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「ペーネレオース」の版間の差分

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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1992年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1992年)

2021年11月15日 (月) 10:40時点における版

ペーネレオース古希: Πηνέλεως, Pēneleōs)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してペネレオスとも表記される。ヒッパルモスの子[1]、あるいはヒッパルコスとアステロペーの子[2]、あるいはイトーノスの子ヒッパルキモスの子[3]アルゴナウタイの1人[4]ヘレネーの求婚者の1人[5]

トロイア戦争では、テーバイテルサンドロスミューシアで戦死したとき、王の子ティーサメノスが若かったためテーバイの武将に選ばれ[6]ボイオーティア勢の長として、レーイトスアルケシラーオスプロトエーノールクロニオスとともに参加し、12隻の軍勢を率いた[7][8]。ペーネレオースはプロマコスを討ったアカマースを退かせつつ、ポルバースの子イーリオネウス、さらにリュコーンを討ったが、ゼウストロイアの味方をしてアイギスを振りかざしたとき一番に逃げ出し、プーリュダマースの槍に傷つけられた[9]。その後テーレポスの子エウリュピュロスに討たれたとも[10]、戦死せずに木馬作戦に参加し[11]、コロエブスを討ったともいう[12]

なお、ペーネレオースには子オペルテースがあり、ダマシクトーンプトレマイオスクサントスと子孫が続いた。他にはピロータースがいた。ダマシクトーンはティーサメノスの死後、テーバイ王。[13][14][15]

脚注

  1. ^ アポロドーロス、1巻9・16。
  2. ^ ヒュギーヌス、97話。
  3. ^ シケリアのディオドロス、4巻67・7。
  4. ^ アポロドーロス、1巻9・16。
  5. ^ ヒュギーヌス、81話。
  6. ^ パウサニアス、9巻6・15。
  7. ^ 『イーリアス』2巻494、495。
  8. ^ ヒュギーヌス、97話。
  9. ^ 『イーリアス』14巻、16巻、17巻。
  10. ^ スミュルナのコイントス、7巻。
  11. ^ トリピオドーロス
  12. ^ ウェルギリウスアエネアース』2巻424行-425行。
  13. ^ パウサニアス、9巻5・16。
  14. ^ パウサニアス、7巻2・3。
  15. ^ パウサニアス、7巻2・10。

参考文献

先代
テルサンドロス
テーバイ王(神話時代)
次代
ティーサメノス