コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「スケディオス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: パウサニアスの改名に伴うリンク修正依頼 (パウサニアス (地理学者)) - log
13行目: 13行目:


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1994年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1994年)

2021年11月15日 (月) 10:53時点における版

スケディオス古希: Σχέδιος, Schedios)は、ギリシア神話の人物。


スケディオスΣχέδιος, Schedios)は、ギリシア神話の人物である。ナウボロスの子イーピトスと[3]ヒッポリュテーの子で[4]エピストロポスと兄弟[3][4]。スケディオスはポーキス地方の都市パノペウスの王で[5]、スケディオスがこの地を支配したのはボイオーティア地方の攻撃から国を守るためであった[6]

スケディオスはエピストロポスとともにヘレネーに求婚者し[7]、後のトロイア戦争ではギリシアの武将としてポーキスの軍勢40隻を率いて参加した[3][8][9]アルゴスの軍勢30隻をスケディオスが、エピストロポスが10隻を率いたともいわれる[4]。しかし、パトロクロスの遺体をめぐる戦いで、ヘクトールに討たれた[5]。戦後、スケディオスの遺骨はポーキス地方に持ち帰られたという[10]

脚注

  1. ^ 『イーリアス』15巻515行。
  2. ^ アポロドーロス、摘要(E)7・27。
  3. ^ a b c 『イーリアス』2巻517行-526行。
  4. ^ a b c ヒュギーヌス、97話。
  5. ^ a b 『イーリアス』17巻304行-311行。
  6. ^ パウサニアス、10巻4・2。
  7. ^ アポロドーロス、3巻10・8。
  8. ^ クレータのディクテュス、1巻17。
  9. ^ プリュギアのダレース、14。
  10. ^ パウサニアス、10巻36・10。

参考文献