コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「いつか街で会ったなら」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
74行目: 74行目:


== カバー ==
== カバー ==
*1975年、[[研ナオコ]]がアルバム『[[愚図 (研ナオコのアルバム)|愚図]]』でカバー。
*1975年、[[研ナオコ]]がアルバム『[[愚図 (アルバム)|愚図]]』でカバー。
*1977年、作曲者の[[吉田拓郎]]がアルバム『[[ぷらいべえと]]』でセルフカバー。
*1977年、作曲者の[[吉田拓郎]]がアルバム『[[ぷらいべえと]]』でセルフカバー。
*1979年、[[日本テレビ音楽]]設立10周年を記念して作られた非売品LP『NTVM AFTER 10 YEARS』の1曲としてイギリスのシンガー・ソングライター・デュオ、スプリンターがカバー(訳詞は[[奈良橋陽子]])
*1979年、[[日本テレビ音楽]]設立10周年を記念して作られた非売品LP『NTVM AFTER 10 YEARS』の1曲としてイギリスのシンガー・ソングライター・デュオ、スプリンターがカバー(訳詞は[[奈良橋陽子]])

2021年10月10日 (日) 09:35時点における版

「いつか街で会ったなら」
中村雅俊シングル
B面 さすらい時代
リリース
ジャンル J-POP
レーベル 日本コロムビア
作詞・作曲 作詞:喜多条忠
作曲:吉田拓郎
チャート最高順位
中村雅俊 シングル 年表
白い寫眞館
1974年
いつか街で会ったなら
(1975年)
俺たちの旅
(1975年)
テンプレートを表示

いつか街で会ったなら」(いつかまちであったなら)は1975年5月1日にリリースされた中村雅俊の曲。

概要

1975年日本テレビ系ドラマ、『俺たちの勲章』の挿入歌。

中村雅俊がニューミュージック寄りのイメージがついたのはこの曲での吉田拓郎の楽曲提供がきっかけだった[2]。「拓郎は憧れ以上の存在だった」と中村は話している[3]

オリコンチャートの登場週数は25週、チャート最高順位は週間6位、累計42.3万枚のセールスを記録した [1][5]

収録曲

  1. いつか街で会ったなら
    作詞:喜多条忠、作曲:吉田拓郎、編曲:大柿隆
  2. さすらい時代
    作詞:山川啓介、作曲:吉田拓郎、編曲:大柿隆

鈴木雅之のカバー

「いつか街で会ったなら」
鈴木雅之シングル
初出アルバム『DISCOVER JAPAN III 〜the voice with manners〜
リリース
規格 デジタルダウンロード
ジャンル J-POP
時間
レーベル Epic Records Japan
作詞・作曲 作詞:喜多条忠
作曲:吉田拓郎
編曲:服部隆之
プロデュース 服部隆之
鈴木雅之 シングル 年表
Melancholia
(2016年)
いつか街で会ったなら
(2017年)
ラブ・ドラマティック feat. 伊原六花
2019年
DISCOVER JAPAN III 〜the voice with manners〜 収録曲
スローバラード
(7)
いつか街で会ったなら
(8)
胸の振り子
(9)
テンプレートを表示

いつか街で会ったなら」(いつかまちであったなら)は、2017年1月より配信がスタートした鈴木雅之配信限定オリジナルカバーシングル。服部隆之がプロデュースしている。鈴木雅之のカバー・アルバムDISCOVER JAPAN III 〜the voice with manners〜』収録曲。日本テレビぶらり途中下車の旅」のエンディングテーマに採用された。

カバー

  • 1975年、研ナオコがアルバム『愚図』でカバー。
  • 1977年、作曲者の吉田拓郎がアルバム『ぷらいべえと』でセルフカバー。
  • 1979年、日本テレビ音楽設立10周年を記念して作られた非売品LP『NTVM AFTER 10 YEARS』の1曲としてイギリスのシンガー・ソングライター・デュオ、スプリンターがカバー(訳詞は奈良橋陽子
  • 2017年、鈴木雅之のオリジナルカバー。同年、配信リリース。

脚注

  1. ^ a b 『オリコン・シングル・チャートブック(完全版):1968 - 2010』オリコン・エンタテインメント、2012年2月、549頁。ISBN 978-4-87131-088-8 
  2. ^ 青春のバイブル、富澤一誠、シンコー・ミュージック、p161
  3. ^ 垣花正のあなたとハッピー!ニッポン放送、2010年8月24日
  4. ^ 「レコード売上500万枚 『花神』の中村雅俊」『サンデー毎日』1977年6月12日号、33頁。
  5. ^ 累計売上を130万枚とする資料も存在する[4]

関連項目