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*1979年、[[日本テレビ音楽]]設立10周年を記念して作られた非売品LP『NTVM AFTER 10 YEARS』の1曲としてイギリスのシンガー・ソングライター・デュオ、スプリンターがカバー(訳詞は[[奈良橋陽子]]) |
*1979年、[[日本テレビ音楽]]設立10周年を記念して作られた非売品LP『NTVM AFTER 10 YEARS』の1曲としてイギリスのシンガー・ソングライター・デュオ、スプリンターがカバー(訳詞は[[奈良橋陽子]]) |
2021年10月10日 (日) 09:35時点における版
「いつか街で会ったなら」 | ||||
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中村雅俊 の シングル | ||||
B面 | さすらい時代 | |||
リリース | ||||
ジャンル | J-POP | |||
レーベル | 日本コロムビア | |||
作詞・作曲 |
作詞:喜多条忠 作曲:吉田拓郎 | |||
チャート最高順位 | ||||
中村雅俊 シングル 年表 | ||||
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「いつか街で会ったなら」(いつかまちであったなら)は1975年5月1日にリリースされた中村雅俊の曲。
概要
中村雅俊がニューミュージック寄りのイメージがついたのはこの曲での吉田拓郎の楽曲提供がきっかけだった[2]。「拓郎は憧れ以上の存在だった」と中村は話している[3]。
オリコンチャートの登場週数は25週、チャート最高順位は週間6位、累計42.3万枚のセールスを記録した [1][5] 。
収録曲
鈴木雅之のカバー
「いつか街で会ったなら」 | ||||||||||
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鈴木雅之 の シングル | ||||||||||
初出アルバム『DISCOVER JAPAN III 〜the voice with manners〜』 | ||||||||||
リリース | ||||||||||
規格 | デジタルダウンロード | |||||||||
ジャンル | J-POP | |||||||||
時間 | ||||||||||
レーベル | Epic Records Japan | |||||||||
作詞・作曲 |
作詞:喜多条忠 作曲:吉田拓郎 編曲:服部隆之 | |||||||||
プロデュース | 服部隆之 | |||||||||
鈴木雅之 シングル 年表 | ||||||||||
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「いつか街で会ったなら」(いつかまちであったなら)は、2017年1月より配信がスタートした鈴木雅之の配信限定オリジナルカバーシングル。服部隆之がプロデュースしている。鈴木雅之のカバー・アルバム『DISCOVER JAPAN III 〜the voice with manners〜』収録曲。日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」のエンディングテーマに採用された。
カバー
- 1975年、研ナオコがアルバム『愚図』でカバー。
- 1977年、作曲者の吉田拓郎がアルバム『ぷらいべえと』でセルフカバー。
- 1979年、日本テレビ音楽設立10周年を記念して作られた非売品LP『NTVM AFTER 10 YEARS』の1曲としてイギリスのシンガー・ソングライター・デュオ、スプリンターがカバー(訳詞は奈良橋陽子)
- 2017年、鈴木雅之のオリジナルカバー。同年、配信リリース。
脚注
- ^ a b 『オリコン・シングル・チャートブック(完全版):1968 - 2010』オリコン・エンタテインメント、2012年2月、549頁。ISBN 978-4-87131-088-8。
- ^ 青春のバイブル、富澤一誠、シンコー・ミュージック、p161
- ^ 垣花正のあなたとハッピー!、ニッポン放送、2010年8月24日
- ^ 「レコード売上500万枚 『花神』の中村雅俊」『サンデー毎日』1977年6月12日号、33頁。
- ^ 累計売上を130万枚とする資料も存在する[4]。