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|機関||推進:2軸 x 730[[rpm (単位)|rpm]]<br />主機:ブラウン・カーチス式単式直結[[蒸気タービン|タービン]] 2基<br />出力:17,500[[馬力]]<br />ボイラー:[[艦本式ボイラー|ロ号艦本式缶]] 重油専焼2基、石炭重油混焼2基 |
2021年9月18日 (土) 07:23時点における最新版
艦歴 | |
---|---|
計画 | 1917年度[1] |
起工 | 1917年11月8日[1] |
進水 | 1918年3月28日[1] |
就役 | 1918年4月30日[1] |
その後 | 1930年6月1日掃海艇編入、第九号掃海艇(二代)と改名[1][2] 1936年4月1日雑役船編入、練習船指定、船名を「楢」に復帰[1][2] 戦時中に解体、船体の一部が呉・吉浦港の浮桟橋となる[1] |
除籍 | 1940年11月15日[1] |
廃船 | 1940年11月15日[1] |
性能諸元(計画) | |
排水量 | 基準:770トン 常備:850トン |
全長 | 全長:290 ft 0 in (88.39 m)[注釈 1] 垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)[3] |
全幅 | 25 ft 4 in (7.72 m)[注釈 1] |
吃水 | 7 ft 10 in (2.39 m)[注釈 1] |
機関 | 推進:2軸 x 730rpm 主機:ブラウン・カーチス式単式直結タービン 2基 出力:17,500馬力 ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、石炭重油混焼2基 |
速力 | 31.5ノット |
燃料 | 重油212トン、石炭98トン |
航続距離 | 3,000カイリ / 14ノット |
乗員 | 竣工時定員 112名[4] |
兵装 | 45口径三年式12cm単装砲3門 三年式機砲(6.5mm機銃) 2挺 45cm3連装魚雷発射管2基6門 |
搭載艇 | 4隻 |
楢(なら)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、楢型駆逐艦の1番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「楢」があるため、こちらは「楢 (初代)」や「楢I」などと表記される。
艦歴
[編集]1917年(大正6年)11月8日、横須賀海軍工廠で起工[5]。1918年(大正7年)3月28日午後3時30分進水[6]。同年4月30日竣工[7]。
1930年(昭和5年)6月1日、掃海艇に転籍、第九号掃海艇となる。1936年(昭和11年)4月1日、雑役船「楢」となる。1940年(昭和15年)11月15日除籍、廃船。戦時中に解体され、船体の一部が呉、吉浦港の浮桟橋となった。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 駆逐艦長
- 山田松次郎 少佐:1918年4月1日[9] - 1920年3月1日[10]
- 赤沢堅三郎 少佐:1920年3月1日[10] - 12月1日[11]
- (心得)中円尾義三 大尉:1920年12月1日 - 1921年12月1日
- 中円尾義三 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
- 椛島節雄 少佐:1922年12月1日 - 1924年4月1日
- 畠山耕一郎 少佐:1924年4月1日 - 12月1日
- 野末信次郎 少佐:1924年12月1日[12] - 1925年12月7日[13]
- (兼)加来博胤 中佐:1925年12月7日[13] - 1926年4月20日[14]
- 多田武雄 少佐:1926年4月20日 - 1926年11月1日
- 伊崎俊二 大尉:1926年11月1日 - 1927年12月1日
- 直塚八郎 少佐:1927年12月1日[15] -
- 直塚八郎 少佐:1928年2月13日 - 1928年12月10日[16]
- (兼)横山茂 中佐:1928年12月10日[16] -
- 横山茂 中佐:不詳 - 1929年11月30日[17]
- 小島斉志 少佐:1929年11月30日 - 1930年5月26日
- 藤田友造 大尉:1930年5月26日[18] - 1930年6月1日[19]
- 掃海艇長
- 藤田友造 大尉:1930年6月1日[19] - 1931年12月1日[20]
- (兼)野口照隆 少佐:1931年12月1日[20] - 1932年2月1日[21]
- (兼)有田貢 少佐:1932年2月1日[21] - 1932年4月1日[22]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b c #昭和造船史1pp.788-789、6.駆逐艦及び水雷艇要目表では桃型と同じ水線長85.85m、垂線間長83.82m、最大幅7.74m、公試状態吃水2.36mとしている。また#日本駆逐艦史1992p.52では全長85.9mとしている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、299頁。
- ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」12頁。
- ^ #横須賀海軍工廠史3p.13。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.570-571『大正六年十二月二十八日(内令三二三) 海軍定員令中ノ通改正セラル 驅逐艦定員表其二ヲ附表ノ通改ム(附表略)』槇を追加、將校、機關將校6人、特務士官、准士官3人、下士24人、卒79人。
- ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像36『横廠工第五四三號ノ一一 大正六年十一月三十日 横須賀海軍工廠長田中盛秀(中略)官房機密第一三三六號訓令ノ驅逐艦楢ハ十一月八日午前十時「キール」据付ヲ了セリ 右報告ス(終)』
- ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像81『大正七年三月二十八日(中略)楢本日午後三時三十分無事進水セリ 右報告ス(終)』
- ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像43『艦政船第二三一號(中略)楢竣成ニ付本日楢駆逐艦長ニ引渡ヲ了ス 大正七年四月三十日 横須賀工廠長』
- ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b c 『官報』第1697号、大正7年4月2日。
- ^ a b 『官報』第2271号、大正9年3月2日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3988号、大正14年12月9日。
- ^ 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ 『官報』第1021号、昭和5年5月28日。
- ^ a b 『官報』第1025号、昭和5年6月2日。
- ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1525号、昭和7年2月2日。
- ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。
参考文献
[編集]- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。
- (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 横須賀海軍工廠/編 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造』。Ref.C08021104300。