解体(時期不明) | |
EF60 510 | 埼玉県さいたま市大宮区錦町 大宮総合車両センター |
大宮総合車両センターで静態保存されていたが、2016年12月解体[22] |
脚注
注釈
- ^ 500番台は旅客列車牽引用であるが、牽引される20系客車はサービス用電源車を持つため機関車に暖房源を備える必要はない。
- ^ 国鉄末期の1986年(昭和61年)8月には、沼津機関区創立100周年のイベントとして廃車予定であった95号機をぶどう色2号に復元している(当時は現役機の塗色変更が認められていなかった。)。
- ^ EF58形は旧形電気機関車であるが、寝台特急をはじめ青い客車列車の先頭に立つことが多く、例外的にこの塗装が採用された。
- ^ 後年、特に1980年代中期以降は本形式に限らず1灯式の前照灯を用いた一部の電気機関車および電車(103系など)・気動車(キハ10系・キハ20系など)車両がシールドビーム2灯へ換装された。このうち電気機関車や電車のものは、前照灯まわりの造形がブタの鼻のように見えるため、一部の鉄道ファンの間からは「ブタ鼻(ライト)」と呼ばれていた。
- ^ 電磁指令ブレーキのない本形式では110km/h運転に対応できないため。
- ^ EF58形は旧型で出力も低いが、1時間連続定格速度が68km/hとEF65形(45km/h)よりもさらに高速特性に優れていた。
- ^ 国鉄もこの決定はあくまでEF65形投入までの暫定的なものと考えており、予算面で所要両数の確保もギリギリかつ多少の無理は承知しており、運用の工夫で合理化を達成せねばならない「苦肉の策」であった。
- ^ 本区分は予備車が少なく、故障時の代走はEF61形もしくはEF58形が投入された。
- ^ 11月9日には、上越線の高崎 - 越後湯沢間の往復でさよなら運転が行われ、分割民営化時に唯一JR東日本へ承継された19号機が後補機に当たった。
- ^ 同月17日に同運転所にて。
出典
- ^ 『EF60型直流電気機関車説明書』1960年、4頁。
- ^ a b 『Rail Magazine』330、ネコ・パブリッシング、2011年、p.119
- ^ a b 『Rail Magazine』330、ネコ・パブリッシング、2011年、p.121
- ^ a b c d 『Rail Magazine』331、ネコ・パブリッシング、2011年、p.90
- ^ a b c d 『Rail Magazine』331、ネコ・パブリッシング、2011年、p.93
- ^ a b c d 『Rail Magazine』331、ネコ・パブリッシング、2011年、p.97
- ^ 『鉄道ファン』2004年9月号 p70
- ^ [1]鉄道辞典_補遺版 - 252/464枚目」
- ^ [2]鉄道辞典_補遺版 - 252/464枚目」
- ^ a b c d e f g h i j k l [3]鉄道辞典_補遺版 - 253/464枚目」
- ^ a b 『Rail Magazine』340、ネコ・パブリッシング、2011年、p.97
- ^ 鉄道ファン編集部 『鉄道ファン』2009年7月号 (付録)JR旅客会社の車両配置表 交友社 P42
- ^ 『鉄道ピクトリアル』No.967、電気車研究会、2019年12月号、102頁。
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、129頁。
- ^ 「EF60 19,2エンド側前灯を1灯化か」 交友社『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース、2010年2月1日
- ^ “EF60 19が秋田総合車両センターへ”. 鉄道ファン. 交友社 (2019年7月2日). 2019年9月25日閲覧。
- ^ 『鉄道ファン』No.703、交友社、2019年、p.156
- ^ 「"ELぐんまよこかわ号"をEF60 19がけん引」 交友社『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース、2019年6月3日
- ^ 笹田昌弘 イカロスMOOK『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』 イカロス出版 「全カテゴリー保存車リスト」 P219
- ^ 沖田祐作 『機関車表 フルコンプリート版』DVDブック ネコ・パブリッシング P2798
- ^ (所在場所について)白川淳 JTBキャンブックス『全国保存鉄道Ⅱ 保存車全リスト3700両』 JTB(現・JTBパプリッシング) P155
- ^ 笹田昌弘 イカロスMOOK『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』 イカロス出版 「全カテゴリー保存車リスト:撤去情報」 P249
参考文献
- 浅原信彦、「ガイドブック全盛期の国鉄車両102 新型直流電気機関車.5」『Rail Magazine』330、pp.116 - 123。
- 浅原信彦、「ガイドブック全盛期の国鉄車両103 新型直流電気機関車.6」『Rail Magazine』331、pp.90 - 97。